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良質なコミュニケーションにおける「質問という名の対話」について考える

物凄く興味深く読みました。

有料記事なので読む読まないはご自由にどうぞ、ですが。

私は普段、接客販売業をしているので、初めましての人と話す機会が人より多くあると思います。これまで何の関係性もない、いわゆる「イチゲンさん」との対話を何万回と経験してきました。

その経験から得られた見解があります。それは、「人間は聴いてほしい生き物だ」ということです。
自分のことを語りたいのです。これは無意識下の欲求で、たまたま出会った何の関係性もない人間に対してもデフォルトでその欲求を叶えようとします。

例えば、人に何かを質問する行為の裏側には、自分の話を聴いてほしいという欲求が隠れていることがあります。

質問していながら、実はその答えを求めてはいません。答えを聴いているテイで、次の瞬間対話の中心を自分の話に持っていきます。質問された側はいつの間にか聴き手側になっているのです。あまりにも自然な流れなので、「あれ?私は何を聴かれたのだったかな?そしていつの間に私は聞き役になっているのだ?」という少しモヤッた状況になります。いえ、その疑問さえも浮かばない人の方が多いかもしれません。そして質問した側の人も、その事に気づいていないことが多くあります。

私のような仕事は、この「話したい」心理を活用して、誘導的にその気のない相手を「話させる」という方向に持っていきます。

話したいけどきっかけが掴めない。聞きたいことがあるけどなかなか言い出せない。といった場合も同様です。それは私たち接客業には欠かせない対話術でもあります。

初めて訪れたお店で、買う気はない場合、店員さんが寄ってきて話しかけられると嫌だな、と思うことはよくあると思います。そういった場合、お客様はなかなか心を開いてはくれません。そこでまずは自分のことを話します。ほんの少しです。長々と話すことは逆効果ですので塩梅が難しいのですが、お天気や季節のことなど、何か当たり障りの無い話題の中に、ほんの一言、自分のことを入れるのです。例えばこんな具合です。

「こんにちは。今日はお天気がよくて気持ちいいですね。でもこの頃気温の変化が激しくて、何を着ればいいか分からないんですよね」

上の言葉の最後の部分「何を着ればいいか分からない」が自分のことです。それを聞いたお客様は二通りの受け取り方に別れます。
「そうなんですよね、朝は寒いし日中は暑いし、今日も何を着るか悩みました」
という具合に同調してくれる人もいれば、
「そうかしら?私は迷うことはないわ」
と反発心を持つ人もいます。いずれにせよ、私の投げ掛けた言葉に対して何らかの心の動きがあるわけです。そこでそのことを実際に言葉に出してもらえれば、私の思う方向へと対話を広げていくことができます。反対に何の返答もなければ「ああ、放っておいてほしいんだな」と分かるわけです。
どちらにせよ、次の一手が読めるのです。

本当のところは「今日は何を買いに来られましたか?」と聞きたいのです。しかしそんな質問はお客様にとっては愚問です。別に買おうと思ってないし、ここで買うなんて言ってないよ、となります。怒りだす人もいるかもしれません。なので私はその答えを引き出すための種まきを少しずつしていきます。

対話のきっかけに過ぎないのですが、上の質問はお客様の心を開かせるため、そしてご自分のことを話してもらうための最初の手段になるのです。いきなりドアを開けるのではなく、コンコンとドアをノックするようなものです。

「そうなんですよね、朝は寒いし日中は暑いし、今日は何を着るか悩みました」というように、自分のことを話し出されたら、そこからは質問に切り替えます。
「もう夏物は買われたんですか?」とか「この時期は羽織ものがあれば便利ですよ!お持ちですか?」などと投げ掛けると、手持ちのものや足りないものの話へと繋げていくことができます。そこからお客様の「自分語り」が始まることが多くあります。現状を聴いてもらいたいのです。

例えば、「先日買ったは良いけれど素材が薄くてまだ少し寒いんです。もう少し厚手の羽織が欲しくて」とか、「最近急に太ってしまって着る物が合わなくなって」とか、「介護している母に脱ぎ着しやすい服を探していて」など、ご自身の抱える悩みだとかここにきた目的などを聞き出すことができます。自分の話を聞いてもらいたいけれど、いきなりはなんだか話しにくい。初めて訪れた店の販売員に対する警戒心もあります。それがちょっとした会話のきっかけがあれば、堰を切ったように自分語りを始める人は結構いらっしゃいます。

現場ではそこから販売に繋げていければ一番いいのですが、うまくいく時もあればいかない時もあります。身の上話を懇々と話して、満足して帰られてしまう場合もあります。

何のための質問なのか。その質問によって対話をどの方向へと持っていきたいのか。それが明確にあれば、質問という名の対話がお互いに身のあるものへと広がっていくのではないでしょうか。


冒頭の嶋津さんの記事の中に、「関係性を築くことをないがしろにしていては良いコミュニケーションは築けない」とありました。自分のことしか見えていなければ相手に対する敬意を感じることもなく、ひたすら「自分語り」に走ってしまう。それでは少し残念な気がします。お互いへのリスペクトのもと、インタビュアーという立場にたった時は「聴く」に集中する。そしてインタビュイーは「話すこと」に集中することで初めて、未知の次元へと話を展開し、お互いに楽しむことができるのだと思います。

もしかすると人間は「聴くこと」に慣れていないのかもしれません。または「語りたい」に比べて欲求が少ないのかも。意識が薄いとも言えます。私はたまたま接客業だから仕事の上では目的を持った「聴くこと」ができるだけで、普段の生活ではできていないことが多くありそうな気がします。そしてそれは親しい間柄であればあるほど、無意識下で「自分語り」に陥っているのではないかと、自戒の念がわき上がりました。

まずは一番近い存在である娘と息子を相手に、「聴くこと」に集中する訓練をしようと思います。
「聴くこと」ができて初めて、「話すこと」に必要な心構えや、相手への配慮や気配りができるような気がするのです。それは人間の「語りたい」という欲望をグッと抑えることで見えてくる何かがきっとあるのではないかと思うからです。
それが何かはもう少し考えてみたいと思いますが、対話をライフワークとされている嶋津さんの「聴く力」をいつも感嘆の思いで見ているからかもしれません。こうありたいな、こんなふうに人の話に相槌を打ちたいな、人との距離感をこんなふうに取るといいんだな、と勉強させてもらえます。

コミュニケーションの要でもある「対話」。それは私たち人間には欠かせない一つの手段であり、うまくいけばとても素敵な関係性を作り上げることができます。場合によっては必ずしもそれは必要ではないのかもしれませんが(言葉などなくてもコミュニケーションを取ることは可能ですから)、あくまでも可能性を上げるための一つの手段として、「聴く」という術は今後も磨き続けていきたいなと思います。

今日はそんなことを考えていました。
それではまた。


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