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織田有楽斎と如庵  犬山【織田家のトビラ】

大名茶人 織田有楽斎の続編です。



京都での有楽斎展で特別見学会の案内を見つけてしまった有楽苑。所在地は愛知県の犬山市。特に帰路の予定は決めていなかったので寄り道しました。尾張生まれの自分には地図なしでも大体動けるエリア。自走旅の楽しいトコロです。

犬山市は愛知県の北端にあり人口は72,000人、織田信秀・信長親子の美濃攻略に立ちはだかった木曽川の向こう側は美濃の国。市のシンボルである犬山城は5つある国宝天守閣の1つ。コンクリート造ではなく室町期の築城とされる木造天守です。2004年まで成瀬家(江戸時代の犬山領主)の個人所有でしたが、現在は成瀬さんが理事長を務める財団法人の所有に(実質同じ?)。

犬山城 織田信長の叔父・織田信康の城
後に信長に攻略されます
天守から岐阜市方向 岐阜城が見えてるはず
三国志の劉備が没した白帝城はこんなカンジらしい

犬山城のそばにある有楽苑に有楽斎ゆかりの建物はあります。

有楽苑


隣に外資系ホテルが建ちました

愛知県犬山市御門先1


有楽苑には旧正伝院書院(有楽斎の隠居所、重要文化財)と茶室の如庵じょあん(国宝)が移築されています。どちらも江戸初期に京都の正伝院に建てられましたが、明治期に三井家により関東に移築され、1972年に名鉄(名古屋鉄道)によって犬山に移築。長い旅路の終着点でしょう(多分)。犬山市内には同じく名鉄が歴史的な建築(F・L・ライトの帝国ホテルとか)を集めた明治村もあります。

チケット売り場で内部特別見学会のグループが先行してますと案内されました。日時限定、定員20名で抹茶を楽しみつつ、ガイド付きで如庵の内部を見学できるプランです(如庵は通常外観の見学のみ)。見学のペース次第ではバッティングするかもしれませんと。気にせず進みます。

岩栖門
細川満元(1378-1426)没後に邸宅跡に建てられた寺の門を移築
岩栖院は現在では擁翆園に(一般非公開:京都市上京区)見たい!
満元は室町幕府の管領(No.2)だった人
徳源寺唐門
元は奈良大宇陀にある織田家菩提寺の山門
有楽斎系ではなく信長の二男信雄のぶかつの系統
こちらの門も三井家を経由しています


旧正伝院書院


萱門
書院と如庵への入口 こちらは三井家大磯別邸から

正伝院書院で特別見学会グループに追いつきガイドさんが解説中。隣接する如庵から御一行が移動するまでしばしブラブラ。

旧正伝院書院(重要文化財)
書院内部 長谷川等伯や狩野山雪の襖絵に飾られていた有楽斎の隠居所
襖絵は通常時には外されているようですが名鉄グループ所蔵


如庵 国宝の茶室


そして有楽斎の美意識の結晶 如庵(国宝)
正伝永源院に残る扁額は「如菴」
有楽斎展の図録に掲載されています

御一行はほぼ移動しましたが、年配のお2人の激写は続いていました。そこにガイドさんがやや怒り気味で戻ってきて「皆さんがお待ちです!!」と。団体行動に向いていない人はどこにでもいます。(笑) 
そして誰もいなくなりました。通常時がどうなのか分かりませんが、特別見学会のおかげか如庵の障子窓が開いていました。ツイてたのか?

 
細い竹を詰め打ちした有楽窓と腰張りの暦 読めんけど
床の間の右側の壁(床板が三角部分)が特殊らしい
柱の虫食い こういうのは最近の建物では見ないような

大井戸茶碗 有楽(重要美術品:東京国立博物館蔵)
 
 

 

如庵の魅力は簡素で余計なものやノイズがないシンプルな空間(茶室はそういうモノかもしれませんが)。有楽斎の真意は分かりませんが、「趣向を凝らしました!」的な印象がありません(気付いてないだけかも)。

ちなみに京都の正伝永源院には如庵の写しが復元されています。

加藤清正が朝鮮渡海時に釜山の海から引き揚げた石!
秀吉に献上され有楽斎のもとで蹲踞つくばいに(左)
有楽斎好みの井筒「元和元年九月二日有楽」と刻まれているらしい(右)
国宝のお城のそばにやってきた国宝の茶室
2022年に調査、保存修理完了

有楽斎が支えた姪である淀の方(1569-1615)とその子豊臣秀頼(1593-1615)が大坂夏の陣(1615年)で大坂城とともに滅んだ後、有楽斎は建仁寺の正伝院に書院や茶室を建てています。そして有楽斎の美意識は武家茶道・有楽流へと昇華していきます。

こちらは元庵
大坂の天満にあった有楽斎の屋敷を古図をもとに復元したもの
デザイン言語は如庵と共通

有楽斎は信長という強烈な思考と戦略、行動力を持った兄の下で育ち、その結果として一流のヒトやモノに出会う機会も多かったでしょう。信長は悲劇的な最期を遂げますが、有楽斎は後継の権力者となった豊臣秀吉や徳川家康とも折り合いをつけつつ、茶の湯の道でも一目置かれる存在になっていきます。
権力者とのやり取りや敵対する他家との外交交渉は、一歩間違えれば命を落としかねません。有楽斎の生まれ持った資質もあったかもしれませんが、そんな日常のやり取りの積み重ねが絶妙なバランス感覚と観察力や洞察力を練り上げたのでは想像します。
有楽流の茶風は「お客さんをもてなす事を本位とする」だそうです。「もてなす」という行為は、相手の好みや気持ちを客観的に汲み取れる事が必要でしょう(主観が過ぎると押し付けがましい)。
相手に対する心配りや気遣いという「もてなし」の本質は、有楽斎が辿り着くべきトコロだったのでしょう。


有楽斎の特別展はサントリー美術館に巡回しています。

織田有楽斎展 チラシ
サントリー美術館 2024年1月31日-3月24日
こちらのチラシの方が好み


犬山城天守から名古屋方向の眺め
中央に名古屋駅から栄の高層ビル群 その手前に微妙に小牧山城


おわり

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