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飛ぼうとしたって羽根なんか無いって知ってしまった夏の日、卒園アルバムを開く
覚えている限り一番古い将来の夢は、「お笑い芸人」だった。
卒園アルバムに書かれている、「おわらいげいにんになりたいです」という文字をわたしは定期的に見る。そのたびに、なんだか少しだけ元気が出る。
なぜお笑い芸人だったのかは全く覚えていない。強いて言えば、当時土曜日に放送していたエンタの神様を録画して、日曜の朝に家族と見ていた記憶があるくらいだ。
しかし当時は何が面白いとか絶対にわかっていなかっただろうし、特別毎週楽しみにしていたわけでもない。ただ、幼少期のわたしは今よりずっとお調子者でわんぱくだったので、かなりキャラクターとして合っているなといつ考えても思う。
その夢は早々に忘れ、その次は歌手になりたかった気がする。歌を歌うことと人前に出ることが昔から好きだったので、当然の夢である。
その後からだんだんと現実味を帯びてきて、小4の頃の2分の1成人式(10歳になる年に将来の夢という作文を親の前で読むイベント)ではカウンセラー、中学時代は保健室の先生となっていった。
その後いろんな現実に触れていくにつれて、社会的養護(養育者がいない児童や養育困難な家庭を支援すること)に興味をもち始め、福祉が学べる大学に入学し、今に至る。
わたしは自分の思う道を寄り道せず、まっすぐに歩いてきたような気がする。就職活動を終えた今、収まるところに収まったなという感覚がすごくある。あまりにもきれいに収まりすぎている。
わたしは歌が好きだ。写真が好きだ。本が好きだ。そういうことを言うと、たまに、「カメラマンになろうとしなかったの?」と聞かれることがある。就職活動中も、高校時代軽音学部に入っていたと言うと、「音楽の道に行こうとは思わなかったの?」と聞かれる。
そのたびに、「全部趣味のままでいいんです」と答えてきた。実際そうだ。多分職業にしてしまったら嫌いになってしまう。だから趣味のままにしておきたい。
でも、本当によかったの?と尋ねる自分もいる。写真系のことやらなくていいの?出版社とかじゃなくてもいいの?
この考えをさらに強めたのは友人の就職活動だった。
友人は、大学が心理系の学部だったのだが就職は心理とは関係ないところになった。
また、他の友人は、愛知を飛び越え東京で就職するらしい。
わたしはこのままでいいのだろうか?福祉系の学部に進んで、そのまま地元で福祉系の職場に就職して、あんまりにも滑らかすぎやしないか?
そんなことを考えながら、わたしは今実習に行っている。実習先までの道、音楽を聴きながら、まっすぐな道を歩いている。
イヤホンから、少し懐かしい曲が聴こえた。BUMP OF CHICKENのStage of the groundだった。
飛ぼうとしたって羽根なんか無いって知ってしまった夏の日
わたしの思っていることそのまんまだ、と思った。
どこまでも飛べるんだと思っていたけれど、実は羽根なんか無いんだと気づいてしまった。なんにだってなれる、から、何者かにしかなれない、ときちんと実感してしまった。
そのあとはこう続く。
古い夢を一つ犠牲にして 大地に立っているって気づいた日
わたしもいろんな夢を犠牲にしたのだと思う。でも、そのおかげで今の自分があるのかもしれない。
生きていく中でいろんな挫折や自己嫌悪や失敗を重ねるごとに体が重くなり、いつしか羽根がなくなって大地に立つほかなくなる。地道に歩くことを余儀なくされる。
けれど、そのおかげで自分のいる場所がわかる。そして歩き方を初めて知ることができる。うまく言葉にできないけれど、これってすごいことなんじゃないだろうか、と思った。自分の在り方を肯定してもらえた気がした。
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Stage of the groundにはこんな歌詞もある。
君をかばって散った夢は 夜空の応援席で見てる
かつて、お笑い芸人になりたかった頃のわたしが遠い向こう側に見える。わたしはその頃のわたしに、ここまで来たんだよって胸張って叫んでいる。
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