コロナ後遺症その後

しばらく書いていなかったのでその後

現在4月末にコロナ感染してから 9ヶ月ほど経過。振り返ってみました。

2022年5月)
ゴールデンウィークは家族も含め自宅で軟禁状態の為、どこへも連れて行ってやれなかった。

後遺症が残っているということで近くの後遺症外来を受け付けてる病院に通い始める。
CTスキャンした結果、肺に炎症が起こっていることが分かる。
血栓がたまっていないかという検査を受けた結果特にそこに異常はみられなかった。
医師の判断は安静にすること、生活でどうしても動かないダメという事以外、
基本安静にすべきであるということだった。

その後の対処としては漢方薬を一日3回服用し、症状痛みや倦怠感を和らげると言う治療を取った。 

効果覿面とまではいかないが、飲んでるうちは少しでも安心感はあったと考えられる

そんな状況を会社に報告し、5月からテレワークすること、予定していた健康診断を延期 ということにした。

また、当時大きなプロジェクトマネージャーとして仕事を抱えており、 既に展開時期にあったため テレワークでも十分指示を出せる状況にあったのが幸いだった。
また自分が営業職であり、数字を上げてなんぼの世界である。
テレワークでありながらプロジェクトで社内でもトップクラスの成績を出していたため、
特に会社からは問題認識はなかったとみられる。

ただ、期の変更時期で引き継ぎ作業業務があり、色々課題を残してしまったことは事実である。
属人化する仕事は極力排除という考えを持ったのもこの時期でもある。

当時家庭内でも動けない体だったので非常に妻や子供達にも迷惑かけたと思う。
幸い家族内で感染をうつることなく、子供達も学校や保育園を休む日数も少なくすんだ事が幸い。

2022年6月)
この頃、別のプロジェクトも並行して進めており、 ずっと自宅にいるのも嫌気がさしてきたので そろそろ出社して 
業務の遂行を一気ににしてしまおうという考えが出てきた。

ある納品業務の陣中見舞いで現地に伺い、
ダンボールを片付けする途中でめまいがしてきたという状況だった。

このころ展示会もあり、一度参加してみようという気持ちが出てきた。
結果とても常時立ってられる状況ではなく、間で休憩していた。

連休は淡路島ドラゴンクエストアイランドに行き、休憩しながら ではあるものの 家族とともに一緒に過ごせたことが非常に嬉しかった。

ある意味このいくつかのイベントで苦しいながらもリハビリが必要な事を理解した。

その後の緊急事態宣言解除後に出社を開始。
出社したりしなかったり、出社しても外回りすることはほとんどなかったように思います。
出社が体力を戻すリハビリとして考えていた。

2022年7月)
出社に対して特にしんどい辛さはなくなっては来た。
仕事でも組織変更があり、今まで以上に 頑張ろうという気持ちが湧いてきた。
この頃でも左胸背中側に痛みがあった。
動かしている二つのプロジェクトもいよいよ大詰めになり、 夜間の早朝も電話対応が続いた。
この頃は既に階段登ってめまいがするという症状はほぼ落ち着いていたかと思います。
ただマスクしての階段登ることは本当に厳しかったので マスク内に空間を作るような器具をつけていました。
一方1日だけ仕事でお世話になってる方々と お会いし、お互いコロナ感染したことで辛い思いしたことも分かった。

世間では東京オリンピックが開催された。
すべてを見たわけではないが 開催できることがすごく良かったと感じた。
声援がほとんど聞こえない中での自分自身との戦い、 人と人との技の戦い、 このオリンピックに出れるか出れないかという不安、世間から色んな声がある中、 歴史に残る時代の中で 披露する場があったことは非常に意義のあった大会ではないかと思う。

当時自分自身が思うように動けない体であることが余計に人の技の素晴らしさを感じました。

2022年8月)

お盆休みに家族で和歌山へ旅行へ行き、 すでにポロポロになるとだいぶ体力が戻ってきたかなという実感が湧いてきていた。

世間ではワクチン接種が始まり妻とともに申し込みを開始
この頃だったか抜け毛が 多くなっていた。
調べるとどうもコロナ感染の後遺症の症状の治る頃にそんな症状が出るという記載を見つけた。
気持ちとしては複雑、コロナが治っていることで毛が抜けているのか
年齢のせいで毛が抜けているのか
どちらかの不安であった。

