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覇王と対峙した法主 築地本願寺【伊東忠太3】東京都中央区
前回までの上杉神社、武田神社からお寺へという流れ。キーパーソンは伊東忠太。今回は日本で最多の信者を擁する浄土真宗のお寺です。トラディショナルな神社から石造りのお寺へとデザインの文脈は全く異なります。ちなみに信長の野望プレイヤーにとっては、一向宗徒(浄土真宗系)はとてもメンドーな集団。自領内での彼らの蜂起は即リセットの対象です。
浄土真宗系のお寺建築といえば、西本願寺か東本願寺が王道でしょうか。とはいえ本願寺派の他にもいくつかの派閥があって、そのヒエラルキーが門外漢には理解しにくいのが正直なトコロ。
仏教は他宗派も含め、どの経典に重きを置くかによって各派が差別化を図っているという程度の認識しかありませんが、どの宗派にも共通するのは信仰のステージを上げるためには有料の各種オプションが必要というモヤモヤ。
日本各地にある本願寺派のお寺の巨大さには驚かされますが、一風変わったお西さん(西本願寺)の関東での拠点を。
築地本願寺
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築地本願寺の始まりは1617年の浅草から。1657年の明暦の大火で焼失し、幕府の都市復興計画で与えられたのが築地。なんと当時は海だったそうです。幕府の嫌がらせなのか、西本願寺の財力を認識していたのか分かりません。パンフには「佃島の門徒が中心となり海を埋め立てた」と記されています。
佃島の人々は、徳川家康の関東移封時に家康から頼まれ大坂(現在の西淀川区あたり)からやって来た人達で、漁業権や年貢の免除等の特権を保証されています。門徒というからには、大坂本願寺で織田勢と対峙していた人たちかもしれません。そんな彼らが関東でも寺内町を形成しています。
石造りの重厚な本堂は、1934年に再建されたもので伊東忠太の設計(重要文化財)。旧本堂は関東大震災で焼失しているので、石造りの選択は当時としては最適か。外観のスタイルは古代インド仏教様式で、伊東忠太の研究成果が盛り込まれたモノでしょう。
東京都中央区築地3-15-1
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重厚な石階段を上がると、これまた重厚な入口が。
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柱や梁もまた重厚。宗教施設内部は撮影可能か必ず確認していますが、お寺のスタッフさんは「どうぞ どうぞ!」とウェルカムな雰囲気(2022年時)。このあたりは浄土真宗のお寺全体に共通する印象。ただし先日足を運んだ時は警備の方がいて、法要時はダメですよとの注意書きも。度を越した人が増えたのでしょうか、基本は撮影可です。
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浄土真宗系は金ピカがデフォルト。柱や梁に天井も豪華。オリジナリティあふれる浄土世界。
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比較のためこちらは大阪の本願寺堺別院の本堂。江戸時代のモノなので、こちらの方がお寺感は強い。スタイルは築地と同じく金ピカの文脈。
築地に戻ります。
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築地本願寺にはパイプオルガンもあります。神仏習合の進化系。
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西本願寺の家紋は下り藤。藤原氏の系譜だからでしょうか。
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伊東忠太
伊東忠太(1867-1954)は出羽米沢の人。神社仏閣建築を数多く手掛けています。
東京では
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上杉神社や武田神社のような正統派日本建築から、インドや中国とアジアの様式まで幅広く取り入れたスタイルまで。当時の最先端なのか、はたまた多様性なのか。
築地本願寺の設計は、忠太さんと法主さんのつながりから始まっています。
大谷光瑞(浄如:1876-1948)は、本願寺派22世法主で伯爵。爵位を受けているコトにまず驚きます。藤原系とはいえ血脈による世襲の家系だったからのようです。ちなみに藤原氏の氏寺だった奈良興福寺からも還俗して華族になった方々(奈良華族)がいます。
忠太さんは建築留学のために訪れていた中国で、こちらも仏教研究のため法主により中央アジアに派遣されていた大谷探検隊と偶然出会い、西本願寺との縁が始まったそうです(法主自身もシルクロードを調査しています)。
