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統合失調症とわたし

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20歳でうつ病と診断され、統合失調症を患うアラフォーの私の、約二十年近くにわたる闘病記です。 私と同じ病気や、精神疾患を患っている方に今まで経験してきたことを書いていくので少しで…
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番外:統合失調症とわたし

番外:統合失調症とわたし

さて、改めて統合失調症についてここでおさらいしたく思います。

統合失調症は、治る病気ではありません。何故なら、脳の病気だからです。脳の病気と言ってもピンとくる方はいらっしゃらないかと思いますが、脳内で情報を伝える神経伝達物質のバランスがくずれることが原因で起こり、その所為で幻聴や幻覚、または気分の落ち込みなどの症状が現れます。

そして、陽性症状の主な症状は幻覚や幻聴で、薬で抑えることが比較的簡

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出張!統合失調症と私①

出張!統合失調症と私①

さて、ここではコメントいただいたことに対してのお答えを書こうかと思います

質問の内容としては要約すると「薬以外に心のリハビリが必要なのでは?」といったものでした。

心のリハビリといってもいろいろありますが、陰性と陽性ではまったく話は違ってきます。質問の方が陰性であるのならという前提で答えさせていただくと、本人がリハビリが必要だと思えばやる意味というか、意義があるのだと思いますが、私も統合失調症

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統合失調症とわたし⑱

統合失調症とわたし⑱

では、薬について詳しく掘り下げていこうと思います。

薬……これに関しては、統合失調症の人だけではないのですが飲まないと生きて行けないものです。寧ろ、薬は仕事と考えた方がいいかもしれませんね。薬を飲むのを拒否する患者さんもいるようですが、これだけはどう足掻いても逃げ切れません。薬に生かされているようなものなのです。諦めて飲み続けるしかないと、私は結構あっさりと受け入れてしまいましたがそうでない方も

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統合失調症とわたし⑯

統合失調症とわたし⑯

私が首を切って疲れ果て眠っている間、母は通っていたH病院を訪ねてました。私が首を切って自殺しようとしたこと、そしてそれは未遂に終わったことを。

すると、漸くH病院も事の重大さが分かったのか、しっかりした精神科にかかるべきだと助言をくれ、車で片道三十分以上かかるM病院を紹介されました。

こここそが、私が辿り着いた最後の救済所でした。でなければ、私は多分いまここには居ないと思います。

そして首を

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統合失調症とわたし ⑮

統合失調症とわたし ⑮

※ここから少しグロい表現が入ります。ご注意ください。

随分長いこと更新していなくてすみません。書き物の方が忙しくてこちらに手が回りませんでした(汗)

さて、本題に戻りましょうか。

『死』というものについてです。

医者に処方された薬も効かない。体調はずっと芳しくない。そんな状況の中、こんなことがずっと、大げさかもしれませんが死ぬまで続くのか。そんなことを思いました。

リストカットを繰り返し

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統合失調症とわたし ⑭

統合失調症とわたし ⑭

身体の強張り、と聞いて皆様は何を想像されるでしょうか。このnoteを書いていてふと思いまして。

私はもうこの症状は日常茶飯事なので強張り、と書けば分かるだろうと思っていたのですが、詳しく説明すると。

身体にずっと、力が入っているような。例えば緊張すると身体って全身に力が入って強張りますよね。それがずっと続いているような感じです。この症状は、ある程度は薬でなんとかなりますがそれでも、何十年経った

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統合失調症とわたし ⑬

統合失調症とわたし ⑬

H先生はどうやら、薬が足りていないということが分かっていなかったみたいです。けれど、当時の私にはそれが分からなかった。まあ…知識も何もないのですべて医師の采配で処方というか対処が決まるわけですが。

