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仮説ドリブンに思考するなら哲学を学べ

哲学は方法そのものではない。結論と、それに向かうプロセスを含めたものという側面がが強い。

哲学が他の学問に比べてその用途が不明に思われがちなのは、結論自体よりも、哲学的著作の内容のほとんどが思考プロセスであることが挙げらる。そこも普通の本と比べて「わかりにくい」点である。

基本的に科学的なアウトプットは、科学的方法のルールに乗っ取り、アウトプットそのものと根拠となる観測された結果を示すが、哲学の場合は、観測された結果を「主観的に解釈し」話を進める。つまり、字面を追っていても、自分なりの仮説を立てながら、解釈をしながら読まないと著者の解釈についていけず、摩訶不思議な抽象の羅列になってしまう。また、ただ読んだだけだと「だからなんなの」?ともなりやすいのも哲学だ。

あるいは、難解かつ非実用的というイメージが先行してそもそも読まれない、ということもあると思う。


例えば、カントという哲学者の考えに「物自体に対する認識はできない」というものがある。これは、人間の認識は「主観」というフィルターを通す以上、その外界にある物体そのものを絶対的かつ確実に認識できない。ということだ。


応用すると「ファクトをもとに話せ!」というような言葉があるが、「そもそもファクトってなんなの?」となると、カントの「物自体(ファクト)」の概念を取り出して、絶対的な真実把握は主観的な解釈であるという思考の前提のもと、「ファクト」というものに必要以上にとらわれず自己の仮説を作ることができる、という論理も成り立つ。結局のところ「仮説」も「解釈」でしかない。

また、学術書でもあるため、アウトプットの応用までは提示しない。

哲学は現実の帰納であり、それと同時に演繹するための抽象的な解釈の理論である。哲学の帰納は主観を重視して行われる。となると哲学的著作そのものが壮大な仮説装置でもあると言える。ファクトがどうだという仔細な解説まではせず、(つまり具体例が少ない。これも読みにくい一因だ)前提として世界を解釈している。その意味で哲学書は「仮説ドリブン」思考の権化である。論理の立て方がある種直感的、感覚的とも言える。

仮説を立てるためには精度の高い抽象化は必要不可欠である。ビジネスは多様な事象に対処しなければならない。直感は必要不可欠である。そのためのレベルの高い抽象思考のプロセスと、その生成物である概念に知ることができるのがビジネスマンが哲学に触れるメリットである。

また、アウトプットそのものを学ぶのではなく、プロセスを学ぶことにも意識を向けなければならない。プロセス、つまり「どう考えてその結論に至ったか」である。それこそが「思考を学ぶ」ということである。

哲学はあくまでそのための思考を効率よく進めるためのツールの一つでしかない。時間は限られている。目的は目的を達成することにある。




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