当たり前のことをようく考えてみるということ


自然科学系の本や番組が好きだ。
宇宙の成り立ち、化石、恐竜、動物、人類の進化、地質・・・火山の映像など大好物である。

そんな中最近ハッとした読書体験がある。
読まれた方には「えーー、当たり前すぎて引くわ」と思われるような内容だけれど、その時のインパクトは結構深く心に刺さって消えないので書く。

「鳥類学者無謀にも恐竜を語る」 川上和人著

学術的な専門書でなく、鳥類学者である著者がその知見を活かし、しかし「専門外である」という言い訳を盾に恐竜への妄想を自由奔放に膨らませながらその生態を軽妙に語る本だ。エッセイの分野だろうか。

鳥は恐竜から進化した、というのは今や世界の常識。
そこから語り起こされる数々のトピックスの面白さよ!そう来たか!の連続だった。

例えば
第3章のSection2 白色恐竜への道
ある意味恐竜である鳥たちの生態を、「恐竜の色」を考える参考にする。

おお!
私は全くの素人で、恐竜の専門家もそういう観点から色を考える研究をしているのかどうか知らない。
ただ、今の鳥の生態を恐竜にも当てはめて具体的なビジュアルまで想像(妄想?)してしまうという、そこが新鮮だった。


そんな中で、冒頭でも書いた強く印象に残った読書体験

「家族の肖像」というSectionで、恐竜が抱卵や子育てをした可能性に触れられる。
その中に、マッソスポンディルスという4mほどの恐竜の卵の殻の厚みが0.1mmしかなかった、という記述が出てくる。

それを読んだ瞬間、私は「無理無理、そんな薄い殻の上に大きな恐竜が座ったら卵が壊れちゃう抱卵はしてないね!」と直感的に思った。

続きを読むと、やはり私が予想した通りの結果が書いてあったのだけれど、その時私は、じーーーん、としてしまったのだ。
「こんな常識的なことから、私も恐竜の生態を正しく推測できるんだ!」

努力・根性・勝利、もといお金をつぎ込んだ発掘作業や、最新科学技術を駆使して集められた資料・事実。もちろんそれらがあってこそ、推論や考察ができる。

けれど研究者のような専門的な知識がなくても、私でも今知っている知識から「科学者が考えるようなことを考えてみることができる」という体験。
何というか、ちょっとした感動だったのだ。



同じ時期に、テレビを見ていて同じような体験をしたので余計に強く印象に残っているのだと思う。

コズミックフロントNEXT」の『レディ・サピエンス』の回。
石器時代の女性は、今まで男性視線で「家で子を産み育て、男性に守られる存在」として語られてきたが、実は男性と同じ役割を対等に担い狩にも参加していたことが「ジェンダー考古学」という視点から明らかになりつつあるらしい。

そうだよね、今より生きるのがずっと厳しかった時代、全員で「生存すること」に参加しなきゃ生き残れないでしょ。男だって子供を見なきゃならない場面もあるだろうし、女だって食糧の獲得に参加しないわけがない。能力だって男女別でなく個人差、それを生かさないと生き残れない。
当たり前じゃん。

あっさりそう思った、というか納得したけれど、よくよく考えると「私今までそんなこと考えたこともなかった」ことに気づいた。
石器時代の女性の役割・・・・?考えたことなかった。
この番組を見なかったらうすぼんやりとした「女性は家を守り子を育てる」イメージを持ったままだったかもしれない。

もう一つ「NHKスペシャル」の「ジェンダーサイエンス」第2週
月経についての番組だ。
現代女性は、かつての女性の9倍も生理の回数がある。少し前まで生涯50回ほどだった生理が、今450回!!!
ひいぃぃぃーーーー
かくいう私も苦しんだ一人だが(過去形で草)9倍て!
ちょっと前まで生涯50回しか生理なかったの???

でも待て待て。よく考えてみ?
私一回も出産してないもん。
そりゃそうか、当たり前だよ!

そう、現代の女性は生育が早く低年齢で月経が始まり、少子化で生理のない期間が激減している。社会で活躍するからこそかつてないほど生理に苦しんでいる。

ある意味当たり前の因果関係、そして何という悲しい、衝撃的な事実!

