『シルクロード旅行記』カザフスタンからローマまで6,000キロを歩く旅#02
ローマを目指して
アルマトイ空港のホテルで一泊し、翌朝バスに乗りゼンコフ教会へ向かった。その教会が僕の決めたシルクロードの出発点だった。
カザフスタンという国のイメージは、僕にはまったく掴みどころがなかった。ロシアの南、中国の西側に広がる内陸国で、遊牧民が肩に鷹を乗せて、草原を駆け巡っているような情景が頭に浮かんでいた。けれど、実際に足を踏み入れたカザフスタンは驚異的な大都会だった。高いビルがそびえ立ち、広大なショッピングモールや遊園地まである。街を歩く人々は、カラフルなシャツにジーンズ姿で、遊牧民のイメージとはほど遠い風貌をしていた。
アルマトイの街を見渡していると、ビルの間から雪山が姿を見せているのに気がついた。標高六〇〇〇メートルを超える巨大な山脈、天山山脈だ。その山の背には厚い永久雪が広がっていて、まるで巨大な雲か、あるいは街をとり囲む巨大な壁のようにも見えた。バスから眺めるその光景は、つい見とれるほど美しいものだった。そしてこの場所が、極東の孤立した島国ではなくて、ユーラシア大陸という広大な世界にいることを、僕に強く思い知らせてくれた。
バスを降り、森に覆われた公園の広場を歩いていくと、ふと鮮やかな黄色と青の建物が目に飛び込んできた。ゼンコフ教会だ。木造建築として世界で二番目に高い教会と言われるこの建物は、街のシンボルに相応わしく堂々とそびえ立っている。
教会内をひと通り見物した後、公園のベンチに座って地図を広げた。
アルマトイから西へ伸びるルートA2を進めば、やがてビシュケクという街に辿り着く。キルギスの首都だ。調べると、その街には中央アジアを旅するバックパッカーやキルギスに魅了された旅人が集う日本人宿があるという。足慣らしに、まずはその宿を目指すことに決めた。アルマトイからビシュケクまでの距離は二四〇キロ、一週間あれば到着する算段だ。
ザックを揺すり、バランスを整えながらきつくベルトを締め上げる。ゼンコフ教会をいくつかの写真に収め、公園のひんやりとした空気をいっぱいに吸って、僕は教会を発った。ローマまであと六〇〇〇キロだ。
アルマトイからルートA2に向かう途中、小さなパン屋が街の中にひっそりと佇んでいるのを見た。店内ではエプロンに身を包んだ女性たちが、朝の忙しさに追われながらも慎重に生地をこねていた。焼きたてのパンやドーナツ、パイが並ぶ様子を見て、僕はつい食べたくなってきた。
「これを、ふたつ」
身振り手振りと片言の英語で、焼きたてのパイを二つ注文してみた。彼女はうなずいて、紙袋に丁寧に詰め込んでくれた。一口頬張ると、その美味しさは期待をはるかに超えていた。パイ生地の中にはヒツジ肉や玉ねぎ、クミンなどの香辛料が混ぜられた、僕にとってはまったく新しい食べ物だった。
「サムサ、サムサ」
彼女が言った。そうか、これがサムサと呼ばれる食べ物らしい。僕はそのサムサというパイをもう二つ買って、ザックのポケットにしまった。
パイを食べながら歩いていくと、やがて市街地を抜け、ポプラの並木道が広がっていく。並木の向こうには緑が生い茂り、トタン屋根の平家が列をなしている。車や電車が少なくなり、代わりに牛やヒツジがのんびりと道路を横切り、その後を馬にまたがった牛飼いがペチペチと尻を叩きながら歩いていく。名古屋の市街地で過ごしてきた僕にとって、家畜が自由に行き交う風景はまるで異世界のように新鮮で、おもしろいものだった。
アルマトイを出発して五時間が経ち、早くも脚は疲れていた。背負った十七キロのザックが肩に食い込み、その重さで小石がサンダルを突き刺して、何度も痛みに飛びあがった。
しかし、この暑さに比べればザックの重みなんてかわいらしい。カザフスタンは日本とは比べ物にならないほどの猛暑だ。朝九時には四十五度の気温になり、強烈な日差しで全身から汗が吹き出る。まるで体が内側から煮えるような感覚だ。
シャツで汗を拭きながら歩いていくと、やがてポプラの並木が途切れ、一面緑の大草原が広がった。その壮大で美しい緑は、暑さも忘れるほどだった。アスファルトの道路を挟んで、草原は波のようにうねり、遠くの地平線まで続いていた。
僕は道路から外れて、大草原に足を踏み入れた。広がる空、まっすぐ伸びるアスファルト、そして美しい緑の波。これがこの旅路にあるすべてだった。壮大な大地の前に、僕は胸が熱くなった。「やってやろうじゃないか」と、心の中で強くそうつぶやいた。
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