Ryu’s note

哲学などについて。

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最近の記事

言葉だけに矛盾がある

言葉にのみ矛盾が存在する。色に矛盾はない。どう評価するかは別として、世界にも本来矛盾は存在しない。矛盾するのは言葉で世界を見ているからだ。

    • 資本主義と批判

      「批判は何も産まない」とよくいうが、それは間違いだ。批判するべきはその批判をした人間の精神である。批判自体に罪はない。批判は弁証法のおけるもう片側であり、PDCAの「C」」でもある。良い批判は生産的である。 ---------- 世の批判は、「嫉妬」を根源としたくだらないものにあふれている。反して弱者は軽蔑されこそすれ批判はされない。「ルサンチマン」。今の生活が変わらなくとも、政治家が貧乏生活をしているなら政治に対する「マス層」の批判は受けないだろう。多くの人は何もない自

      • アポロ、ディオニュソス的マーケティング

        アポロ的マーケティングやプロダクトは資本主義における最も有益な成果の一つだが、それと対比するものとしてディオニュソス的なマーケティングはプロダクトアウト的であり、価値観の典型的な分離である。分離というよりも主義近いものならば、医療器具と芸術作品でありニーチェが言ったものと同じような全体として反した価値ではない。

        • アドバイス

          世の中の多くのアドバイスは、超初心者、あるいは平凡な才能にあてられたもので、アドバイスは基本的に聞く必要はない。

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        • philosophy
          15本

        記事

          見えない貧困

          共感したとともに拡散の意図も込めて抜粋。 「金持ち父さん貧乏父さん」で有名なロバートキヨサキ氏著「これがフェイクだ」から 見えない貧困学校は、「見えない貧困」と呼ばれる、人々がまずしくなるような教育もしている。学校は以下のように見えない貧困を強めている。 1 ミスを犯した生徒を罰する 2 ミスは自分を愚かに見せる、と教える。 3 ミスを通して学ぶのではなく、答えを暗記させる。 4 教師が持っている1つの答えしか存在しない、と決めつける。 5 正解か間違いか、とい

          見えない貧困

          これがフェイクだ メモ

          ロバート・キヨサキ著「これがフェイクだ」から、メモを兼ねて抜粋します。 『経済学の研究がうまくいかない一つの理由は、経済学者が人々がお金に関して理性的だと信じていることにある。』 『お金とは狂気じみた問題だ。人々はお金のためなら狂った行動をする。愛するものを殺したり、麻薬の取引をしたり、体を売ったり、お金のために結婚したり、大嫌いな仕事を続けたりする』

          これがフェイクだ メモ

          本の内容

          人の思考は未来に対し不確定である。思考は、複製できない。 言葉と主観的経験においてすべて特殊である。 つまり書物に書いてある内容が、「正しい」とは思ってはいけない。 自分が読んだ時点で、新しいものになり、 著者の表した意味そのものは多かれ少なかれ差異があり全く同様には反復しないからだ。 (そもそも「意味」に「同様」などあるのか?)

          本の内容

          資本主義の構造

          資本主義の商品はそのニーズによって形作られるという実質的な民主主義的なものである以上、この現代がマス層の欲求とそのマーケティングによって作られているというのは、好き嫌いはどうあれ一つの結論だ。 科学的でアプリオリな善なのか、ニーチェのいう群畜本能か。

          資本主義の構造

          マス層無双

          今更の感じがあるが、マーケティングはあくまでも「売るための技術と思考」であって倫理的正当性をまでを表さない。 「お客様が満足する商品を」とよくいうが、その商品によって「お客様」が満足をすることが価値なのか。もちろんその商品に限ってはそうかもしれない。 とは言っても、金銭と商品の交換が成立している時点のみで判断をして、必ずしも「その商品に価値がある」と言えるのだろうか。 今の多くの清涼飲料水には多量の糖分が入っている。健康に気をつけている人間から見れば飲むことを敬遠する飲

          マス層無双

          思考を思考する

          どれだけ言語化できるかは別にしても実際的な意味で行為は思考と結びついているから、思考そのものを思考するという行為はよりよく行動していくために自ずと必要不可欠になるのではではないだろうか。

          思考を思考する

          「ニュアンス」の説得力

          「ニュアンス」の説得力

          「無知の知」の二つの解釈

          「無知の知」というものは、 「自分の無知を知れ!」みたいな教訓めいたニュアンスで使われることが多いが、 事実がなくて全ては解釈でしかない以上、そもそも完全な意味での認識は不可能で、その不可能性において「無知を知る」ならば、 どうせわからないんだから開き直れるってところに「無知の知」の意味の真価があると思う。

          「無知の知」の二つの解釈

          仮説ドリブンに思考するなら哲学を学べ

          哲学は方法そのものではない。結論と、それに向かうプロセスを含めたものという側面がが強い。 哲学が他の学問に比べてその用途が不明に思われがちなのは、結論自体よりも、哲学的著作の内容のほとんどが思考プロセスであることが挙げらる。そこも普通の本と比べて「わかりにくい」点である。 基本的に科学的なアウトプットは、科学的方法のルールに乗っ取り、アウトプットそのものと根拠となる観測された結果を示すが、哲学の場合は、観測された結果を「主観的に解釈し」話を進める。つまり、字面を追っていて

          仮説ドリブンに思考するなら哲学を学べ

          従業員根性という依存

          「よりレベルの高い大学に行けば、自分に箔がつき【認めてくれる人】がいて、より待遇のいい会社に入ることができる」 という発想は自立心がなく、従業員根性丸出しである。最終的に何が目的になっているのかよくわからない。要するに、権威ありきのドメスティックなコミュニティの中でどれだけイニシアチブを取れるかが価値になっている。リスク分散の視点からも努力と得るもののバランスが取れているかどうかは微妙である。 これは現代の教育の課題なのか。資本主義にありながら、資本主義的競争で価値を生む

          従業員根性という依存

          イデアと言語

          言葉が増れば増えるほど、無価値な分別も増えていく、ということだ。言葉の、意味やイメージに対する拘束力。イデアと言語の関係。 「言葉」「意味」「イメージ」「言語」はどこまではっきりと別れた存在か?その実用的意味でプラグマティズムは存在する。

          イデアと言語

          ビジネス書を読んで満足するな

          多くの「ビジネス書」というのは、より実践的である反面、多くの人に読まれようというマーケティング的な前提があり、自ずと再現性の高さを重視する。となると高難度のことは自然と省かれて「手加減」して書かれてある。 単純な「方法」に限った本ならまだしも、その書かれた言葉がそのまま世間のビジネスリテラシーを反映しているとしたら、あるいは、そこに書かれていることによってそこで思考の深度に満足し停滞しているとしたら、ビジネス書に書かれていることは、その本を理解できる人が多い以上、相対的に自

          ビジネス書を読んで満足するな