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日本人の墓

←vol.12を思い出す

2014.4.14(続き)

日本は、老いている。

靴にも、服にも、髪型にも、まるで頓着がない。「頓着がない」と書くと、鷹揚に構えていてよいことみたいだが、つまりは怠惰なのだ。アンテナを伸ばすことを面倒くさがっている間に、45歳になってしまった。

そんな僕でも靴屋では足元に、服屋では着ているものに意識の焦点が合うし、床屋では否応なく髪型が気になる。「場」によって強制的に合わせられていくフォーカスがある。

それと同じように、外国では普段意識しない「国」のことを考えてしまう。ベトナムで考えるのは、「国の寿命」のことだ。

ホテルに戻り、1ドル/日の自転車を借りた。日本のホテルが、この自転車を有料で貸し出したら、すぐにTwitterで炎上しそうなボロ自転車だった。どうすればこんなにお尻が痛くなるのか、逆に不思議なくらい座り心地が悪い。

座り心地を除けば、自転車での散策はとても快適だった。

歩くより速いし、疲れない。面白そうなものを見落とすほどのスピードは出ない。何よりバイクタクシーの客引きに声をかけられないのが素晴らしい。断るのにも、無視するのにも意外と体力がいる。

ホイアンには、その昔日本人町があり、最盛期には1000人以上の日本人が暮らしていたらしい。2万ドン紙幣に描かれているホイアンの名所「来遠橋」も、別名は日本橋と呼ばれ、日本人が建造したものだ。

名所旧跡にはほとんど行かなかったが、『地球の歩き方』に1箇所だけ気になっていた場所があった。

それは町外れの水田の中にあるらしい。
同書には「場所がわかりづらいので、しかるべきガイドかドライバーの同行が必要。町なかからバイクタクシーで数分」と書いてある。

その名も「日本人の墓」。身も蓋もない。

1647年、時は江戸時代。鎖国政策のため帰国したが、ホイアンに残した恋人が忘れられず、再度ホイアンに戻る途中で亡くなった谷弥次郎兵衛さんのお墓らしい。

せっかく自転車を借りたので、街から少し離れたこのお墓に行ってみることにした。頼りは『地球の歩き方』に記載されている、かなり大雑把な地図とiPhoneのgoogleマップ。いざ、迷いませんように。

街から少し外れると、道路脇は延々と田園だった。ところどころに水牛がいるのが見える。動物を見つけると、嬉しい。

「日本人の墓」は、町外れの道路から、さらに外れた水田の真ん中にポツンとあった。

上の写真が、道路脇の目印。この手前にあぜ道があり、田園の中をしばらく歩くと、お墓があった。

何かに似ている。
これは「ドラクエ」に出てくる「祠」だ。裏に回って調べると、きっと「小さなメダル」が手に入る。

毎日30度を超える暑さである。喉が渇いてきた。町外れなので、店はあまりない。飲み物を探していると、道路脇に売店を発見。店主はおばちゃんだ。店先に並んでいるサンプルの中から、よくベトナム人が飲んでいる「C2」とでかでかと書かれた黄色いペットボトルを指差した。おばちゃんは僕が指差したペットボトルそのものを掴んで、そのままこちらに差し出す。サンプルじゃないのかよ!

渡された「C2」は、もちろん冷えてない、というより持った感じがすでに体温よりずっと温かい。慌てて身振りで「冷たいのはないのか?」と伝えた。(ぜひ、この時の僕になって「冷えているのはないのか?」のジェスチャーを考えてみてほしい。かなり難易度が高いジェスチャーゲームだった)

おばちゃんは「ああ!」という顔をして、店の奥に入った。よかった。奥に冷蔵庫があるんじゃないか。横着せずに最初から出せって。

店の奥から出てきたおばちゃんの手に冷えた「C2」はなく、代わりに細かい氷の入ったビニール袋を持ってきた。

今からそれで冷やせってこと⁉︎ まあ、ないものは仕方がない。冷たい飲み物はあきらめた。

ちなみに「C2」は、かなり甘いレモンティー。(後で調べたら紅茶ではなく緑茶だった)。わりと好き。

氷はタオルでくるんで首に巻きつけてみた。気持ちいい。物は使いようだ、と思う。

ホテルに戻ると、フロントに見覚えのある女の子がいた。最初の日に僕を見るなり、「Are you Japanese ?」と聞いてきた子だ。僕を見つけると、満面の笑みで「おかえりなさい」と日本語で話す。気取りも嫌味もない笑顔だな、と思った。

部屋の鍵をもらいながら「ところで最初の日、なぜすぐに僕が日本人だとわかったの?」と聞いてみた。即答で「顔」と言った。

顔、か。
僕は日本人の顔をしているのか。

ベトナムに来て、ずっと感じているのは「国の若さ」だ。ベトナムを「若い」と感じるのは、つまり日本を「若くない」と感じるからだろう。それは経済がどうだとか、平均寿命がどうだとか、そういうことではない気がする。

「国自体にも寿命があるのではないか」と思った。
寿命なので、それよりも早く亡くなる国もあれば、長生きする国もある。ただ、どの国も衰えは免れないのではないか。生き延びるには、生まれ変わるほかないのではないか。

生まれ変わる機会が、ベトナムにはあったのだ。
日本にも、あったのではないか。ほんの数年前に。

夕食は路地を少し入ったローカルな食堂へ行った。促されるままに席に着くと、何も頼んでいないうちからテーブルにどんどん食べ物が置かれていく。どうやら飲み物以外はセットメニューだけらしい。

肉や生野菜をライスペーパーで包んで食べる「ネム・ヌォン」という料理らしい。(こ、これを一人で……?)という量だったが、なんとか食べられた。何を食べても、食材が何かよくわからなくても、とりあえず美味いのがベトナム料理だ。

店の人が「どこから来た?」と聞くので「日本です」と答えると、隣のテーブルの男女の客を指差して「この人たちもだよ」と教えてくれた。

この旅行初の日本人旅行者との会話である。

「……あ、どうも」
「どうも」
「ベトナムは食べ物おいしいですよね」
「何食べているのか、全然わからなくてもおいしいですよね」
「……」
「……」

話が続かなくて、我ながら驚く。

夕食後、おみやげ屋さんを見て回る。著作権的にたぶんダメなやつが、結構可愛くアレンジされて堂々と売られている。組織的なやつだと思われる。

明日はホイアンを発って、ダナンから汽車でニャチャンへ向かう。

旅も折り返しだ。

(→vol.14に続く


そんなそんな。