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勝手に10選〜80年代 イカしたROCK 邦楽編(前編)〜

(前記)

これまで勝手に10選と題して、色々な角度から自由気ままに曲をセレクトしてきた。

先日ぼんやりと自身の投稿を見ていたところ、とんでもない事に気がついたのだ。

1980年代が無い。なんたる事だ。
60年代、70年代、90年代については記しているのに80年代だけ何故だかすっぽりと抜けている。

自身の物心がつき、音楽に目覚め、10代の大半を過ごした80年代だ。
半生を振り返ると、様々な事を柔軟に学び、経験し、怖いもの知らずで大いに遊び、人生の土台みたいなものが形成された時代だ。

やるしかない。

という事で今回は80年代の楽曲を前編、後編に分けて勝手に10選する。

・雨あがりの夜空に

1980年にRCサクセションによって発表された曲だ。

今やRCサクセションの代表曲の枠を超えて、日本におけるロックンロールのスタンダードといえる、実にキャッチーでイカしたロックンロールだ。

元々は盟友である仲井戸麗市(チャボ)さんと、ライブにて盛り上がる曲を作ろうと、2人で仲井戸さんの自宅にて制作された為、作詞作曲は清志郎さんとチャボさんの連名になっている。

曲の構成はAメロ、Bメロ、サビとシンプルな構成で、ギター、キーボードが主軸となる軽やかかつ、華やかなロックンロールだ。

盛り上がる事を狙っただけに、Aメロや、AメロからBメロに以降する箇所であったり、盛り上がりどころが満載である。
サビに至ってはブレイクを多用し、更に盛り上がり度が実に高く、実に気持ちの良いロックンロールなのだ。

歌詞は、実際に清志郎さんの車が故障したエピソードが基盤になっているが、車を女性のメタファーとして、今宵1発やれない男の事にするところはさすがである。

1980年代の幕開けに実に相応しい、ゴキゲンなロックンロールなのだ。


・OH MY LITTLE GIRL

1983年に尾崎豊さんによって発表されたアルバム"十七歳の地図"に収録された曲だ。

実に美しく、暖かく、優しいラブバラードである。

当時17歳の尾崎豊さんは、この曲が完成した時に、名曲ができた、と自画自賛したが、周囲からの評価は芳しくなく、アルバムの中でも曲順など不遇の扱いをされてしまった。

しかし、40年近い時が過ぎた今でも様々なアーティストにカバーされ、映画やドラマの主題歌に使用され、歌い継がれている。
尾崎さんの没後、1994年にはシングルカットされ、ミリオンセラーを記録している。

当時の17歳であった尾崎豊さんだけが、この曲の真の魅力を確信していたのだ。

尾崎豊さんの歌詞は、素直が故の疑問、反抗、自身の葛藤、そして、やるせなさ、前向きなメッセージだったりのイメージが強いが、この曲は実にピュアなラブソングである。

曲の構成はシンプルでAメロとサビから成る。
澄んだ美しい、まだあどけなさも残る歌声でAメロは淡々と歌われる。

サビは力強さが増し、メロディライン、抑揚も見事に素晴らしいメロディラインを歌い奏でる。

実にイノセントで、ストレートで、どこか切なく、反面とても暖かい大名バラードなのだ。


・止まらないHa〜Ha

1986年に発表された矢沢永吉さんのアルバム"東京ナイト"に収録された曲だ。

実に重厚感と疾走感を持つ、これぞ矢沢永吉さんだ、と貫禄すら感じるロックンロールだであらである。

今や矢沢永吉さんのアイコン的な曲であるが、この曲はシングルカットされていない。
しかしながら、今日まで絶対的な存在感がこの曲にはあるのだ。

イントロから前奏の地点でシンセサイザー、オーケストラ、ギターなど、実に豪華かつ煌びやかな重厚感を放って、このイントロと前奏だけで、矢沢永吉さんがバイクにまたがる姿が想像出来てしまう。

歌詞の内容は、完全に魂をロックンロールに奪われたロックンローラーの叫びの様で、作詞こそ矢沢さんではないが、矢沢さんのボーカルがオケに乗ると、矢沢さんそのものの叫びに聴こえる。

