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棘のある言葉

「何もそんな言い方しなくても・・・」
というのが、人間関係でこじれた時によく出るセリフではありませんか?

内容というより、「言い方」に人は反応することが多いです。

たとえば、
「いつもいつも遅刻ばっかりして、いったいキミは、そもそも社会人としてのマナーが全くゼロだな」

アグレッシブなタイプの人が言いそうなセリフですが、
いつもいつも、ばっかり、いったい、そもそも、ゼロ、という言葉、
これらを抜いて言い換えてみると、

「遅刻するってことは、社会人としてのマナーを欠いている」

これならどうでしょうか?
「はい、そうですね、すみません」となりそうですよね。

いつも、そもそも、いったい、
この他にも、絶対、結局、要するに、こういう語彙を【言葉のトゲ】と、私は命名しています。

簡単に言うと、喧嘩を売っている言葉、ですね。

遅刻をやめてほしい部下に向かって、その部下を攻撃したり傷つける必要は全くないのです。
ただ、遅刻がなくなるようにすればいいだけですよね?

「何があると、遅刻せずに済むと思う?」
と、お茶でも飲みながら聞いてみるのはどうでしょうか?

そんな悠長な・・・!! と思うでしょうか?
でもこれで、ピタッと遅刻しなくなった例があるのです。

目覚ましアラームを今までより30分前にセットする、
目覚まし時計をもう1つ購入する、
前の夜に、明日着る服を用意しておく、
今までより30分早く寝る、

などなど、ご本人の口からたくさんのアイディアが出たそうです。

最初の言い方をする人は自分の中にある怒りを、ただ、吐き出しているだけです。
怒りを示せば、相手は恐れて言うことをきく、という図式がどこか頭の中に入ってしまっています。

怒りという感情を、相手を脅かし、自分の言うことをきかせる道具として
つまり、ひとつの「力」として使っている、ということです。

実は、これを今では「パワハラ」と呼ぶのです。

本当です。

心理的に攻撃された、傷つけられた、と相手が思えば、立派なパワハラです。


職場だけではなく、家庭でも、同じです。

「まったくもう、いつもいつもゲームばっかりして、〇〇ちゃんを見てごらん、家のお手伝いも勉強も自分からして、それで私立も受かったんだよ、あんたは、本当に、いったい誰に似たんだか・・・」

なんてこと、言ってませんか?

人格を傷つける言葉の暴力です。

子どもの場合は本当に無防備なので、こんな親の言葉がドンドン、蓄積していきます。

そして、「自信のない人」を作っていくのです。

国立青少年教育振興機構が
日本、韓国、中国、米国の
高校生を対象に行った2017年の意識調査の結果、
「私は価値ある人間だ」という項目に
YESと答えたのは、
日本人 44.9%
韓国人 83.7%
中国人 80.2%
米国人 83.7%

つまり、日本人の高校生は半分以上が、自分に価値はない、と答えているわけです。
びっくりしませんか?

これについて、榎本博明という心理学者が本を書いています。ここでは「褒めて育てる」ことが自己肯定感を上げることに役立っていない、ということを指摘しています。
『自己肯定感という呪縛』

褒めて育てるのか、叱って育てるのか、
問題はその二者択一ではなく、褒め方や叱り方にあるのではないでしょうか?


私たちは、言葉を使って人と関わります。
どんな言葉が、相手にどう伝わるのか、
少なくとも、自分の正しさ、自分の怒り、自分の欲望を、相手に押し付けるだけの「言葉の棘」は極力使いたくないものです。

自分の相手に対するどんな思い、どんな希望を伝えたいのか、それはちゃんと相手に届く言葉なのかを、もっと丁寧に考えていきたいものですね。


ただ残念なことに、言葉はすぐ習慣化してしまいます。
口癖ですね。
もしかして「言葉の棘」を習慣で、使ったりしていませんか?

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