【読書メモ】ソウル・ハンターズ:シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学
『ソウル・ハンターズ:シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』レーン・ウィラースレフ著、奥野克己・近藤祉秋・古川不可知訳、亜紀書房、2018年。
デンマークの人類学者レーン・ウィラースレフ(Rane Wilerslev)の Soul Hunters: Hunting, Animism and Personhood among the Siberian Yukaghirs. University of California Press. 2007. の邦訳版。今まで、ティム・インゴルド(Tim Ingold)を読んできた流れで、このウィラースレフに辿り着きました。
著者のウィラースレフ氏は、イギリスの大学で教鞭を執ったり、デンマークやノルウェーの博物館勤務を経たりして、現在は、国立デンマーク博物館の館長を務めています。タイトルの通り、本書は、ロシアのシベリア地域の狩猟民ユカギールについて、特にアニミズムの視点から取り扱ったものです。とはいえ、本書の最終章の題にもなっている「アニミズムを真剣に受け取る」という言葉に表れているように、ウィラースレフの考えるアニミズムの概念は、既存のアニミズムの概念と異なっていて、そこが非常におもしろいところです。
僕は、自身の研究で、南米コロンビアの先住民族ワユーにお世話になっているのですが、このところ、ひたすらワユーに関する先行研究を改めてしっかりと読み漁っています。その中のひとつに、ワユーのシャーマンの夢による病気診断・治療の民族誌があり、おもしろいなぁと読み終えたところでした。アニミズムについて、何か最近のものを読んでみようと思い、この本を手に取ったわけです。インゴルドの流れで、というのは、本書はインゴルドの考えに大きく影響を受けて書かれたものだからです。また、ウィラースレフの博士論文の審査員はインゴルドだったそうです。
さて、例によって、全体をまとめるようなことはせずに、気になったポイントだけに触れることにします。
「アニミズム」というと、現地の人びとが信じている超自然的存在は、人びとの社会関係やシステムを維持するような意味付けがあり、そのようにして、アニミズムはアニミズムとして体系だったものがある、という考え方があります(ウィラースレフを読みつつ、自分なりにかなり噛み砕いて書いていますので、あしからず)。
文化相対主義という立場から、アニミズムというのは、我々の宗教や信仰とは異なったものではあるけれども、そこには優劣があるのではない、アニミズムもまたひとつの知識の体系である、という意味では問題なさそうですが。。
でも、ウィラースレフの「アニミズムを真剣に受け取る」という立場からすると、そうしたアニミズムの考え方はちょっと違うんじゃないですか、とストップがかかります。
それは、著者がフィールドワークで経験したことに基づいています。現地の人びとに、精霊に関する言動について「なぜ〇〇をするのか?」と問うたとき、たいてい「わからない」「なぜ、そんなことを聞く」とか、「それは、そのようにしてきたから〇〇をするのだ」といったような返事があったそうです。
ウィラースレフは、こうした現地の人びとの「あいまいさ」に着目しました。観察者による考え方としての、アニミズムはその中での体系があり、それぞれの言動には意味がある、というものは、本当にそれでいいのだろうか、と。それは一見、差異を認めているようではあるけれども、でも結局は、自分たちの考え方、つまり、宗教(信仰)というものは体系がある、という自己の考え方に固執しているのではないだろうか、と。
そこに、ウィラースレフの「アニミズムを真剣に受け取る」という想いが込められていると思います。精霊に関する言動の「意味」とか「理由付け」が重要なのではなく、人びとがそれをおこなうことそれ自体、つまり「行為」自体こそが重要だ、とウィラースレフは主張していると理解しました。
どうしても、「なぜ、それをやるのか?」と、考えてしまいがちです。でも、現地の人びとにとっては、その状況の時には「それをやる」、それをやらないと、その状況はうまく運ばれないから。それ以上でも以下でもないのかもしれません。
このあたりのこと、しっかり頭に入れておきながら、僕もワユーの人びとと関わっていこうと思います。
真心こもったサポートに感謝いたします。いただいたサポートは、ワユーの人びとのために使いたいと思います。