鶏解体備忘録(7月30日開催)
(掲載がめっちゃ遅くなりました)
鶏解体ワークショップ、無事終わりました。
今日の参加者は2名で、2人ともユニークな経歴を持っている方でした。
スタッフ側も2名(自分と代表の菅田悠介@tayusugaさん)だったので、実質マンツーマン形式でした。
双方向的なやりとりが多く、密度の濃い環境だったと思います。
今回自分はは精肉を担当しました。
個人的な良かった所と改善点をざっと書いていきます。
養鶏場でバイトをしていたときのエピソードを多く説明できたところ、ここは良かった点でした。
前回はその点が課題で、養鶏としてのリアリティを活かせなかったので、そこが改善されたのは良かったと思います。
解体のときの説明がおぼつかなかったところ、ここは改善点です。
久しぶりに所々忘れてるところがあったり、部位の名称を間違えて説明していたり、と上手く話せませんでした。
事前にシュミレーションを一通りしていましたが、いざ実践となるとイメージ通りには行きませんでした。(それが当然ですが)
ここからは感想です。
今回、印象に残ったのは、屠殺方法のデモストレーションをした後、1人目の参加者の鶏を殺して血抜きをするまで、誰も言葉を発さず(発せず)静まりかえったことです。
普段コミュニケーションが多く飛び交う現場ですが、1分くらい誰も何も喋らなかった(喋れなかった)のは非常に印象的でした
一瞬、話しかけようかと迷いましたが、参加者が心の中で必死に何かを感じてるのかもしれないと思い、話しかけない選択をしました。
個人的にはあれで良かったと思います。
沈黙のあと、参加者が「言葉が出ない」とポツリと呟きました。
参加者にとっては初めての経験なので、率直な感想だと強く感じました。
かれこれ10数回このイベントに携わってきて、何回も解体したら慣れるのか?という質問はよくされます。
結論から言うと、僕は慣れることはないです。
段取りや手順もスムーズになっているし、死ぬ間際に鶏の目を見ることもできます。
けれども、罪のない命を「食べる」という、人間側の事情で奪うことについて、
鶏としての一生を他殺という形で終わらせることについて、
全く抵抗感がないといえばそれは違います。
この感情が平坦なものになり、屠殺が作業化してしまうのは今の時点ではないし、これからもこの気持ちを大切にしたい、というのが僕の率直な考えです。
今回、マンツーマンで自分も考えながら指導できたため、鶏解体の意義を考えなおす良い機会になりました。
参加していただいた2名の方、本当にありがとうございました。
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