見出し画像

「小説」を読む悦楽/銀河鉄道の夜

清澄な美を目にする読書だ、と読み返す度に思う。

最初に出会ったのがいつだったかは思い出せない。
宮沢賢治という名前と『銀河鉄道の夜』という作品名、どちらを先に認識したのかも覚えていない。
ただもうずっと昔から知っていて、どこの書店でも目にするぐらいの頻度で、わたしの日常に存在している作品だった。

でも(いや、だからこそ)、そんなふうに当たり前にある作品ゆえ、腰を据えて読む機会が意外に無く。
初めてきちんと読了したのは一昨年の話だった。

大人になって、日本語の美しさを自分目線で味わえるようになってから出会えて、よかったと思っている。
もちろん幼かった頃に読んでいたら、分からないなりに感じ取れる美しさもあったかもしれないけれど。少なくとも分からないまま、気付けないまま素通りする事にならなくて良かった。

そう思わずにいられないぐらい、本作は美しい文章を「小説」として読む歓びを実感出来る作品なのだ。

そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、

ジョバンニが天の川の水を眺めるこのくだりを初めて読んだ時、言葉のちからを借りて眼前に繰り広げられる光景の、あまりの美しさに息をのんだものだった。
賢治の想像の中にある、銀河鉄道の車窓から見られる幻想的な美しさを、特異な語彙と文章力でもって見事に表現している。



文字のみで構成される作品ゆえに、小説ならではの表現というものは確かに存在する。

写真や漫画や実写だったら、作者が考える「正解」を、そのまま表現し提示出来る。
だけど小説は、風景ひとつ表現するにあたっても、作者がみずからの語彙を駆使して言葉のみで描き切らなければならない。

ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えているのでした。

こういった言葉を読み進め、受け止める事で、読者は想像を拡げ作品世界を眼前に思い描ける。

わたしで言うと現実には炎なんて料理する時のガスレンジぐらいでしかお目にかかる機会はないけれど、作家の言葉の力を借りて想像する世界にはそういった枷はいっさい無く、宝石のように澄んだ燃え盛り方をする美しい火を見る事が出来る。

そして、作家の言葉によって生まれ出る美しさは、読み手の数だけ生まれ得る不可侵の存在なのだ。
同じ言葉を受け取っても、そこから連想し繰り広げる光景は千差万別。ひとりひとり違う人間である以上、判で押したようにまったく同じ光景になる事などあり得ない。
各々が思う「美しい火」が、「天の川の水」が、うつくしい銀河鉄道の世界が、作家の優れた言葉の力を借りて想像され創造される。
小説を読む、という営みにおける悦楽。

うつくしい幻想の旅と、ひとが生きるうえで必ずついて回る別離の寂寞。
そのどちらもを追い、眺め、体感する読書体験。
間違いなく、長く読み継がれるに値する傑作だ。




◆ ◆ ◆

こちらのイベントに参加しました。
かつての初読時に受けた感銘をnoteという場で言語化するため、今回「課題図書」として改めて購入し、じっくり再読しました。

画像1

おかげで美しいものを眺める歓びに浸れる連休を過ごせました。
ありがとうございました!




この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文