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試される

←Vol.11を思い出す

2014.4.14

6:00に起きて、散歩に出た。
朝の市場に行ってみたかったからだ。朝の市場は、ガッツがあって圧倒される。色も音も匂いもダイレクトで、日本ではあまり出会わない種類のものだ。しばらく歩いていると、てらいのない生々しさに当てられて、頭がぼぉっとしてくる。これを「市場酔い」と名付ける。

そのまま朝食を食べに行く。フォー屋さん。フォーしかないので、座ってしばらくすると勝手にフォーが出てくる。フォーは、あっさりしていて、市場酔いの胃に沁みる。ちなみに隣の席の客は、犬だ。

いい具合に腹も満たされて、川沿いを歩いた。早朝なのに意外と人が多い。よそよそしかった夜のホイアンとは、ずいぶん雰囲気が違う。観光客がまだ街に出ていないせいかも知れない。

川岸に、船が着いた。
(ここ、船着場なのか)と、立ち止まって眺めていた。

船から自転車やバイクにまたがった人たちが、続々と降りてくる。アオザイを着ている女性もいる。これは、出勤風景だ。

本当に今さらで恥ずかしいのだけれど、このとき気づいた。

(嘘くさいことなんてない。嘘なんてない。みんなここで生活していて、まるごと本当なのだ。当たり前ではないか)

この光景を見て、ホイアンに来てからずっと抱いていた「興醒め感」が、すっと晴れた。

単純なのは、いいことだ。

いい気分で歩いていると、路上のコーヒー店でおばちゃんが手招きをしている。フォーの後で甘いものが飲みたかったこともあり、ふらりと寄って低いプラスチックの椅子に座った。

「どこから来た」
「何歳だ」
「結婚はしているのか」
「子供はいるのか」
「いつまでいるのか」
「どこに泊まっているのか」

矢継ぎ早か!
デリカシーや遠慮などが一切なくて、皮肉ではなく清々しい。たどたどしい英語と身振りで答えていると、店のおかみさんも話に加わってくる。……というか、おばちゃん、客だったのか。

ひとり旅は、試される。そしてそれはいつも唐突だ。

「中国人は好きか」

いくつ目かの質問で、不意に聞かれた。
頭の中で穏便な答えを探す。そもそも好きも嫌いもないのだ。

「Yes , I like Chinese」(好きですよ)と言うと、おばちゃんは少し大げさに苦い顔を作って「あたしは嫌いだね、中国人」と言い放った。1/2のクジで外れを引いた気持ちだった。

何か実感として嫌なことがあった、もしくは日常的にあるのだろう、と思ったけれど、曖昧に笑うしかなかった。

帰り際、ポケットから財布を出すと、おばちゃんが冗談っぽく「あたしの分もおごってよ」と言った。とっさに「いやいや、俺貧乏だし!」と答えて、自分の分だけ払った。

ホテルに戻りながら、さっきのやりとりを反芻していた。

(おごってあげればよかったのかな。コーヒーなんて50円にも満たないのに。道楽で来ているのだから、少なくとも貧乏なはずないよな。でもおごるだなんて、おこがましいよな。でも……)

ひとり旅は、試される。自問自答が多くなっていく。

Vol.13に続く→

そんなそんな。