2022年9月)

祖母が他界する。 享年97歳。
コロナの関係で参加者は限られたが、長男も式に参列してくれた。 
長男自身は曾祖母のことを覚えていなかったが、 「天国で見守っていてください」という言葉を書いてくれた。

約一週間後
妻の叔父ががんで他界。 妻や妻の親の悲しむ姿を見ているとやはりこちらも悲しくなる。

身内が亡くなるのを続くとやはり精神的にはきつい。
同時に不自由ながらも生きていて、家族がいることに改めて強く感謝を思った。

ワクチンを自分が受けていいのかどうかということで病院に確認。
結果問題なし。
CT スキャンでも肺の炎症が綺麗に無くなっていることもあり、 仕事もできて出社もできているのであれば良いという判断。ただし無理をしないようにということで漢方薬をまた渡される。
ここで体力が低下していることにより、すぐ疲れるということでリハビリ運動はしてよいかという質問をした。
医師の回答としては年内いっぱいは運動するというようなことはやめておいた方がいいということだった。

長男のピアノ発表会があり参加させていただいた。
今まで以上に思うことがあり、感極まる部分が多かった。
音合わせする時間も無く、それでもこのコンサートに出れることに喜びを感じている子どもたちの姿そして演奏能力の高さに非常に感動しました。
「威風堂々」

学生時代の同級生、バンドを組んでた、現在プロとして活躍するギタリストのコンサートに呼ばれ参加してきた。
これも先日の子供のコンサートとは違い生き生きして 人前で演奏する姿に「生き方」を感じた。
そして 映像だけでは感じられない生演奏の素晴しさ、人と人とのつながりが何よりも大事であることを痛感した瞬間であった 。

2022年10月)

緊急事態宣言を受けていたこともあり自分の体力も少し戻っていることから 出張も行くようになっていた。
しかしながらやはり 移動中の乗り物による振動でダメージはいままで以上に残る。
ある程度の気合いで 出張先の仕事のなんとか乗り切れたと考えられる

予定通り1回目ワクチン接種した。
すぐにめまいが発生したのでコロナ感染した時の記憶が蘇った。3日ほどで正常に戻る。

抜け毛もこの時期にはまだ続いていたと考えられる。

2021年11月)

2回目ワクチン接種完了。症状変化はほぼ無し。
抜け毛はほぼなくなり ほぼ回復に向かっているという実感が出てきていた。
ただし食欲がやたらと増えており体重も増加傾向となった。
体力はないのに食べるだけ食べるから当然か。
一方子供達もスイミングスクールの進級がすすみ楽しいと言い始め、
自分自身も早く運動したいと思い始める。

またこの状況の中で来年度の大型受注がが決まった。
この流れにより テレワーク中心でもそれなりに仕事の成果は出せるという自信がつく。
改めてこの職種で何とか良かったと思えた。

同時に世界的に半導体不足と言う状況下の中
影響が危ぶまれると考え始めた。

2021年12月) 

来年1月以降の仕事に対して考える場面が多くなり、また社内改革調整も含めて進めていた事から非常にピりついていたと思う。
体力も支障がないぐらい戻ってきており、 精神的にも戻ってきていた。
自分の中でも吹っ切れた状況で仕事に没頭しようとする状況だったと考えられる。

会社の元後輩が転職後、 飲食店を出店し仲間と共に 食事してきた。
生き生きと働いてる姿に安心感。
そして仕事仲間たちと 食事する機会もあった。
改めて自分は一人で生きていないと思える瞬間だった。

2021年、思い起こせばかなり激動していました。
転籍から始まり
自分を引き抜いてくれた社長が急遽亡くなり、
後任は自分の転籍を取り持って頂いた親会社の役員が兼任として就任され
その後、コロナ感染して本当に日常が変わりました。

総括すると
「あたりまえがあたりまえでなくなった一年」

言い方を替えれば「ありがとう」を見つけられた一年でした。


2022年1月以降はまた後日...

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