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断ち難い未練は言葉に頼る

noteを始めるにあたって、空っぽのままだったプロフィールの文言をさてどうしようかと考えた。
せっかくなら拵えたままずっと持ったきりだったものたちを発信する場にしたい。しかし何かしらの肩書きがあるわけでもない一般人である自分。
考え込んだきりでも仕方ないので、とりあえず素直な気持ちをそのまま書くことにした。それが今でもプロフィールの文章として、私のnoteのホーム画面を表示させると最初に出てくる。

「写真を撮ることが好きでした。今は濫読の日々。つれづれなるまま書き綴ることは昔も今も変わらず好きです。」

過去形で綴ることにしっくりきた事実が、歳月の重みとなって自分自身に染み入る。
言葉にしてみて初めて得られた実感だった。


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十数年前、まだスマホなど存在すらせずパカパカタイプのガラケー全盛期だった頃。
機種変更の際に店頭で当時の最新機種をひととおり眺め、色が好みだという理由ひとつで選んだカシオの携帯を愛用していた。

購入するまでは知らなかったけどその携帯は当時にしてはカメラの画素数が高く、おまけに性能の良いオートフォーカス機能まで付いていて、携帯の液晶画面サイズで眺めるには申し分ない程の綺麗な写真が撮れる機種だった。
カフェに入った時に何気なく『食べ物』モードに設定して撮っただけのケーキと紅茶の写真が凄まじく綺麗な一枚として残るのが面白かった事が最初だったように思う。

当時はまだ地元に住んでいて自然に囲まれた環境で生活をしていたので、次第に身の回りの風景写真を撮るようになっていった。晴れ渡った青空を自分の目で見たままの、青すぎる色合いのままで写真として残せる事が面白かった。
季節が移り変わる度にその時だけの光景を撮った。春には桜、夏は百日紅、秋になれば落ち葉、冬は椿。どう撮るかを考えることで携帯の液晶画面に新しい世界を描く事が出来た。


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その頃私は好きな漫画の二次創作小説を書くことに熱中していて、拙いなりに書き上げる事が出来た小説を展示する携帯サイトを持っていた。
他のサイトに倣って小説以外に日記のようなものを書くページも用意していて、日々のあれこれや好きな漫画の感想などを気が向いた時にそこに書き綴っていた。

写真を撮る事が面白くなってきた頃、ふと思い立ってその日記に自分で撮った写真を添え始めた。
日記の内容に関連したものもあれば、全く関係ないなりに一枚で成立すると自分で思えるものを選んだりなどして。
そんな事を続けていくうちに、小説の感想を頂く際に写真に関してもコメントを貰える機会がぽつぽつと出てきた。好きな漫画とは全く関係のない写真に対して、好意的な感想を頂く度に有り難い事だと感じた。


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文章を書く事と同じぐらい、好きな作品の二次創作小説を読むのが好きだった。
好きなサイトのリンクページから他のサイトに飛ぶ事を繰り返したりして、お気に入りのサイトがどんどん増えていくのが楽しかった。
ツイッターなどのSNSもまだ無い時期の話だ。当時は掲示板の全盛期を過ぎてWeb拍手という簡易的なコメント送信機能が主流になっていて、そこから送れるコメントでのやり取りがきっかけで他のサイトの管理人さん達とも仲良くなった。
今になって振り返れば、あの時期が一番コミュニケーションに関してバイタリティに溢れていたと思う。
好きを伝えることに躊躇する日が来るなど考えもしなかった。


