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地域のつむぎ手の家づくり| 地元で頼りにされる“杣大工”伝統構法を「もっと楽しくクリエイティブに」 〈vol.65/杣耕社:岡山県岡山市〉

【連載について】“地域のつむぎ手の家づくり”って、なに?
家づくりをおこなう住宅会社には、全国一律で同じ住宅を建てる大規模な会社や、各地方でその土地の気候に合った住宅を建てる小規模な会社など、さまざまな種類のつくり手がいます。その中でも、その地域ならではの特色や、そこで暮らすおもしろい人々のことを知り尽くし、家をつくるだけでなく「人々をつなぎ、暮らしごと地域を豊かにする」取り組みもおこなう住宅会社がたくさん存在します。 この連載では、住宅業界のプロ向けメディアである新建ハウジングだからこそ知る「地域のつむぎ手」を担う住宅会社をピックアップ。地域での暮らしづくりの様子をそっと覗かせてもらい、風景写真とともにお届けします。

今回の〈地域のつむぎ手〉は・・・


「伝統構法以外はやりません」。
そう話すのは、杣耕社(岡山県岡山市)社長の山本耕平さん

杣耕社社長の山本耕平さん

山本さんには、自分は単なる大工ではなく、地元の山から木を伐り出してきて、それを加工して家をつくる“杣大工”だという自負があります。設計から施工までを一貫して担い、手刻みで木を加工し、木の表情を読み解きながら適材適所で使いこなしていく―。地域工務店として、まっすぐにやりたい建築をやり抜く。山本さんには、その強い覚悟と信念があります。

「伝統構法以外はやらない」というポリシーに基づいて杣耕社が手がけた住宅の事例

地元で頼りにされる杣大工として山本さんは、何か困っている人がいれば「任せてよ」と手を差し伸べます。山本さんのような、いわゆる“町の棟梁的”な存在は、この令和の時代にあっては、「とても珍しい」と言っても過言ではないでしょう。

ただ、山本さんにとっては、そうした大工としてのあり方は、ごくごく「当たり前」。建築に対するこだわりとはまた別の意味で、とくに意識することなく地域の人たちの交流のなかで、そんなスタンスになってきたそうです。

担任との出会いがターニングポイント

山本さんは高校卒業、「やりたいことがなかった」と言い、地元・岡山でバーデンダーや工場で働いたりしながら、職を転々とする日々が続きました。

転機が訪れたのは22歳の時。「腰を据えて取り組めることを学びたい」と職業訓練校の木工課の門を叩きました。同課は造作家具のイロハを学ぶことがメイン。「CDをジャケット買いするような感覚で、面白そうだったから木工課を受験した」と山本さんは笑います。それが人生のターニングポイントになりました。

「木工課の担任の先生が変わった人で、最初の1週間はひたすら刃物を研ぐための砥石を摺り合わせる作業だった。当時はなぜそれをやるのか理解していなかったが、先生から『道具を自分の身体の一部だと思いなさい。職人はそこからがスタートだ』と言われたことが印象に残っている」(山本さん)。

山本さんの大工道具

道具を仕立て、木材を加工し、組み立てる—。山本さんは、まるで堰を切ったように、道具そのものにのめり込んでいきました。一方で、職業訓練校での学びは1年の短期間。実践的な授業を受けながらも、同時進行で卒業後の進路を考えていく必要がありました。

山本さんは「機械化が進めば家具職人は淘汰される。自分の手を動かしながら、長くものづくりを生業としていきたい」と考えるようになりました。そこで担任の先生から進言されたのが宮大工への道でした。

卒業後、岡山県内にある社寺仏閣の設計施工や改修を手がける新東住建工業(岡山市)に宮大工の見習いとして入社。「ほかの工務店がさじを投げる」ような難易度の高い重要文化財の修復などに8年半にわたって携わり、職人として確かな実力を養っていきました。

勢いそのままに独立

年季(大工としての修業期間)が明けるころのことでした。山本さんは、伝統構法を採用している自社と自分の技術へのプライドを培いながら、一方では特に住宅の世界で、自社とは全く違う工法がスタンダードになっていることに対して違和感を覚えるようになってきました。

日常の業務のなかで数百年前の古い建物を解体して直すことを当たり前に手がけ、伝統構法の優れた点を実感していた山本さんは、一般的な家づくりにおいても、それを生かすことができるはず、自分が設計から施工まで行えば、それを実証することができるのではないかと考えるようになっていきました。

そんなタイミングで偶然、設計事務所をしている知り合いのバンジャン(倉敷市)の和田洋子さんにから、「伝統構法の案件がある」と相談を受けました。そこで山本さんは、その仕事を引き受けるタイミングで思い切って独立・起業し、「杣耕社」の屋号を掲げました。

岡山市内にある同社の加工場兼事務所

杣耕社は、木組み・石場建て・土壁の伝統構法の実践をポリシーとしています。山本さんは伝統構法について、住宅にとって構造的なメリットがあるとの認識を示したうえで、「一番は自分がやりたい建築を表現できて、楽しいから」と語ります。「次世代に残すべき職人の技術と言われるが、正直、そんな大層なことを考えて建築をやっている訳じゃない。建て主に喜んでもらいたいだけ。それでいいじゃないですか」と笑顔で話します。

同時に、自身が経営者・杣大工として会社経営をしていくうえで、大工の世界にありがちな上位下達の封建的なマインドにもアンチテーゼを投げかけます。6人の大工を抱える経営者として、自身の経験を交えながら、山本さんは「時代に合わない徒弟制度のような“上が絶対”といった環境が現代に合っていないのは明らか。もっと楽しくクリエイティブな空気感で家づくりをしていった方が、職人も顧客にもプラスに働く」と話します。そうした経営方針を掲げる同社の自由闊達な雰囲気は、加工場や現場にも漂っています。

信頼のおけるパートナーと一緒に

山本さんには、全幅の信頼を寄せる経営パートナーがいます。アメリカ出身のストーレンマイヤー・ジョナサンさんです。

山本さん(左)と経営パートナーのストーレンマイヤー・ジョナサンさん

ジョナサンさんは、アメリカの設計事務所で設計を1年経験した後、職人の手仕事に興味を持ち、ノルウェーの伝統的な木船を造る親方に師事。ニューハンプシャーで1年半を過ごした後、日本に渡り中村外二工務店(京都市)で大工仕事に3年間従事した経験を持っています。

ジョナサンさんが、同社で年季明けしたタイミングで、「伝統構法の勉強会がしたい」と申し出て、杣耕社の現場を見学したことがきっかけで山本さんと出会いました。そこから交流を続けるうちに、ジョナサンさんの強い希望で、杣耕社で共に働くことになりました。それから約10年がたったいま、ジョナサンさんは山本さんもリスペクトする立派な杣大工になりました。

日本語が堪能で快活な性格のジョナサンさんと、言葉数が少ないながらも、人を包み込むような温かさがある山本さん。時には時間をかけて経営や家づくりについてディスカッションしながら、「自分たちのつくりたい建築を全うしていこう」と同じ方向を見つめます。お互いに助け合い、補い合いながら、これからも地元の木を用いた伝統構法による家づくりに打ち込んでいく考えです。

作業に打ち込む杣耕社の若手大工。国内だけでなくアメリカからも「杣耕社で大工をやりたい」という希望や問い合わせがあるという


文:新建ハウジング編集部










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