女性の生き方の多様化はもちろん素晴らしいのだけれど、生物的に見るとこの月経回数の増加は「人類史上初の異常事態」であり深刻な病につながりかねないのだとか。

これはこれは・・・・
とてもとても解決の難しい問題のような気がする。今やっと取り組み始められたばかりの分野だそうな。

今挙げた二つの番組はSDGsの啓発キャンペーン期間らしい番組。
それにしても、自分の状況・社会の状況と、自分自身の肌感覚。ちっともつながってなかったし考えてみようとしなかったと実感した。


さて恐竜に戻ろう


私と違って著者の川上和人さんという方は、ご自分が研究してきた鳥類の知見と肌感覚をそのまま恐竜世界に持ち込みすぎているw

恐竜の色については、化石に残された皮膚などの成分を科学的に分析することで特定できる場合があるのは知っていた。
けれど筆者は、鳥の色がどうやって決まっていくのかという観点から、真っ白い恐竜を妄想する。

白い色の生き物は目立つので生き残りにくいのだけれど、白鳥とか鷺とか白いのもいる。
だからどうやら真っ白な恐竜もいそうなのだ(筆者の頭の中には)。
そしてそれがどんなタイプの恐竜なら可能なのかまで条件が具体的に書いてある。
面白い!

真っ白で目の周りが赤、目の周りが黒、といったオシャレ恐竜の可能性も示され、さらには全身真っ赤や真っ黒な恐竜も出現させたいらしい。

色の他に私が非常にイメージを刺激され興奮したのが、「モズのハヤニエ」だ。シュライク!!!(趣味のSFが入った)
そう、モズが獲物を木の枝などに刺しておくあれを、恐竜がやっていたかもしれないという推測(妄想?)。

太古の森の枝々に小型の恐竜が刺さり干からびている。大型肉食恐竜が勤勉に働いたのだ。その成果のハヤニエ。

もうそのビジュアルにしびれる。


色々散らかったけれどまとめてみる。

・「鳥類学者無謀にも恐竜を語る」という本がとても面白かった。
・よく考えると、知っている・当たり前だ、という肌感覚を色々な事象にちゃんと当てはめてこなかったなぁ、という反省。
・その感覚で物事をきちんと考えてみると、ハッとするような発見がある。

何だよ、教科書みたいだな。

それはそうとして、『レディ・サピエンス』の中で、女性も壁画アートに参加していた証拠として手形の形状が挙げられていた。
女性の手の特徴として人差し指と薬指の長さが同じくらいだ、というのが証拠だそうだ。

ところが私は女性であるが、人差し指が薬指よりだいぶ短い。
間違いないく私の手形は男性のものに分類されてしまうし、オットはすごくでかい手だが、両指の長さは同じくらいなので女性と判別されてしまうのだろうか・・・?

この指の長さの違いは、ある本によるとアスペルガー症候群(今は自閉スペクトラムの呼称が一般的らしい)の特徴として挙げられていて、「超男性脳、共感性の能力が乏しい」という説明があり、私はそういう傾向は十分自覚しているので納得していたのだけれどよく考えると「男性脳」という表現!(「超」がつくけど)
おやおや変だぜ男の人はみんな私みたいなわけ? そんなはずない。

男女で手の形を分類するという考え方もあるわけだ(もちろん脳のタイプも)。これもよく考えると当たり前か。また何も考えずに読み過ごしてしまった。今度手の形の男女差について調べてみよう。

でも、考古学の先生方にも言いたい、男女の別ばかりでなく個人差で手の形状も大きく変わりますよ?男女関係なく役割を果たしていた古代社会を考えるのなら、手形も男女別だけでなく分類してみてもいいんじゃないですか?
男女でなく個人で差があるという、当たり前の肌感覚。

なんか最後クレーマー?





この足!何十倍にも拡大して肉食恐竜が迫ってくる妄想にふける。ああ素敵!
画像はWikipediaからお借りしました。
この顔の皮膚感!何十倍にも拡大して・・以下同文
くわえた餌のせいでくちばしがギザギザ。色と目つきがもう恐竜、何十倍にも・・・




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