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そのサイトを初めて知ったきっかけはもう覚えていないけれど、表示されたトップページを見た瞬間に感じた鮮烈な印象は今でもおぼろげに思い出せる。
当時のこのジャンルの携帯サイトには珍しくトップページに画像素材を一切使わず、それでいて他のどのサイトにも似ていない個性的なレイアウトにいきなり驚かされた。
説明書きのページを読んで私と同じジャンルの二次創作小説サイトだと把握して、さっそく作品を拝読した。
とにかく凄かった。
長編と掌編が分けて置かれていて、先ずはと読んだ掌編にいきなり心を鷲掴みにされた。突飛な状況設定を読み手にスマートに納得させる最初の一文に始まり、キャラクターの雰囲気を壊さずそれでいて洗練された会話が続いた先に待っている最後の一文がとんでもなく瀟洒。
一話読んで気がすむまで惚れ惚れと余韻に浸り、その後立て続けに読んだ他の掌編も、最初に読んだものに匹敵する作品ばかりが並んでいた。
数作拝読したのち、凄いサイトを知ってしまったぞ、という高揚感に打ち震えた。

それから何日かかけて、すべての掌編作品を読み終えた。
あとで知った事だけれど、そこの管理人さんは寝る前に掌編をひとつ書くことをできるだけ続けると決めていたそうで、作品数の多さに納得しつつそれらのどれもが面白いのも衝撃的な事だった。

掌編をすべて読み終えた後は長編に手を出した。
掌編と比べると作品数は少ないものの、携帯電話の液晶画面を埋め尽くす程の文字量が延々と続く読み応えのある長さの小説が幾つもあり、そのどれもが掌編と同様の凄さに触れられる見事な作品だった。

トップページのデザイン同様に、小説の文体もとても個性的だった。
比喩といい着眼点といい誰にも似ていない新しさがあった。
違うジャンルの二次創作でも作者名を伏せられていたとしても、きっとこの人の作品だと分かるだろう。
掌編だとオチの意外性や台詞のセンスに発揮されているその個性が、長編だと地の文の至る所からも伺えて、それをじっくり堪能できるのが嬉しかった。
きっともうこの頃から、作品に留まらずその文章を書く事に対する才能に惚れていたのだろうと思う。

すべての小説を読み終え、特に気に入った幾つかの作品の再読を重ねた後は、その人が書いた文章恋しさに日記もすべて遡った。
日記はある程度の時間が経ったら過去の投稿を消すと決めていたみたいで、小説とは対照的に投稿数が少なく、見逃したくないが故にそのサイトをチェックする事が日課になった。
小説はコミカルなものも時々はあったけれど、原作漫画の雰囲気も影響したのか暗めで救いのない話が割合としては多かった。だからこそ日記の文章から伺える穏やかでふわふわしたお人柄は、小説のブラックさとの振り幅も相まって印象深いものがあった。
それでいてそのふわふわとした日記の文章の端々に、小説から垣間見える鋭さや知性がしっかり潜んでいるのが堪らなかった。
好きな漫画の話題と読んだ本の感想と日常を綴る日記もまた、その人の作品の一部なのだと感じた。


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一目惚れしました!大好きです!という熱を含めて感想を伝えようと思ったものの、トップページを筆頭にそのサイト上のどこを見ても、Web拍手や掲示板などの管理人さんへコメントを送れるような機能が見当たらなかった。
唯一確認できた管理人さんへコンタクトを取るための手段は、最初の説明のページに記載されている、ネットで簡単に取得できるドメインのメールアドレスのみ。
コメントなら知らない人相手であっても気軽に送る自信があったけれど、メールを直接送るという事に対するハードルは未だ高くて、先ずそこで挫けてしまった。

その後もしばらく躊躇を続けていたけれど、結局はやはり感銘を伝えたい気持ちが優って文面を考える事を始めた。
何度かの書き直しを経て結局シンプルに、こちらのサイトを最近知って感動した事、特に好きな小説のタイトルをいくつか、小説も日記から伺えるお人柄も大好きです!という告白のようなもの。
この時はまだ、自分も同じジャンルのサイトを持っている事は書けなかった。知って間もないにもかかわらず、それぐらい圧倒的な憧れをこの時点で抱いていた。
メールの送信ボタンを押す事があれほど怖かったのは、あの時点では初めての事だった。