曲の構成はサビ、Aメロのみとシンプルで、シンプルだからこその一体感が得られ、実に爽快なロックンロールなのだ。

矢沢さんのライブでは、有名なタオル投げをオーディエンスがする定番曲である。
筆者も参加した事があるが実に壮観なパフォーマンスだ。


・NANA

1986年にチェッカーズのシングルとして発表された曲だ。

チェッカーズ、と聞いた方はチェックの衣装に、テクノカットで、涙のリクエストなどを連想される方々が多いと思う。

しかし、それはチェッカーズというバンドの10年間の活動期間において、最初の3年弱である。

そもそも、アマチュア時代はドゥーワップをメインとしたリーゼントのロックバンドであり、アマチュア時代からもオリジナル曲を製作していた。

チェックの衣装、曲、アイドル性は事務所の作戦でしかなかったが、それなりにメンバーは楽しんでいた様子だ。

しかし、元々が根からのロックミュージシャンであり、作詞、作曲のスキルもある上にテクニックも向上すればオリジナルの曲をやりたくなる。しかし、事務所は路線を変えさせたくない。

相当、事務所と揉めた末に家出状態で事務所から独立し、アイドルグループからロックバンドに見事に変貌、回帰したチェッカーズのメンバーによる初のオリジナル、セルフプロデュースとして完成したシングルがこの楽曲なのだ。

作詞は藤井フミヤ(郁弥)さんで、作曲は弟の藤井尚之さんである。

実に重厚感がありながら突き抜けるロックンロールだ。
イントロと曲終わりは同じフレーズであり、この曲のある種象徴的なフレーズである。

前奏から藤井尚之さんのサックスが舞い踊り、メロディラインが艶っぽい。

Aメロはタイトな演奏をバックに、ねぇNANA、と語りかける様にフミヤ(郁弥)さんのボーカルが繰り広げられ、Bメロで緩急をつけて、サビは見事に突き抜ける、実に聴いていてメリハリのあるロックだ。

演奏において思う事は、尚之さんのサックスが前奏、間奏だけではなく、曲の中で見事なアクセントとなり、曲を盛り上げ、間奏のソロも実に素晴らしい。

歌詞であるが、恋人と別れてしまい臆病になっている女性を口説く内容であるが、サビの"未来に感じ濡れてくれ"と、サビの最後"やろうぜNANA"が見事に引っ掛かり、NHKで放送禁止となったが結果的には良い宣伝となったのだ。

フミヤ(郁弥)さん曰く、最初は"寝ようぜNANA"だったが、周りから過激すぎると言われ"やろうぜNANA"と変えたが、より過激になって気に入ったそうだ。

チェッカーズが解散した後もフミヤさんによって歌い継がれ、一体いくつのアレンジがあるのだろう、と思ってしまうほどなのだ。

・リンダ・リンダ

1987年にザ・ブルーハーツのシングルとして発表された曲だ。

作詞作曲は甲本ヒロトさんが手掛けている。

中学生の頃だ。
音楽にやたらめったら詳しい友人から、ヤバい奴らがでた、と教わったのがリンダリンダだった。

すごい心地よいロックで歌詞がリンダリンダとシャウトしている。
とにかく、ぶっ飛んだバンドが出現した事の衝撃は半端なものではなかった。

"ドブネズミみたいに"とヒロトさんの独唱から始まりワンフレーズを歌い上げた後、一気に"リンダリンダ"と連呼する気分が高揚して堪らない、怒涛のロックンロールが始まる。

曲の構成はリンダリンダを連呼するサビと、Aメロと、ひとつのミドルエイトから成る。

なんと気持ちの良い、爽快感と疾走感に溢れるロックンロールだろう。

リンダという単語についてはヒロトさんは、別に意味はなく、リンダじゃなくてもなんでもよかった旨を発言されている。
確かにブルー・ハーツの"キスしてほしい"における"トゥー、トゥー"に意味はないだろう。
歌詞カードにもリンダリンダとは記されていない。

君、とはオーディエンスに向けてか、まだ見ぬ恋人か。いろんな捉え方が出来るが、この曲を聴く各々で気持ちが良い解釈をすればよい。
それが歌詞というものなのだから。

ドブネズミは金なんか知らないし、見た目なんか気にしないし、人を嘲ったりしないし、戦争なんて起こさない。

本当の愛や美しさの意味をチラリと感じながら、この疾走感が溢れる、痛快で軽快で愉快な素晴らしいロックンロールにただ身を委ね、その衝動に身を任せれば、それで良いのだ。


(後記)

後半へつづく

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