見出し画像

行き詰まったときの話をしよう

わたしには毎日日記を書くという習慣がない。やってみたいなと思ったことは何回もあるけれど、かなり飽き性だし、継続する力みたいなものがあんまりないので、大体すぐに終わってしまう。
あの頃何してたんだろう、何思ってたんだろう、と気になる瞬間がけっこうあって、その度に日記を書いていたらな〜と思うが、多分なんとなく、これからも書くことはできないと思う。

しかし、殴り書きをすることはよくある。それは紙であることより電子であることが多い。iPhoneに入っているメモ帳とか何かのSNSの下書きとか、そういうものにそのときの気持ちをとにかく書く。喋っているように書く。その記録たちを読むのがけっこう好きで、定期的にのぞいている。

内容は毎回最悪のどん底であることが多い。思考回路が変な方にから回って勝手に自己完結している。「もう無理だ」「なんでこんなことを考えているんだ」みたいな、負の感情をめちゃくちゃ煮込んだみたいな最悪闇鍋メモを見返しては、何をそんなにもどん底に考えていたのだろう?と思う。
いいことなのか悪いことなのか、わたしは調子がいい時にそのときの感情をきちんと思い出すことができないのだ。だから、振り返って読むたびに、まあ落ち着けよわたし、と今のわたしが宥めるみたいなことが起こる。



こうした最悪闇鍋メモが、いたる時期にいたるところから見つかるあたり、自分はけっこう行き詰まりやすいんだろうなと思う。だから、「些末時研究 特集:行き詰まった時」を見つけたときは絶対に買おうと思った。

この本は、今年の2月くらいに刊行されたものらしく、好きな本屋のストーリーで知った。2月にその本屋さんに買いに行くも、すでに売り切れていてしょんぼりしていたのですが、先日行われていた円頓寺の「本のさんぽみち」で見つけ、ようやく買うことができた。


いろんな人の行き詰まったときについて、そんなときどうしていくかについてなどが書かれていてかなり良い。そして、読みながら自分が行き詰まった時にどうするのかということを考えた。


わたしは行き詰まると、とにかく頭の中がうるさくなる。
なんで行き詰まっているの?何がつらいの?その原因は?自分にできることは?
とにかく解決することに必死なんだと思う、理詰めでいろんなことを考え始める。
感情には、全部理由があると思う。悲しい理由もつらい理由も、行き詰まる理由も。だから、とにかく自分の根底を根掘り葉掘り掘り返して答えを探す。


そんなようなことを前に友だちに言うと、「わたしはなんでかわかんないけど悲しい、みたいなこといっぱいあるよ」と言っていたので、多分、そんな根掘り葉掘り考える必要もないんだろうなあとわかっている。本当は全ての感情に理由なんてない。というか、理由づけなんてしなくてもそのまんまで別にいい。でも、なんだか落ち着かないから、一生懸命考えようとしてしまう。


当然、疲れる。当たり前です、考えたってどうしようもないんだもの。答えなんか見つからない。部屋の掃除をしようとしたら逆に散らかっちゃった!みたいな状況になる。全部が嫌になる。


そういうときにどうするのかというと、わたしはやっぱり本を読む。
本気で全てが無理になったら本も読めず、寝込んでいるので、まあこれは、まだマシなときですが、読めそうな本を引っ張ってきては読む。世界観に没入しやすい小説やエッセイが好ましい(というかまあ家にはこの2種類くらいしかない)。


わたしにとって読書は多分、瞑想に近い。といっても真剣に瞑想をしたことなんてないのですが、精神統一、みたいなこと。
一度、自分の頭の中のおしゃべりを黙らせ、本の中に入っていく。物語を掴むためにある程度集中して本に向き合う。すると、けっこう頭がすっきりしてくる。行き詰まった物事は全く解決しないが、少しだけ、肩の力が抜けて、息が深く吸える気がする。


わたしはもう、去年の行き詰まりを忘れてしまった。何度も行き詰まってきたのに、その全てがぼんやりしている。それは当時の自分の苦しみを忘れてしまったみたいで少し申し訳なくなるけれど、多分良いこと。
ただ確実にわかるのは、これからも何度だって行き詰まるんだろうなということだ。そしてそのたびに、闇鍋メモを作成したり寝込んだり本を読んだりする。大きな解決策なんかなくたって、これでいいんだって思う。
みんなの行き詰まったときの話、聞きたいな〜。





この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?