それから数日後に受信したお返事のメールは、日記と同じふわふわした穏やかな文体で綴られたものだった。
とても嬉しかった。
優しい人なんだなと分かるこちらへの気配りに満ちた文章も、特に好きだと伝えた作品に関するコメントも。
なんだかもう返信メールを書くためにわざわざ時間を割いてくれた事にまでも思いを馳せてはしみじみと感激する程に嬉しかった。
受信メールを読み返す度に笑い出したくなる幸せがしばらく続いた。


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それから半年ほど経った。
最初は梅雨の真っ只中。それから夏が過ぎて、秋が深まってきた頃に意を決して送った2度目のメールに、自分も同じジャンルでサイトを持っている事を書き添え「あなたのサイトがとても好きなので、もしご迷惑でなければリンクを貼らせて頂きたい」という内容のことを書いた。

数日後に頂いた返信メールには快諾の言葉に添えて、私のサイトを知っている事と小説が好きだという事、そしてブログに添えられる写真も楽しみにしているという内容がいつもの穏やかな文体で綴られていた。
それを読んだ時の私の有頂天っぷりときたらなかった。こんなにも嬉しい事があるのか、と1度目のメールの返信を頂いた時以上に夢心地の気分が長く続いた。

冬が来た頃に、3度目になるメールのやり取りをした。
その時の返信メールを受信したのが偶然12月25日で、クリスマスプレゼントみたいだと思ったのを覚えている。
本当に幸せだった。


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そうして年が明けた後。
日記はおろか短編の更新も全く無い日々が数週間続いて、さすがに心配になってきた頃。
その人のサイトは唐突に消えた。

正確に言うとサイトそのものは残っていたけれど、あの個性的なトップページや小説や日記のページが姿を消して、閉鎖を決めた旨の文章が書かれているだけのものに変更されていた。
そこに書かれていた、今まで見た事が無い程のキツめの物言いと「絶対に盗作していません」の言葉を読んだその時になって初めて、その人が長いこと粘着質な荒らしに悩まされ続けていた事を知った。

それを踏まえて振り返れば、確かに予兆はあった。
ごく稀にだけれど日記に登場していた、なんの件なのかを曖昧にぼやかしながらもチクリと刺すような言い回し。
詳細の説明を省きながらも、投げやりな物言いの一文があって珍しいと思った事。
そして何より、誰でも気軽にコメントを残せるWeb拍手や掲示板をサイト上にいっさい設置せず、連絡手段をいつでも捨て置けるサブアドのメールアドレスのみにしていた事。

憧れの人と大好きなサイトがあまりにも理不尽な方法で踏みにじられた事をじわじわと理解して、悔しさと怒りをぶつける先も無いまま持て余す事になってしまった。

その後もしばらく自分のサイトは続けて小説も書いたけれど、他の要素も相まって、私もサイトを閉じて二次創作からフェードアウトした。
その時の私にとって自分で小説を書くという行為は「好きな漫画のキャラクターをいかに魅力的に表現するか」という二次創作ありきのものだった。
物語や登場人物を一から考えて小説を書こうと考える事は無く、自然に文章を書く事からも離れていった。

それでも携帯で写真を撮る事はやめなかった。
発表する場も無いまま作品枚数だけが増えていく。
あの人の事を、その才能を、諦めきれないまま日々だけが過ぎた。


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失意のうちにいても時は経つ。
冬が終わって春が来て夏を迎えて秋が過ぎて、また冬が来た。
季節が一巡する間にいろいろな事があったけれど、その全てを文章にしてしまう勇気が私にはまだ無い。
その中で起きた奇跡としか言いようのない紆余曲折を経て、憧れの人からメールを頂いた。
オリジナル小説のサイトを新しく作ったというお知らせが書かれたそのメールを読んで、早速添えられていたURLから小説を拝読しに行った。

二次創作小説を書かれていた頃から、突飛な状況設定をキャラクターの魅力やオチに絡めて作品として成立させる事が得意な作風の人だった。
けれど原作という絶対的な存在があり、キャラクターのパーソナリティが明確に決まっていて書き手にも読み手にも共通認識となる二次創作という表現は、この人にとってある意味では枷だったのかもしれないと感じた。
それぐらい活き活きした小説がそこにあった。

