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転売規制、その先にあるもの:6 情報化社会における価値観

本稿は、「転売規制、その先にあるもの:5 当然の帰結としてのアベノマスク」からの続きです。

 ところで、どうやら経済学のお偉い先生方は、この転売問題に対して、だんまりを決め込んだようである※55。唯一の例外は、冒頭で紹介した塚崎公義ぐらいであろうか※56。

 そりゃそうだ、視聴者に嫌われないために、うっかり転売は罪悪などと口を滑らせば、大学での講義ができなくなる。需要と供給のバランスによる価格決定は、中・高校生でも知っている、資本主義経済学の基本中の基本なのだから。万が一、経済学として転売を認めないなら、中・高の教育現場では、社会科の授業の一部を道徳の時間に振り替えなければならないかもしれない。したがって、本稿の結論は、すでに塚崎が指摘しているように、「転売人は必要悪」ということになる※57。

 さて、本稿の最後に、転売問題が突き付けている、現代社会の課題を整理しておきたい。

 多くの人が指摘しているように、インターネット空間の整備が進展する中で、商取引のあり方が変化してきている。中でも、大きな変化は、転売ヤーの存在が如実に示しているように、誰もが直接、消費者と結びつきやすくなり、販路を開拓しやすくなったということである。そして、多くの人が、メルカリなどで、「店舗経営」をはじめることとなった。

 それは、かつて、スーパー・マーケットにあった伝言掲示板や雑誌の読者欄などで見られた「買います」「売ります」「差し上げます」のように、従前からあったものであるが、情報技術を介することで圧倒的な空間のひろがりをもたらした。しばしば、インターネット空間は仮想的なものと指摘されるが、現実の空間ともつながっていることに気づかされる※58。

 中国人による爆買いの背景にも、中国版ラインと言われる「微信(ウィーチャット)」などの普及が多分に関係している※59。つまり、建前として、微信などでつながっている、あるいはつながった、さらにはこれからつながるであろう「友達」に頼まれて、「お土産」として大量に買うわけだ。免税の範囲内であれば、関税を払う必要はない。例え、「お土産」の原価に加え、その対価が得られるとしても。

 中国に限らず、日本でもこうした海外土産の転売は増えてきているようであるが、これらを新たに法律で厳格に取り締まろうとするならば、「友達」の範囲を定義するなどしなければならないだろう※60。だからこそ、中国では税関という水際での検査を強化し、個人で使う量に限って国内に持ち込むことを認め、それ以外は課税、納税なきは没収することをはじめた※61。

 このように、情報化社会の進展に伴い、これまでの社会においては、想定しにくかった事態が発生している。従前では考えにくく、そして旧態依然とした価値観からすると、得体のしれない行動を、強権的に規制できないのであれば、手っ取り早い方法は、これまでの社会の「道徳観」なり、「倫理観」なり、「価値観」でもって、「正義」を振りかざすことになる。

 ところで、この消費者、すなわち個人に直接結びつきやすいという、情報技術がもたらした特質は、何も転売ヤーだけに開かれているわけではない。先に挙げた、個人による「店舗経営」はまさにその利用の典型だし、あらゆる企業にも、そして政府にも開かれている。ここが肝だ。この特質に、いち早く気づいた転売ヤーの行動だけを見ていると、暴利を貪っているようにしか見えない。が、一方で、マスクの供給不足に対する次善策として、注目を集めるようになった手作りマスクが、単に自家用にとどまらず、容易に販売を可能にしているという点にも、目を向けるべきだ。

 現在でも、メルカリをはじめとしたフリマアプリ上では、数多くの手作りマスクが販売されている。そこには、単に色、柄、素材が異なるだけではなく、形状にこだわっていたり、刺繍を施していたり、機能性を充実させていたりする色とりどりの商品が並ぶ。そして、価格も三者三様だ。安いからといって売り切れになっているわけでもなく、高くても売り切れているものはたくさんある。ちなみに、高くて話題となったホリエモンのマスクは、税込1万1千円だが、「大人気につき増産」するとのことだった※62。そこには、販売者が掲げた価格に、消費者が納得すれば、購入するという世界がある。

 転売ヤーに値を吊り上げられて以来、マスクは常に適正価格なるものが求められていたように思う※63。そこでは、「高い」「妥当」「しょうがない」といった声が錯綜した。こうした適正価格を求める声は、コロナ禍におけるマスク製造の申し子、シャープが小売価格を発表し※64、まもなくして落ち着いたように見えた。そして、傍から見てて気になったのは、転売ヤーと見られるマスクの露店販売の価格が、ここに寄せていった気がすることである※65。

 さて、このシャープのマスクが適正価格なのかは、わからない。ただ、6月20日の時点で、すでに計8回の販売を行っているが、未だに購入を希望する人が後を絶たないのは事実だ※66。そして、注目すべきは、自社のウェブサイトで販売している点で、企業と消費者が直接、結びついているのである。今後、シャープが既存の販売網を使って販売する計画があるのかは知る由もないが、価格を決定する上で、自社のウェブサイトで販売することが、少なからず影響しているであろうことは想像に難くない。

 執拗に適正価格を求める態度は、工業社会が可能にした大量生産技術を背景に、登場してきた薄利多売というビジネス・モデル、日本においては高度成長期の亡霊に、未だに憑りつかれているような気がしてならない。もちろん、薄利多売を真っ向から否定するわけではない。とりわけ、使い捨てがなされる衛生マスクにおいては、その恩恵に与っている側面がきわめて大きい。しかし、全てにその価値観を押し付けることは、あってはならないと思う。そして、もう少し高付加価値に対して、色眼鏡を外してもらいたいと思うのである。

 コロナ禍は、日本社会の様々な問題を露呈させた。転売ヤーが目ざとく見つけた、個人消費者への販路は、政府にとってみれば、直接、国民に連絡が可能な緊急連絡先として使える可能性を秘めている。確かに個人情報を握られるという不安は、わからないでもないが、その側面ばかりにとらわれすぎると、政府の緊急対策の速度感のなさに加担することになるかもしれないのである。(了)

※本稿は、合同会社Fieldworkerが運営するウェブサイト「Fieldworker's Eyes」に寄稿したものの転載です。そこでは、すでに全文が公開されています。長文なので、noteには、6回に分けて転載しました。なお、オリジナルでは、注釈も見ることができます。

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