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ここ数年のお寺経営は、檀家や信徒の減少が問題になっています。何かで見かけたのは、築地本願寺での元銀行マンによる収益改善という記事。その一環かどうかは不明ですが、築地本願寺カフェでの朝食が話題です。
タイトルだけ見ると、健康的ライフスタイル的なモノに思えます。お洒落な雰囲気の店舗で値段もややパンチが効いていますが、予約も取りづらい程の人気のようです。写真で見る限り、煩悩あふれすぎ(笑) これぞ浄土真宗スタイル! ちなみに普通の和食レストランもあります。
親鸞上人
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浄土真宗の祖は親鸞(1173-1262)。藤原北家の血筋で、日野有範の子という出自。築地では新大橋通りに面した境内の端っこで銀座方面を向いています。師匠の法然(1133-1212)は、浄土宗の祖。
親鸞さんにその意図はなかったかもしれませんが、子孫を中心とした後継者達による組織化と大衆をターゲットにした布教が勢力拡大のポイントでしょう。そのあたりは公家社会のヒエラルキー構築に似ています。
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こちらは堺別院の親鸞さん。築地バージョンと同じ出で立ち、細身です。
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堺の親鸞像の向かいには第8世法主蓮如(1415-1499)像、こちらは本願寺派中興の祖。笠は脱ぎ杖はナシ、親鸞さんより少しガッチリしています。
そして戦国時代の寵児織田信長(1534-1582)と対峙したのが第11世法主顕如(光佐:1543-1592)。個人的には戦国大名カテゴリーの人。ちなみに武田信玄(1521-1573)の継室と顕如さんの室は姉妹(藤原北家系の三条公頼の娘)なので、2人は義兄弟の間柄。信長包囲網では共同戦線を張っています(しかし信玄さんの病没により信長さんはピンチを脱出)。
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古くから武家勢力に立ちはだかったのが権門化した寺社勢力。比叡山延暦寺や奈良興福寺は僧兵と呼ばれる武闘派を多数抱え、朝廷にさえ圧力をかけました。真言宗系の紀州根来寺にいたっては当時の最新兵器鉄砲の伝来にも関与し、いち早く採用した鉄砲武装隊は傭兵ビジネスを展開(現代のお寺に対するイメージをはるかに超越しています)。そんな歴史も寺社の一面。
ざっくり東日本は東本願寺(真宗本廟)、西日本は西本願寺(龍谷山本願寺)のテリトリーらしいのですが、これは徳川家康(1543-1616)が寺社勢力の強大化を防ぐための政治的判断ともいわれています。家康さんも一向一揆に泣かされた1人。
京都の西本願寺や東本願寺では国宝や重要文化財の建物がひしめき、伽藍全体がミュージアムです。築地本願寺も本殿は重要文化財ですが、宝物館のような展示施設はありません。ただ親鸞像の近くにはスゴイ絵師のお墓がひっそりとあります。
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酒井抱一(1761-1829)は江戸琳派の人。兄は姫路藩主酒井忠以(宗雅:1756-1790)、兄はお茶系のスゴい人。
抱一さんの作品をトーハクのコレクションから
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夏秋草図屏風的な扇
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春ですね(3月ごろの展示)
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桜も満開にしないトコロが抱一さんのセンスでしょうか。
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蝶はなんだかシミのように。
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椎茸を結んでいる不思議な図。落款もイロイロと違います。
インバウンドを含め観光客の絶えない築地本願寺。ココにひっそりと浄土真宗の核心(よく知らんけど)が表現されています。
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「他力本願」は、一般的には「人まかせ」的な意味で使われたりしますが、本来は阿弥陀様のパワーが他力の本意。「阿弥陀様にお任せすれば間違いない」的な。ただこの書体はなんとも脱力系。結局おまかせ!
石造りの伽藍は、いわゆる古刹と呼ばれるお寺にはない独特な雰囲気です。ただ築地本願寺には緑が少ないので、これからの季節は見た目も体感も暑さが気になります。地球の温暖化には都会にもリアルなオアシスが必要です。
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