見出し画像

将来の夢はアイドル・モデル

1つ記事を書くのにこんなに時間がかかるとは…頭を使うとは…正直思っていなかったけれど想像よりも楽しい。

今日は幼少期の頃の夢について書こうと思う。

「変な子」と言われることが多い25年の中で1番最初にその言葉を言われた記憶は小学生の頃。
“自分の将来の夢をみんなの前で発表しましょう”という授業だった。私は迷わずに「アイドルになる」と作文用紙に書き大きな声で発表した。
クラスの子ほとんどが女の子はケーキ屋さん・幼稚園の先生、男の子は野球選手・サッカー選手と書いていてアイドルは1人だけだったから「なつめぐちゃんの夢って変」「アイドルになりたいとか恥ずかしくないの」と言われ笑われた。
“夢ってみんなと同じじゃなきゃいけないの?なんでアイドルになるのが恥ずかしいの?”とすごく思ったのを覚えている。

父と母が好きなアーティストのライブDVDやCDが常に流れ、姉の買ったファッション雑誌がいつも側にある環境で育った私はいつからかテレビの向こう側の世界に、雑誌の向こう側の世界に興味を持つようになった。
すごくきらきら輝いてみえたし大勢の前で、いつか自分も歌って踊ったりかわいい衣装を着て雑誌に載ってみたいと思っていた。
「なつめぐは将来アイドルになりなよ」「背が高いからモデルもいいよね」と父と母がノリノリで言い出したのをきっかけにいつからか将来の夢はアイドル・モデルとなった。

でもその夢は叶うことはなかったし、いつからアイドルになりたい、モデルになりたいというのを辞めていた。
努力が足りなかった?
環境に恵まれなかった?
冷静に考えてみれば”一歩踏み出す勇気”が圧倒的に足りなかったのだと思う。

将来の夢=叶えられるものと私は信じていた。
なりたいと願えばなれるほど甘い世界ではないしアイドルやモデルになれる人の方が、なってから成功する人の方がとても少ない世界だ。

ダンスや歌のセンスがなかったから夢を諦めた、何回もオーディションに挑戦したけれど受からなかった、レッスンは受けたけれどデビューの機会に恵まれなかったと言えるならどんなにいいだろう。私はなにも挑戦をせずに諦めた。「自分には無理だ」と挑戦する前から辞めてしまった。
母や父にお願いしていたら、レッスンを受けられたかもしれない。オーディションを受けられたかもしれない。合格してアイドル、モデルになっていたかもしれない………”かもしれない”を繰り返しても何もならないけれどそう考えてしまう。

25歳になった今もテレビを見るたびに、雑誌を見るたびに、大好きなアイドルのコンサートに行くたびに「表に立つ側ってどうなのかな?いいな…」という感情が全くないというと嘘になる。

でも私はもう25歳。夢を叶えるのに年齢は関係ないと言う人もいるけれど、外見と年齢が全ての芸能の世界では関係がある。むしろ関係しかない。

今世では諦めるから、来世があるのなら表側に立つ人間になりたいと強く願ってしまう。
社会人になってからそう強く思うようになった。
毎日同じことを繰り返す事が私にはものすごく向いていないと気がついたからだ。
だから会社員を辞めてリスクの高いフリーランスとなった。
“毎日が刺激的です””ステージから見た景色は忘れられません”と雑誌のインタビューで答えるアイドルを見るたびに負けたくないと気持ちが高まるのはまだ幼い頃の夢を諦めきれていないからなのだろうか。
























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?