無理もない事だけれど、原作漫画がありそこに登場するキャラクター同士の二次創作である以上、主人公やその周辺にいる若者同士でやり取りする内容の小説しか読んだ事が無かった。
だけどオリジナル小説になる事でそういった制限を超えて、老若男女を通り越して時には人間ですらない様々な登場人物達の物語を読む事が出来た。
老夫婦の物語があり、動物と少女の物語があり、動物達だけの物語があった。
そのどれもがやっぱり面白くて、二次創作の小説同様に、作者名を伏せられていたとしても読めばすぐにあの人の作品だと分かる、そんな小説ばかりが並んでいた。

憧れの人の作品をまた読める事が嬉しかった。
そして、表現する場を新しく創られたあの人に少しでも近付きたいと思った。

オリジナル小説を書く才能は無いけれど、写真なら私にも出来るのではないかと思い、撮った写真を展示する携帯サイトを新しく作った。
写真に自分でタイトルを付けたものを置く事に加えて、当時流行っていたお題サイトから借りてきたお題にそって写真を撮る事も始めた。
その時の私にとっては撮った写真がまず先にあって言葉は後からついて来るものだったから、お題という言葉が先にあってそれに沿う写真を撮るという経験は新鮮で面白いものだった。


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その後一年ほど、憧れの人とのメールのやり取りが続いた。
頻度は半月に一度程度だった代わりに、その一度が数千文字となる長文メールを互いに毎回やり取りした。
お互いauユーザーだったので、5千文字までメールを打てた事も大きかったと思う。
前回頂いたメールへの返事と新しい話題、そして更新された作品への感想などを書き綴れば数千文字などあっという間に達した。

写真サイトを作った事もすぐに報告した。
その後に頂いた返信メールには、私の写真を好きだと改めて書いて下さっていた事に加えて、一番好きな写真のタイトル、それを好きだと思った理由は写真と言葉の視点に惹かれたからだとあって、過分な言葉を頂いてしまったと慌てながらも舞い上がる気持ちを抑えきれなかった。

メールで沢山の言葉を交わす中で「よかったら誕生日を教えてください」と書いた事も覚えている。
憧れの人は日記にプライベートな事をあまり書かないタイプだったので、日記から伺える面以外は知らないことの方がずっと多かったのだ。
半月ほど経って頂いた返信メールを読んだら、誕生日の質問に対して「明日なんです」という返事が添えられていた。
23時半に受信したそのメールを読んで、大慌てでハッピーバースデーのメッセージを考えた。まだサイトに載せていなかった写真の中で、一番気に入っていた真っ赤な花の写真を添えて0時ちょうどにメールを送った。
翌日珍しくテンションの高い文面の返信を頂いて、新たな一面を伺えたようで心が躍った。
私の誕生日も聞かれたので、次に返信したメールで6月28日だと書き添えた。その後6月になって一番最初に更新された日記で誕生日の件に触れてもらえたり、当日にハッピーバースデーのメールを頂けたりと、気にかけてもらえる度に泣きたくなる程の幸せを感じた。

憧れの人の日記に、携帯が壊れたという話題が登場した事もあった。
端子が故障したせいで携帯ショップではデータの移行が出来なかったけれど、職場の人の協力を得てデータが復活したとあり、その中に私が送った真っ赤な花の写真を宝物と呼んでくれているくだりがあった。
本当に嬉しかった。

そういう掛け替えのない幸せを、他にも沢山頂いてきたのだ。
メールだけでなく、次々に更新される小説からも日記からも。

写真サイトを続ける事もとにかく楽しかった。
小説ではなく日記やタイトル付けというかたちに変わったものの、文章を書く事や言葉と真剣に向き合う事の面白さを思い出す事もできた。
失意のまま過ごした一年前が嘘みたいに、満たされた嬉しい日々を過ごした。


