ある意味ホンダの聖地 マクラーレンMP4/7A 高根沢町歴史民俗資料館【ファクトリーマシンのトビラ6】 栃木県塩谷郡高根沢町
1989年は日本車のヴィンテージイヤーといわれます。日産のスカイラインGT-R、マツダの(ユーノス)ロードスターにホンダのNSX、そしてカテゴリーは異なりますがトヨタのセルシオ。
2輪・4輪問わずレースの世界では何度も頂点を極めたホンダ。市販車スーパースポーツの世界でもヨーロッパ勢のフェラーリやポルシェに真っ向から挑みましたが、彼らのブランド力を追い越せたのかはビミョー。ただし、快適性という点ではかなりの衝撃を与えたとも。
そのホンダチャレンジの拠点が栃木にありました。
塩谷郡高根沢町の人口は28,000人。地図で確認してみると町域に広がるのはほぼ田畑(グーグルマップ航空写真でのモザイクは壮観)。
江戸時代の下野(栃木県)北部は、那須衆とよばれた交代寄合(参勤交代する旗本衆:那須氏、福原氏、薦野氏、大田原氏)や足利尊氏の末裔喜連川氏といった、小粒ながら坂東では長い歴史を持つ家々のテリトリー。
ただし高根沢は幕府領で、徳川御三卿の1つ一橋徳川家の領地でした。陣屋も置かれていたそうです。
御三卿は御三家のリメイク版で、8代将軍徳川吉宗(1684-1751)の子から2家(田安家、一橋家)、9代家重(1712-1761)の子から1家(清水家)の計3家(各10万石)により構成。
高根沢町歴史民俗資料館
栃木県塩谷郡高根沢町石末1825
資料館は運動公園や町民ホールを備えた町民広場の一角にあり、敷地自体を豪農屋敷に見立て、蔵(資料館)、長屋門(展示・収蔵)、本屋の三棟を配置。驚いたのは移築ではなく、すべて1996年に新築!によって開館という剛腕ぶり。勘違いされるコト間違いなしというスタイルのミュージアム。
展示品には縄文時代のモノも並べられていますが、個人的にはその時代までフォローできていません(歴史展示に関しては物足りない印象)。
ただし入場無料なので不満のカケラもありません。
特徴はF1をはじめとするホンダのレーシングカーが定期的(日本GPの時期に合わせてでしょうか)に展示され、外観からは全く想像できませんが、ホンダコレクションホールのアネックス的な立ち位置(個人的感想)。
長屋門の奥にF1というのは、もしかすると村田珠光的なのかもしれません。
下野では、豊臣秀吉による検地も行われています。担当は浅野長政で、奥州仕置の中心メンバーを務め、そのまま北関東と奥州の窓口役に。伊達政宗に絶縁状を叩きつけられた人。
高根沢町とホンダ
かつて高根沢町にはホンダの工場があり、その縁でコラボ企画されてきたそうです。資料館のスタッフさん(館長?)のお話では、かなりの田舎にも関わらず当時はNSXやS2000がよく走っていたそうです(ちょっとした地域の自慢らしい)。
ホンダ高根沢工場は高根沢町の南端に位置し、工場敷地の半分はお隣の芳賀町側。1990年に生産業務が始まりますが、2004年に鈴鹿製作所に業務移管されて閉鎖、現在は本田技術研究所の四輪車R&Dセンターに。テストコースも備えていました。
ホンダはF1に参入と撤退を繰り返していて、4期目を2021年に撤退し現在に至っています。そして2026年に再び参入予定!
今回は第2期1983年から1992年の始まりと終わりのマシンを展示。
高根沢工場はNSX専用としてスタート。
NSXはオールアルミモノコックという先進的なボディ(軽い)を持ち、そのコンセプトにはホンダらしさが溢れたスーパースポーツカー。
工場では他にはS2000、インサイトといった個性的な少量生産車も。
こういうスタイルの町の歴史は見たコトがありません。
もてぎ(サーキット)とさくら(F1)には、現在もホンダの拠点があります。高根沢も加えると栃木ホンダトライアングル。
鈴鹿と同様に栃木もホンダの聖地に。
インサイトはホンダ エコカーの元祖。後輪のスパッツがグループCカー的でしたが、空力的効果が得られるスピードはどれくらいから?
閉鎖記念?のピンズも制作されています。当時は定番のイタヤさん。
マクラーレン・ホンダMP4/7A
1992年、デザインはニール・オートレイとアンリ・デュラン。ドライバーはアイルトン・セナとゲルハルト・ベルガーのコンビ。
6速セミオートマチックミッションやドライブ・バイ・ワイヤ(DBW)と呼ばれるアクセルがワイヤケーブルでなく電気信号でつながるシステムを搭載。モノコックはメス型(カウル不要)で全てマクラーレン初の装備。
当時ウィリアムズで猛威を振るい始めたアクティブ・サスペンションも装備予定でしたが、開発が間に合わず未搭載。
エンジンはホンダ珠玉の75度V型12気筒の排気量3,500ccで最高出力は774馬力/14,400rpm。前年度のエンジンからは新設計となり、パワーに関しては当時の最強エンジン。
次年度にホンダはF1を撤退、以降レギュレーションも変わっているので、現時点ではホンダ最後の12気筒エンジン。
セナが3勝、ベルガーが2勝していますが、異次元の速さを備えたウィリアムズFW14Bにタイトルは持っていかれました。
MP4/7Aは少しハイノーズ化されスリムになっています。ウィングのフラップはシンプルですが、マクラーレンもパワーから空力重視へとコンセプトシフトが始まっています。
そして翌年はホンダV12からフォードV8にエンジンを換装し、アクティブサスペンションの完全武装でハンドリングマシンに。
ホンダはレースにおいてはパワー(直線最速)至上主義といわれていましたが、当時は2輪・4輪ともにエンジンと車体のバランスを重視するようになっていった転換期。コーナーが遅いとトータルのラップタイムで不利になり、燃費が良ければ重量を軽くできて効率を上げる要素も増えるという考え方。
マクラーレンMP4/7Aのより詳しい情報はこちらの1冊。
(アマゾンとは何の関係もございません)
さらにモデラー視点でオタク度の高い1冊、写真集です。
町立の資料館では、所蔵品を充実させたり何かしらの研究を進めるにはハードルが多いコトでしょう。なによりハードは整備されたものの、そのビミョーななんちゃって感はネガティブ要素かも。そして目をつけたのが、ホンダという新しい町の歴史。
通年展示は無理があるとしても、2輪と4輪で年に2回ほど頑張っていただけるとリアルな聖地のアネックスになれるかも。
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