一生懸命な人
だいたい5週間毎にヘアサロンでカットとカラーをしている。
ひと月(4週間)ではなんとなく不経済だし、ひと月半(6週間)だと根元の白髪が耐えられなくなるので私は5週間と決めている。
コロナが始まってサロンに通う頻度を下げるためにしばらくの間セルフカラーを(たまにカットも)していたため、気がついたら髪の状態が最悪になっていた。バサバサでツヤがなくなり、色ムラができて非常にみすぼらしかった。
再びサロンでカラーをしてもらうようになって約一年、ようやく元の元気な髪質に戻ってきた。やはりプロに任せるべきだね。もう二度とセルフカラーはしないと心に誓う。(上手にできる人はいいですけれど。そしてダメージが気にならないのなら)
私の担当の美容師さんは40代前半の独身女性。そのサロンで一番人気のベテランだ。常にひと月先まで予約が埋まっているので、必ず帰りに次回の予約を入れるようにしている。そういう意味でも5週間というのは都合がよいのだ。
施術中はひたすら話す。というより、毎回質問攻めにあう。これ、なんかのインタビュー収録ですか?みたいになる。
例えば食生活で何か気をつけていることは?という話から“油“談義になり、グレープシードオイル推奨派の私のウンチク話に耳を傾けてくれたり、お料理やらワインやら外食するならどこがいいとかあそこのスーパーは野菜は何曜日がいいとか。健康や美容や身体の話は尽きなくて、女子トークならぬオタク井戸端会議は永遠に続く。
先日は本の話になった。
前回の時に私が紹介した本を数冊読まれたようで、その感想と、その本に対する私の見識を聞きたいと色々質問された。
紹介したのは臨床心理士の東畑開人先生の著書。
その他数冊。
中でも彼女の心に響いたのは 「居るのはつらいよ」 だったようで、自分のこれまでの在り方や人への接し方や話し方や聞き方など、深く考えさせられたと言っていた。
私も彼女も、接客業という仕事柄、人間の心理について興味があるという点が共通しているので、その手の話は気が合うし話し出したら止まらなくなる。
彼女と話していて思うことがある。
美容師という仕事は手を動かしながら人と話をしなければいけない。
これは相当高度な技術がいるはずだ。
これまで何人もの美容師さんに髪を切ってもらってきたけれど、彼女ほど話を途切らせずにずっと喋り続けている人に出会ったことがない。
人によっては一言も話さない場合もあった。特に男性美容師さんはありがちな気がする。それは女性客に対する「下手なことは喋らない」という気遣いもあるのだろうけれど。
喋らないのは仕事に集中している証拠だし、切ってもらっている側からしてもその方が居心地が良い場合もある。話に夢中になって手がお留守になってしまっては本末転倒。しっかり仕事してよと逆にこちらが落ち着かない。
黙って仕事に集中するスタイルの美容師さんの時は、こちらもそのつもりで目の前に用意された、私向きだと慮られた雑誌(たまに全く違う嗜好の時もあるがそれはそれで面白い)を黙ってぼんやりと眺めていればよいので気も楽だ。
気を利かせて話かけたつもりが的外れな質問だったり、逆に客を困惑させたり居心地悪くさせたりすることはよくある話だ。
彼女の場合、決してお愛想でテキトーに話しかけたりはしていない。忙しくて隣の客と掛け持ちで行ったり来たりすることもあるのだが、隣の客に付いた時の彼女の話し方とテンションは私に対するそれと同じではない。一人一人に真摯に向き合っているのがよくわかる。
先日もそうだった。
隣の男性客に対しての話し方は非常にさっぱりとしていて一定のテンション、話す内容も客の趣味の話や近況など、彼女は聞き役に徹しながらも、相手が話しやすい合いの手を入れつつさりげなく客のテンションを上げていく。
彼女と年端の変わらない男性客は、最初ある意味少し緊張気味に話し出すが、彼女はその壁をあっという間に上手に溶かしてしまうのだ。数分も経たずして客は笑顔になり、話モードに入っていくのがよくわかる。彼女は相手をリラックスさせるのがとても上手い。私はいつもその様子を伺いながら、感心するのである。
異性相手にこれができるのは、やはり美容師さんならではなのかも知れない。
髪を切るという仕事は、直接相手に触れるという特別感もあり、心地よく過ごしてもらうために会話でもリラックスさせなければならないのだから大変だ。黙って切る職人気質タイプの美容師さんでも、意思疎通のための最小限度の会話は必須なのだからそれなりに気遣いや気苦労はあるだろう。
そんな接客上手な彼女だが、私に付いた途端に“マジモード“にスイッチを切り替えてくる。
「この前教えていただいた本、読みました!」
紹介した東畑先生の本の話だ。
彼女の目がキラキラと輝き出す。
「図書館で借りてきて、延長して読みました!」
なかなかの本気度合だ。
そして私は本の内容についての質問攻めにあう。
「あの時の臨床心理士の言葉って、どういう意味なんでしょうか」
「あのエピソード、私的にはあんなふうに返せないなと感心したんですが、verdeさんならどうします?」
「先日、本の通りにお客さんとやりとりしてみたんですがうまくいかなかったんです。それって何が悪かったんでしょうか?」
「仕事のできる若い女性ってとても生きづらいと感じている人が多い気がするんですけれど、やっぱり本にも出てきましたよね!あの女性に関してどう思います?」
もう、次から次に。私は臨床心理士ではない。
「あのね、まぁ人間それぞれに悩みはあるよね。ケースバイケースだし、カウンセリングに行ったところで良くなる人もいればダメな人もいる。内省は必要だよね。どんな場合も。まずは自分の状態を客観的に判断できないと、次の段階へはいけないと思うよね」
などといい加減な返事をしながら、耳の横あたりの分量をもうちょっと軽くして欲しいんだけどわかってくれてるかな?と心配になったりする。
「あぁ!内省ですか。そうですよね!」
そういって耳の横の毛の分量をサクサクと華麗な手捌きで調整してくれる。ホッとしながらも彼女の頭の中はどうなっているのだろうと不思議に思う。
髪を切ることはできて当たり前なのだから、オートマティックに手は止まらない。そして本の話に夢中になる彼女を感心しながらも愛しく思う。
私の興味に付き合ってくれているのだ。
あぁ、大変だなぁ。私も頑張らねば。
彼女に髪を切ってもらうたびに、そんなふうに姿勢を正す。
「まだ読んでないものもあるので、次の時までに読破しておきますね!またお話聴かせてください!」
いつでも本気モードの彼女に、今度はもう少し肩の力を抜いて楽に生きられるような本を紹介しようと思う。
喋りっぱなしでいつもあっという間にカットとカラーが済んでしまう。
そしてその間、次々と繰り出される質問に答えた心地よい疲労感と共に、彼女は私に不思議なやる気モードを与えてくれる。
一生懸命な人って、話す相手にも自然と力を与えているんだな。
お会計を済ませ次回の予約を入れて、送り出してくれる彼女に笑顔で手を振る。
今日もありがとう。私もまた新たにインプットしてきます!
今度はどんな質問攻めにあうのだろうかと、一抹の不安を楽しみに変えながら。
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