H先生は話を親身に聞いてくれました。しかし、前回にも書きましたがこの病気には薬しか効いてくれません。

言ってみれば『薬がすべて』なんです。ハッキリ言ってしまえば。薬でしか良くはならない。

しかしそ

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統合失調症とわたし ⑫

統合失調症とわたし ⑫

随分と長い間、ご無沙汰しておりました。

さて、前回の続きから始めたいと思います。

そのH診療所。わざわざ予約の時間も取ってくれ、無駄な時間を減らしてくれたりとても待遇が良かったのを覚えています。

それになにより、J病院と同じ薬を処方してもらえると知って私はすぐにH診療所に乗り換えました。あの頃は今のようなセカンドオピニオンだとかそういった言葉もない時代でしたので乗り換えは簡単で、私はH診療所

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統合失調症とわたし ⑪

統合失調症とわたし ⑪

寒い季節の中、会社を辞めた私は次なる病院探しを始めました。

こう、…親身に話を聞いてくれて、きちんとした『効く薬』を処方してくれる病院を探そうと。

今の時代でしたらネットといった手段があるのですが私が20歳の頃はネットなんてまるで普及なんてしているわけもなく、頼りの綱は電話帳でした。その電話帳に載っている精神科を懸命に探し、ある病院を見つけました。

私はその頃、なぜこんなに必死になっているの

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統合失調症とわたし ⑩

統合失調症とわたし ⑩

とうとうこうやって体験記を書き始めて十話目になりました。そこで、今回は特別編というか『リストカット』について書こうかと思います。

『リストカット』または『リスカ』。

私の両腕には、数えきれないほどのリストカットで作った傷があります。大きいものから小さなもの。腱が切れたのか、凹んでしまった手の甲の傷。

人によって理由は様々だと思います。けれど、一番よく聞く理由として上げられるのが

『生きてい

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統合失調症とわたし ⑨

統合失調症とわたし ⑨

以前書いた二度目に通った病院についてさらりと流してしまった形になったのでもう一度、今度はもう少し詳しく書いてみようと思います。

精神病の患者で一番大きいのは医師の存在と薬の存在だと私は思っています。

私の友人は、担当の医師に話を聞いてもらえず薬も効かず…追い詰められ、その挙句、自分で命を絶ってしまいました。

その友人はよく言っていたものです。

「先生が話を聞いてくれない。どころか、話を中断

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統合失調症とわたし ⑧

統合失調症とわたし ⑧

私のこの病気『統合失調症』は初めからその病名がついていたわけではありませんでした。

私は初め、どこの病院でも『うつ病』として扱われてきました。しかし、病気は悪化の一途を辿り、今通っているまさしく命の恩人的な病院で精神鑑定をし、そこで初めて私の病名は『うつ病』ではなく『統合失調症』へと変わりました。

その話は後々ということで。

一番初めに言った病院のことは覚えています。今から約二十年前のことで

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統合失調症とわたし ⑦

統合失調症とわたし ⑦

人間、誰しもレッドゾーンが存在していてそこを超えてしまうと、感覚がなくなる。疲れていたとしても『疲れた』と認識出来ているうちはレッド―ゾーンには突っ込んでいなく、その感覚がなくなった時が本当に危ない時。

そうなると、感覚がすべて麻痺されて疲れも何も感じなくなる。そこが、自分のレッドゾーンだと知らなければならない。気づいて、ケアしてあげなくてはならない。しかし、気づかせてくれないのがまさしくレッド

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統合失調症とわたし ⑥

統合失調症とわたし ⑥

ゴルフ場のバイトと菓子工場のバイトで疲れ果てた私は、少しだけ休むことに決めました。

もちろん、仕事情報誌みたいなものは見ていたし新聞に入ってくる求人広告も毎回欠かさず見てましたが、とにかく疲れていて。母も「無理しなくてもいいんだよ」と優しい言葉をかけてくれたので、それに甘えゆっくり過ごしたその一か月後…私はいくつものバイトの面接を受けました。

ゴルフ場のバイトで人相手というのはこりごりだったの

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