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科学と哲学、同じ学と付いているけど・・・

メンタルケアという言葉を最近よく耳にしますが、この言葉いったいいつ頃から出てきた言葉なのでしょうか?

昭和59年に日本ではじめて、過労による自殺を労災と認めました。
これがきっかけとなり、昭和60年(1985年)には職場におけるメンタルケア研修が行われます。
と同時に、メンタルヘルスという言葉も出てきました。

2004年に日本は、自殺者が34427人という、これまでの過去最大の数字を出しました。
先進国の中でも、ダントツに高い自殺率だったのです。
これをきっかけに、さらにメンタルケア=こころの病の予防、という意識が進んでいきました。

そして、2015年にストレスチェック制度がスタートしました。今年で8年目になりますね。
50人以上の従業員のいる会社でこの制度が義務付けとなりました。
さて、この制度はメンタル不調の軽減に果たして、つながっているのでしょうか。

残念ながら、制度はできたけれど、メンタル不調の軽減に繋がっているようにはみえません。

2019年6月インターネットである会社が産業医500人を対象に従業員のメンタル不調に関する
アンケート調査を実施しました。

結果、従業員のメンタル不調の原因の1位は、職場の人間関係でそのうちなんと、7割が「上司との人間関係」でした。メンタル不調で休職した後、復職しても、うまくいかないというケースが半分近くあるといいます。結局、退職に至ってしまうというケースです。

理由は「どうしていいか、わからない」が最も多いとか。
心の問題って本当にどうしていいか、わからないというのが本音かもしれませんね。


科学は、ここ100年の間にものすごい進歩を遂げてきました。
でも、私達の心はどれほど進歩したのでしょうか?

2000年も前に書かれた源氏物語の時代と現代の私たち、なにか、精神的な面で進歩といえるようなことが、どれほどあるのでしょうか?

不思議だなぁといつも思います。
科学は他者の研究成果を受け継ぎ、その上に更に進歩を重ねることが可能です。
しかし、精神は、他者の経験知や到達点を自分のものとすることは、ほぼ、できません。

一人ひとりが自分で気づいたり、感じたりして、少しずつ精神的に成長してゆくしかない、
だから、2000年、同じことを人は繰り返してきたのかもしれません。

同じことで悩み、
同じことで傷つき、
同じことで怒り、
同じことで悲しみ、

その中から、それを克服したり乗り越えたりしていった人はたくさんいます。
それは古典と言われる文学や、または哲学の文献で、多く目にすることがあります。なるほど!と目を見開かれる感動を覚えることがたくさんあります。

しかし、その知恵は科学のように積み上げられてはいかない、
一人の人間にとって、精神は常にゼロからスタートせざるを得ない、
だからこそ、素晴らしい古典と言われる書物は、それに触れた自分の年齢によって、または経験によって変化していきます。
10代のころ読んだ「源氏物語」と30代で読むそれと、60歳を超えてから、もしくは80歳近くなってから読んで感じるものが異なるのは、その間に自分が様々なことを経験しているからです。

どうやら「こころ」はそんな構造になっているような気がします。
「こころ」と科学は根本的に違う構造だ、と思うのです。
「こころ」を扱えるのは、文学であり哲学です。
だから「こころ」を現代医療という「科学」で扱おうとすると、うまくいかない点がいっぱい出てくるのだと思います。


メンタル不調による労災認定は年々、増えています。
企業にとっても従業員にとっても多くのロスとなる早期離職の問題、この改善に本気で取り組むためには、医療(科学)ではなく、それぞれ一人ひとりの「こころ」の成長、つまりは心の筋トレに管理職も含めてすべての人が、自分ごととして本気で取り組む必要がある。

そんな時代に突入しているのかもしれません。


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