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究極の一首

2023.06.23

きょうも、寒い。きょうは金曜日。金曜日は、だいたい毎週、晩ごはんを作らないでいい日とされている。外食するか、コンビニとかピザとか、まあ、割と適当に済ます日になっている。きょうは「マックでいいか」となり、「マックだとすると……」とメニューを見ていたら、最近の脂質制限から、なんとなくポテトをたくさん食べたいような欲求にかられて、「スパイシービーフセット、ポテトL、ファンタグレープで」というこれまで食べたことがないようなオーダーにした。
食べ終わった今、スパイシービーフは、もう二度と頼まないと思っているし、ポテトLはもう無理な年齢になっていることを痛感している。ファンタグレープは、いつぶりに飲んだかわからないけど、インチキな味が懐かしかった。お腹がいっぱい過ぎて辛い。

あとは……「短歌研究」の次号の原稿を提出した。

かわいい

これは、いいものだ。

言わないと知られない

うれしいけれど、全然「言わずと知れ」てないのだ。言わずと知れた存在になりたい。言わないと知られない、どころか言っても知られていないのだった。

短歌研究

改めて「短歌研究」7月号の「猫と野球、まなざしと時間」(山田航)を読んだ。メールでの事前インタビューを交えた評で、とてもおもしろく読ませていただいた。

「同時期に刊行されたワンテーマの短歌集」ということで、『野球短歌 さっきまでセ界が全滅したことを私はぜんぜん知らなかった』と並べて語られることは、この「がたんごとん」さんのツイートに次いで2回め。

「へえ……」と思ったところを少しだけ引用させていただくので、興味のあるかたはぜひ「短歌研究」7月号をお買い求めの上、読んでみて。
短歌研究新人賞発表の号でもあるから、いろんな短歌が読めてお得かも。

(前略)短歌に対する呪術的な信仰がみられないという印象を受けた。歌人として長く歌を作っていると、絶対的な美が凝縮された「究極の一首」を信じながら、そのイデアを追求するような感覚が生じてくる。しかし仁尾智の猫短歌は「究極の一首」のような観念から自由になっている。

「短歌研究」7月号「猫と野球、まなざしと時間」より引用

究極の一首……。確かにもう二十年近く短歌を作っているけれど、そんなこと考えたこともないし、そんなものがあると信じてもいないな……。
歌人とは、かくも傲慢な生き物なのか、と思った。

におみくじまとめ

このまとめ、思ったよりもたくさんのひとに読んでいただけていて、意外だった。この影響で本が売れる、とかではないけれど、短歌を読んでもらったり、活動を知ってもらうことは、回り回って読者が増えることにつながるかもしれないので、いいことである。

あした

あしたで『猫の言える家に帰りたい』は、刊行3周年。感想のまとめをあした公開するんだけど、きのうまでAmazonの「残り部数」が「6」だったのだ。
togetterで感想のまとめを公開すると、Amazonで動く傾向があって、6冊ではもしかすると売り切れてしまって買えない人が出てしまうかも知れない、と思ったので、版元に事情を話して「Amazonの在庫を増やしていただいておくといいかも知れません」とお願いをする著者、珍しいでしょう?
いま見たら、ちゃんと在庫が潤沢になっている。
これで全然動かなかったら、それはそれで笑い話でしょう?

そんなそんな。