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「簡単なお仕事、なんてない」旗当番をして思う話

今日こそ、やってやる。

西日が道に、意気込む私の影をくっきり作っている。私は彼らを、待っている。

目を細め、米粒ほどの大きさでも、遠くに彼らを見つけたら、準備をしなければいけない。

右手には蛍光色の旗を持ち、頭には同じ蛍光色の帽子、胸にはベストを着こんで。

赤や黒だけじゃない。水色や茶色や紫のランドセルを背負った小学生たち
私は、彼ら彼女らを待っていた。



旗当番

小学生の子供たちが、登下校するときに、
道に立ち、安全に行きかえりできるよう、不審者に目を光らせ、
交差点など渡るのが危険な場所では、子供たちを誘導する。
保護者持ち回りの当番のことだ。私の地区では月に1度、担当することになっている。

娘が小学生になった今年の4月から、わが家でもこの当番を担うこととなった。



私は、正直この当番を舐めていた
「誰にでもできる、簡単なお仕事」だと。
時期が時期だったから、初心者へ向けての対面での指導はなく、紙面が配られただけで、はい明日からよろしくね、という状態だったけれど、全く問題ないと思っていた。

なんでそう思っていたんだろう。

近所のご老人が、当番を担当されているところを見たことがある。
それに、工事現場などで交通整理をされている人たちは、日雇いの人というイメージがあった。日雇い=単発でやっても誰でもそれなりにできる簡単なお仕事、というイメージだった。身体的にはしんどいかもしれないが、短時間であれば、大丈夫だろう、と。
本当にそんな風な考えていたことは、ごめんなさい。



初めて、旗を持ち帰宅路に立った日。
もう、全っっっ然できなくて、ビックリしたのだ。

私が立っていたのは、信号機も横断歩道もない、十字路。車通りは多くない住宅地だが、宅配車などが結構なスピードで行き交う。夕刻、今日の荷物をさばくのに追われている様子だった。

そこに、子供たちが帰ってくる。

歩道を示す白線に入らず、5人ぐらい横一列で帰ってくる子供。車が通っていないタイミングで、車道で「よーいどん」と、徒競走を始める子供。友達とおしゃべりに夢中になりながら、左右全く確認せずに向かいの歩道に渡る子供。

ひぇーーー。

思ってたのと違う。
私の考えが甘かった。そうだ、小学生ってこんな感じだった。自分が小学生だった頃、同じようにしていたのを思い出す。

「白線の内側に!!」「車きたよー!!一列になって!!」

マスク越しに、叫び続けたが、聞こえたのか、聞こえてないのか。ヒヤヒヤしっぱなしだった。


それから、私の旗さばきだけれど、こちらはもっと酷い。
本当は子供たちを渡らせるか、車を先に行かせるか、旗ではっきり示さないと事故になる。これがもう、どっちつかずなふにゃふにゃの指示しか出せなくて。
ドライバーさんが上手に「お先にどうぞ」してくれたおかげで、危なくぶつからせるところ、とまでは行かないかったけれど、いないほうがマシな旗当番だった。



そうして、なんとか任務を終えて、落ち込みながら、帰宅した。
こんなに出来ないなんて、思っていなかった、と。これは、もっと上達しないと、人命に関わるぞ、と。



それから、ちょこちょこと、
道の工事などで立っている交通案内の人を見つけては、その仕事ぶりを、影から観察するようになった。

これが、本当に素晴らしい。
自動車の量も、人の量も、私の立っていた場所とは比べ物にならないほど多い場所で、自動車を片側ずつ順番に流し、人が渡るタイミングまで完璧にきびきびと指示を出している。

これまで、それが当たり前だと思っていたけれど、
旗当番を経験してみたから分かる。そこに流れる緊張感に息を飲む。人の命を預かっているという緊張感だ。少しのミスで大事故だ。
その緊張感が流れる中で、素早く判断し、誘導棒で指示を出し続けている。私も一緒になってやってみようとしたが、すぐに目が回り、無理だった。




これまで、なんて恥ずかしい考え方をしていたんだろう。

誰がやっていようと、それが老人であれ、子供であれ、
どんな仕事であれ、単発であれ、長期であれ、
「誰にでもできる、簡単なお仕事」なんてないんだ。

よく考えてみれば、そうだ。
アルバイトだった時だって、そうだった。接客も塾講師もエンジニアも、初めから簡単な仕事なんて、何一つなかった。



観察とイメトレの成果か、
半年が過ぎ、少しずつ誘導に自信が持てるようになってきた。

そして、初めは、余裕がなくて、気づけなかったけれど、
私が旗を持って立っている時、歩いて前を通りすぎるご老人や大人たちは、いつも私が立っていることをねぎらってくれる。
「こんにちは、ご苦労様です。」「ありがとうございます。」

きっとこの人たちは、当たり前だなんて思っていないし、簡単なお仕事だなんても思っていない。私もそうありたい。

私は今でも、交通案内の人の誘導棒さばきを、
カッコイイと尊敬の眼を向けている。
働いているすべての人へ、そうでありたいと胸に刻む。




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