無茶だと知りつつ右手を繋ぐ
数年前のこと。
平日仕事の行き帰り、家から駅までと駅を出てから職場に着くまでの徒歩移動のあいだ、コンパクトデジタルカメラ(以下コンデジ)を持って歩くことにした。
思い立ったきっかけは、好きな写真家達の作品の共通項について思い巡らした時に「遭遇の才能に恵まれた人達だ」という結論に行き着いた事だった。
絵になる構図、奇跡的な情景、何気なくも光を放つ瞬間。
それら諸々に対する遭遇の才能。
だけど実際はそれに恵まれているだけでは足りず、遭遇した何らかの魅力的な眼前の光景を逃さずつかまえる瞬発力もかなり重要になってくる。
(写真家の梅佳代さんは、愛機を常に首からぶら下げているとどこかで読んだ。そのちょっとした習慣が、日常で不意に遭遇する決定的な瞬間を捉えるあの数々の作品を生んだのだ)
という訳で2009年頃に購入したコンデジを毎日持ち歩く事にした。
機種名はNikonのクールピクスS640。
常に電源を入れていつでも撮れる状態で右手に持って、手を繋ぐような気持ちで。
手持ちのスマホでいつでも簡単に写真を撮れるご時世だけれど、何故スマホではなくNikonのコンデジを選んだのか。
理由はふたつある。
ひとつは、毎回画面をタップしてカメラ機能を起動させないといけないスマホでは、瞬発力と電池残量が心許ないという懸念が過った事。
そしてもうひとつは「毎日持ち歩く」という決め事を雨の日だろうと例外にしないという素朴で率直な決意を実行するにあたり、当時持っていた防水機能がついていないスマホを雨降る外気に晒すのは抵抗があった事。
Nikonのコンデジに防水機能が付いていたかどうかは知らないけれど、スマホよりは多少無茶をさせても問題ないだろうという判断だった。
カメラを持っていつでも写真を撮れる準備万端で歩くと、目の前に広がる光景が「作品として切り取るに値する魅力を放つかどうか」という判断基準で目に映るようになる。
例えいつもと変わらない道順であっても、それまで気付けなかった美しさが不意に目にとまったり。
なんでも出来るスマホではなく、写真を撮るための道具であるカメラだからこそ得られる特別な視点。
それが面白かった。
毎日歩く道のりと変わらない風景が、向こうから呼びかけてくるように感じられて、呼応する気持ちでシャッターボタンを押す。
そういう瞬間ほど後で見返した時に楽しい。
コンデジ毎日持ち歩き計画、実は過去に二度挑戦している。
一度目の頃は香川県高松市に住んでいた。
早番も遅番もあるシフト制の仕事をしていた事もあり、家と職場を往復する間に誰一人出会わないという事もザラにあったから、遠慮なく好きなように撮れた。
二度目は東京に住み始めてしばらく経った頃。
平日の九時から五時半まで、という決められた時間帯の仕事ゆえ、毎日同じ時間に同じ場所を通ることになる上に、どんな場所にもほぼ確実に人が居る。
通りすがりの知らない人の顔を写さないように、という配慮もあって最初は恐る恐るだったけれど、次第にコツを掴んで気兼ねなく撮れるようになっていった。
日々が過ぎ撮影枚数が増えていく中で、高松に住んでいたころと東京に住み始めて以降では、撮影内容に顕著な違いが出てくるようになった。
高松にいた頃のものは朝と夜の違いがある一方、香川県は日本一雨が少ない都道府県という影響もあり雨の風景を撮れる機会は滅多に無かった。
一方東京で撮った写真は、いずれも同じ時間帯である代わりに晴れの日と雨の日の違いが際立っている。
雨の滴と湿度が彩度を際立たせる事も、濡れた路面が周囲の光を乱反射させる美しさも、人が多い故に様々な色の傘が咲く光景の面白さを知ったのも、すべて東京に来てからだった。
「雨の日をたのしく」という心持ちで過ごすにあたって、カメラに加えてコンビニで手軽に買える透明のビニール傘を相棒にするのも悪くない。
雨粒が瞬くビニール傘越しの視界は、いつもと変わらない風景を時に劇的に見せてくれる上に、カメラを構える姿勢を目立たなくしてくれる効果もある。
住み慣れた街が、見慣れた景色が新しい表情を見せてくれる。
雨の日の外出における憂鬱以外の新しい気付きをくれるかもしれないお出かけスタイル、宜しければぜひ。