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伊豆半島沖地震50年 ~今、もう一度東部の地震を学ぼう~ 概要編

 昭和49年(1974年)5月9日に石廊崎沖を震源とする伊豆半島沖地震が発生しました。地域で起きた地震を知り、命を守るための備えのきっかけとしてください。(写真:防災都市計画研究所撮影)


伊豆半島沖地震とは?

概要

 昭和49年(1974年)5月9日午前8時33分頃、伊豆半島南部の南伊豆町の石廊崎沖を震源とするM6.9の直下型地震が発生しました。最大震度Ⅴ(石廊崎)と推定されています。
 この地震は「1974年伊豆半島沖地震」と命名されました。(気象庁)
 この地震による被害は、死者30名、負傷者102名に達したほか、家屋被害は全壊134棟、全焼5棟、半壊240棟、一部損壊1,917棟に達し、被災人員は8,307名となりました。
※静岡県「伊豆半島沖地震災害誌」(1975年)より

震度分布と石廊崎断層

 震度分布は下図のとおりとなりました。広範囲に揺れが広がっていることが分かります。

 地震発生後約50日間で水平方向に約10mm、垂直方向に約4mm移動しました。その後次第に移動速度が減少し、地震発生後230日の累計水平移動は約16mm、垂直移動は8mmとなっています。
※静岡県「1974年伊豆半島沖地震とその災害ー地質学的調査報告書ー」(1975年)より

道路の被害

 伊豆半島の幹線道路は、周辺をとりまく国道135号・同136号・主要地方道下田石室松崎線と天城峠越えの主要地方道修善寺下田線とに大別されます。主な被害は南伊豆町に集中しており、下田石室松崎線をみると、切土部分は法面の崩壊・点々と続く落石が主で、大きいもので直径2~5mの大転石が道路をふさぎました。一方盛土部分は路面の地割れ、隆起、陥没、路肩の決壊、盛土すべり等の被害が発生しました。亀裂の大きいものは巾2m、深さ2mにも達し、大小の亀裂が道路の縦方向に多く見られ、「活断層」の通るところでは、その動きが顕著でした。

 これらの道路に接する熱海、伊東、大仁の各警察署では、路線上の要点に要員を配置し、被災地方向への不急車両の流入を阻止しました。また、災害対策基本法に基づき5月10日から、国道136号、主要地方道下田石室松崎線、県道下賀茂差田線で、緊急車両を除く車両の通行を禁止しました。また、12日から、国道136号、主要地方道、修善寺下田線で緊急輸送車両及び路線バスを除く車両の通行を禁止し、一般車両及び路線バスを除く車両の通行を禁止し、一般車両の被災地への流入を防ぎ、緊急車両の通行路確保を図りました。
※路線名は発災当時の表記です。
※静岡県「伊豆半島沖地震災害誌」(1975年)より

次回は発災当時や現在の状況の写真を紹介します。