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土佐山内家巡礼 高知城・県立歴史博物館・山内家宝物資料館 高知県高知市
「遠流の地 土佐」。佐渡や隠岐といった離島と同じく、重罪の流刑地のことです。京都から遠く離れた地へといういわゆる島流し。死罪に次ぐ重い刑です。知ったのは高知県立歴史民俗資料館での特別展(現地には行けなかったので後日図録を入手)。ちなみに律令制では東日本の常陸、安房、伊豆(現在の茨城、千葉、静岡)も遠流の対象地域でした(源頼朝の配流地といえば伊豆)。過去にはそんなネガティブな土地だった高知。
一般道を使って高知を目指すと、どのルートも気持ちいいワインディングが続き楽しめます。ただし時間はそれなりにかかるので、高知へのアクセスは良くないなと感じます。気分的に遠く感じるので、ある意味遠流の地を実感できます。図録によると現在の高知道自動車道にあたるルートが最も険しいとされ、後に廃れて海路に。個人的にはそのあたりの大歩危・小歩危を通る国道32号線が最も気持ちよく走れます。
土佐の国を江戸時代を通じて統治したのは尾張出身の山内氏。幕末には薩長土肥の一角として明治維新をリードします。山内氏の歴史は、高知の東から西まで広範囲に残っていますが、今回は高知市内の記録です。
高知市の人口は316,000人。高知県の人口が663,000人なので、ほぼ半数がこの地域に集中しています。地図で確認すると平野部はこのあたりにしか見当たりません。
歴史への興味から始まったミュージアム巡りですが、高知といえば高知県立歴史民俗資料館に高知城とここ土佐山内家宝物資料館が必修でした。過去形なのは現在は閉館されているから。そうはいってもまずは高知城歴史博物館の前身といえる土佐山内宝物館へ。
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ちょっと尾が短い
土佐山内家宝物資料館
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鏡川のそば、高知では神様となった山内さんを祭る山内神社の脇にあった資料館です。土佐山内家が所有していた武具、書跡、古文書等が展示されていました。現在は閉館。すぐ近くには山内家の遺構となる山内家下屋敷長屋(重要文化財)があります(見学可)。
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ウサ耳の兜は今も昔もアイコン
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土佐山内家宝物資料館&高知県立文学館
何度か企画展示に足を運びましたが、なにせマイナーすぎて情報が少なかった(オタク向け?)。そのうち新しく県立の歴史博物館がオープンするコトを知ります。
2004年頃に山内家19代当主・山内豊功さん(1940- )が、伝来の大名道具36,000点を高知県に寄贈されています(時価10億円とも)。地元の高知に歴史的価値の高い品々が散逸しないよう残したいとの思いからだそうです。個人で膨大な歴史資料群を管理するのは、時代的に厳しくなってきているのでしょう。
公立ミュージアムへのまとまった形での寄贈といえば、伊達家の仙台市博物館と黒田家の福岡市博物館・美術館のコレクションが個人的にはツートップです。ただし山内家は県立と力が入っています(福岡と仙台は政令指定都市ですが)。
高知県立高知城歴史博物館
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高知県高知市追手筋2-7-5
そして高知城の追手門前に新しくできた高知城歴史博物館。2017年の開館で建物は日本設計によるもの。運営の指定管理者には土佐山内記念財団。
国宝の古今和歌集(高野切本)を含む土佐山内家伝来の67,000点の資料を中心に土佐の歴史を展示・解説しています。高知県立歴史民俗資料館とカブる部分がありますが、ざっくりコチラは山内家、アチラは長宗我部家メインという印象です。
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オープン前(左)、2017年版(中)、2023年版(右)
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2023年3月-5月 高知城歴史博物館
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ウサ耳が特徴
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年間を通じて企画展も多く、通えるのであれば年パスが欲しくなるミュージアム。そして建物そのものが山内家の歴史を語る高知城へ。
高知城
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2021年版(左)、2023年版(右)
高知城は山内一豊(1545-1605)によって築かれました。一豊は関ヶ原の戦いでの戦功により遠江・掛川59,000石(静岡県掛川市)から、土佐一国240,000石(通称で実際は202,000石らしい)へと大出世の移封(今風でいえば給料4倍)。お城は完成までに約10年を要しています。
土佐の国は織田信長が本能寺の変で横死した頃には、四国統一にもう少しと迫った長宗我部氏の本拠地でした。除封された長宗我部氏に代わり進駐軍となった山内一豊は、長宗我部氏の旧臣たちをかなり警戒したようです。領地拡大に伴う家臣の新規採用は上方で行い、現地採用は郷士として格差がつけられています。ただし郷士でも有能な者は上士(掛川以前からの家臣や上方採用の者たち)として採用されたようです。そもそも一豊自身が実力主義で台頭した人だし。
高知城には江戸時代からの遺構となる天守(重要文化財)が残っています。日本全国で現存している天守があるのは12城だけです(四国には他に松山城、宇和島城、丸亀城と4城)。そして天守と御殿が一体化して残るのは高知が全国で唯一です。全国に築かれたお城でも御殿は天守と分けて作られているのがほとんど(多分)なので、一豊のセンスは他とは一線を画します。
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山内一豊像が見えます
高知城入口付近の公園では、将棋を楽しむオジサンやおじいさんを見かけます。みなさん静かに将棋盤に集中しているので、周囲にはややピリついた空気が。
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大河ドラマの主役になった人
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ヘソクリで一豊に名馬を買ったとされている人
一豊と同じく大河ドラマの主役
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「板垣死すとも自由は死せず」の人 自由って大切
そして目にする機会が減った100円札の人
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山内一豊は安土桃山時代の最強ゼネコン・豊臣組の一員です。豊臣組員は必修の戦闘力の高さに加え、検地や都市計画といった領内の統治能力も必要とされました(ヘタ打てば即クビ)。中でも築城の技術やセンスはコアな基本能力と言えます。財政力をベースに、地域経済や軍事・防衛力をどう発展させていくのか、統治者たる大名の持つヴィジョンが視覚的にも家臣・領民に伝わります。最悪なのは見栄張って身の丈に合わないお城を造り、財政と領民が疲弊するケース。
お城は現在でも地域のシンボル、住民の心の拠り所という側面があります。
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奥には山内家の丸に土佐柏紋 三菱のスリーダイヤのベースにも
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市街地の奥に見えるアンテナ塔のある山が五台山
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さらに西多聞と東多聞が接続
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一両具足は半農半兵の人たち 説明によれば「命知らずの野武士」らしい
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高知城の石垣には野面積みが多く見られます。最新の切込接ぎは石を加工して隙間なく積み上げますが、高知は雨が多い地域なのであえて野面積みで排水し易くしています。そして場所によっては(16ヶ所)、排水が石垣を直撃しないよう石樋が設けられ、その下には水受けの敷石があります。
お城は歴史好きや建築好きを引き寄せます。歴史価値の高い現存天守だけでなく、史実とは何の関係もないなんちゃって天守(コンクリート造り)も展望台としての価値があります。高知城は両方兼ね備えていて、歴史博物館もある理想的なトコロです。
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