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憧れの人とのメールのやり取りは一年間続いた。
新しくオリジナル小説のサイトが出来たことを教えてもらった時からほぼ一年後に届いたメールで、(詳しくはここには書けないけれど)生活環境が変わるため、小説サイトを閉じてウェブから去ろうと考えているという事を打ち明けられた。

二次創作小説のサイトをあんな形で閉鎖する事になってしまった影響で、文章を書く事そのものが嫌になってしまっていた。
だけどもう一度小説を書く事が出来て、それを続けられた事で、最悪の思い出で終わってしまっていたものをいい思い出に塗り替える事が出来たと。
小説と写真で表現方法は違うけれど、一緒にいられた事が、こうしてメールをやり取りする中でいろんな話が出来た事が嬉しかったと。
そんなふうに言ってもらえた。

だから嘘をつく事に決めた。
それを私に伝えてくれた事が嬉しい、あなたの言葉が好きだ、今までありがとうございましたという返信メールを書いた。
その後、いつも通りに長文ながらも最後のご挨拶のメールを頂いた翌日、あの人の小説サイトは穏やかに終わりを迎えた。


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一人きりになっても写真サイトはしばらく続けた。
少し後にコンパクトデジタルカメラを買った事で、ガラケー以外の方法で写真を撮る楽しさも知った。やはり画質が圧倒的に綺麗だしオートフォーカスのボケ感も優秀で、もっと満足のいく写真が撮れるようになった。

だけど程なくAndroidスマホの黎明期が訪れた事に加えて、auがiPhoneの取り扱いを始める事も決まり、私の使用機種もガラケーからiPhoneへと変わった。
アプリを使って思いのままに加工する新しい楽しさを知り、インスタグラムやツイッターといったSNSが新しい表現の場としての主流となった。
スマホで眺めると圧倒的に使いやすいそちらで新しい交流関係が出来たこともあって、写真サイトの方はいつしか更新しなくなってしまった。
数年を経て写真サイトのURLを確認すると、そのサーバー自体がサービスを終了しており「このページは見つかりませんでした」のような文言が出るばかりだった。

そしてガラケーからiPhoneへの変更に伴い、あの人のメールアドレスが分からなくなってしまった事にも数年を経て気付いた。
知っていたところで今更何かのメッセージを送る勇気など無いけれど、それはやはり明確な終わりの象徴だったように思う。
これで本当に繋がりが断ち切れてしまったのだと、どこか冷静に思った。


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写真を撮ることが好きだった。
そう過去形にした時に、しっくりきてしまった事へと想いを馳せる。

始めたきっかけも面白さを知ったのも自分で選んできたはずの物なのに、いつの頃からか憧れの人と一緒にいるための手段になってはいなかったか。
ずっと続けていく事で、写真が好きだという意志を自分の中心に置く事で、憧れだった人と繋がっていられるという期待や未練が全く無かったと言えるのか。

技術ではなく視点を好きだと言ってもらえた事は、今でも宝物として私の胸にある。
だけど表現する事を本気で続けていきたいなら、活路は自分で切り拓いてその生き様を獣道として示すぐらいの気概が必要なんだと今は分かる。
そしてそのために重要な、自分の胸に据える何かは自分の手で掴み取らないといけない。
誰かから与えられるのではなく。

言葉へと落とし込む事で昇華できて前へと進める。
そう信じたくて書き始めたこの文章を終える前に、最後の最後についた嘘について触れなければいけない。
選ばなかったほうの選択について思い巡らすのは人間の性なんだろう。
でもあの時はああ言うしか無かった。
嘘であってもそうする事で、あの人の「いい思い出」の一部になる事が最善手だと考えたから。
疎まれて嫌われるような事が少しでもあれば、それまでの幸せだった日々に自分の手で泥を塗ってしまう。
それだけは嫌だった。
だけど本当はもっと一緒にいたかった。




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あなたの言葉が好きでした。
表現する喜びと面白さを教えてくれてありがとうございました。
あなたと言葉を交わせたあの一年のおかげで今の私があります。
どうか幸せでいてください。