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週末読書メモ83. 『読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術』

(北海道十勝の農家6代目による週次の読書メモ)

何かを書きたい人、書かずにはいられない人へ。書くことへの向き合い方が変わるような1冊。


自分のために、書けばいい。読みたいことを、書けばいい。

「読み手目線で書こう」「分かりやすく書こう」、そんな巷ある文章術の本とは一線を画す内容。けれど、書く人にとって、とても大切なことがこの本の中にありました。

筆者は、電通で24年間勤めたのち、現在は「青年失業家」と自称しフリーランスとして執筆活動をされている田中秦延さん。インターネット上で硬軟幅広いテーマで文章を書き、ライターとして知る人ぞ知る筆者が初の著作となるのが本作です。

人並み以上に書くことと向き合ってきた筆者が言いたかったこと、それがタイトルにもある「読みたいことを、書けばいい」でした。


よく文章指南の本には、「なにが書いてあるかが大切」という教えが書いてあるが、現実は違う。「だれが書いたか」のほうが、多くの人にとっては重要なのだ。だからこそ、「ターゲット層にバズりたい」「たくさん読まれたい」「ライターとして有名になりたい」という思い違いを捨て、まず、書いた文章を自分がおもしろいと思えれば幸せだと気がつくべきだ。

じつは、書きたい人がいて、読む人がいる文章のボリュームゾーンは「随筆」なのである。
(中略)わたしが随筆を定義すると、こうなる。
「事象と心象が交わるところに生まれる文章」。
(中略)人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えたことを書きたいし、また読みたいのである。

筆者は述べます、文章を書くにあたり大事なのは、読み手からの理解や承認では無い、書き手自身が面白いと思えること。

コペルニクス的転回というか…筆者は「あなたが調べていくら書いても、宇多田ヒカルのトンカツ感想話に勝てない」と断言。だからこそ、自らのために書いた方がよっぽど良いと(そして、自らのために書いたものが、だれかの目に触れて、その人とつながる奇跡こそ幸せでは無いかと)。


本書の魅力はこれだけではありません。筆者は読み手の目線は全く気にする必要がないと言うのに対して、その書く内容は「好き勝手書くな、徹底的に調べる努力をしてから書くべき」と強調することにあります。

つまらない人間とはなにか。それは自分の内面を語る人である。少しでもおもしろく感じる人というのは、その人の外部にあることを語っているのである。
(中略)随筆とは、結局最後には心象を述べる著述形式だということは述べた。しかしそのためには、事象を提示して興味を持ってもらわなければならない。事象とは、つねに人間の外部にあるものであり、心象を語るためには事象の強度が不可欠なのだ。

「巨人の肩に乗る」という言葉がある。こっちはわたしが捏造したものではない。12世紀のフランスの哲学者、ベルナールの言葉だ。歴史の中で人類がやってきたことの積み重ねが巨人みたいなものだから、我々はその肩の上に乗って物事を見渡さない限り、進歩は望めない、という意味だ。
(中略)巨人の肩に乗る、というのは「ここまでは議論の余地がありませんね。ここからは先の話をしますけど」という姿勢なのだ。

文章を書くときに絶対に失ってはいけないのが「敬意」だ。
(中略)調べることは、愛することだ。自分の感動を探り、根拠を明らかにし、感動に根を張り、枝を生やすために、調べる。
愛と敬意。これが文章の中心にあれば、あなたが書くものには意味がある。

読み手への態度とは一転し、一次情報や古典は決して疎かにはせず、文章(特に随筆)は事象と心象の2つによって成り立っているゆえに、心象を語るためには事象の強度が不可欠だと述べます。

”巨人の肩に乗る、というのは「ここまでは議論の余地がありませんね。ここからは先の話をしますけど」という姿勢なのだ”。このフレーズには思わず唸ります。この姿勢は文章を書くときだけでなく、物事を考える・語るときにも大切にしたいです。


本書には随所にコラムがあるのですが、その1つに”書くために読むといい本”という内容があります。このコラムに筆者田中秦延さんの基盤を感じることができます。

そこで紹介されていたのは、海外だとロマン・ロランやカール・マルクス、日本だと司馬遼太郎や塩野七生さん。

他にも、シェイクスピアやトルストイ、ドストエフスキーまでも当たり前のように挙げられ。

どれも数1,000ページにも渡る超長編作なのでは…笑(筆者は、これらを読み切るのにどれ程のエネルギーが必要かを分かっている。絶対、その上でオススメをしている。同じ世界を見るために、感動するために)

自分が尊敬する心に刺さる文章を書く経営者の方が、「自分の文章力が上がったのは、名小説をたくさん読んだ賜物」と話していました。例に漏れず、文章の中身も書き方も、はちゃめちゃ面白いこの筆者も相当に骨太な読書家です(プロフィールを見返すと、”学生時代に6,000冊を乱読”とあり)。

人の心象を揺さぶれるような人の土台には、人並み以上の読書体験や読書を通した感動があることを感じざるを得ません。


書くスタンスから、書く内容、書き手に必要なものまで含まれた著作。

家業に入った初期に本を貪り読んでいた時期からは量を減らし、(流し読みを除いて)この数年は週に2〜3冊程度。その中でも、間違いなく今年のベスト5に入る1冊!

自分自身、毎週読んだ本の中で1冊を取り上げ続けてきて1年半、今後の方針を見直そうとしていた最中、書くことに対する気持ちが軽くなると同時に、背筋が伸びる内容でした。

自分のために書いたものが、だれかの目に触れて、その人とつながる。孤独な人生の中で、誰かとめぐりあうこと以上の奇跡なんてないとわたしは思う。
書くことは、生き方の問題である。
自分のために、書けばいい。読みたいことを、書けばいい。


【本の抜粋】
じつは、書きたい人がいて、読む人がいる文章のボリュームゾーンは「随筆」なのである。
(中略)わたしが随筆を定義すると、こうなる。
「事象と心象が交わるところに生まれる文章」。
(中略)人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えたことを書きたいし、また読みたいのである。

よく文章指南の本には、「なにが書いてあるかが大切」という教えが書いてあるが、現実は違う。「だれが書いたか」のほうが、多くの人にとっては重要なのだ。だからこそ、「ターゲット層にバズりたい」「たくさん読まれたい」「ライターとして有名になりたい」という思い違いを捨て、まず、書いた文章を自分がおもしろいと思えれば幸せだと気がつくべきだ。

つまらない人間とはなにか。それは自分の内面を語る人である。少しでもおもしろく感じる人というのは、その人の外部にあることを語っているのである。
(中略)随筆とは、結局最後には心象を述べる著述形式だということは述べた。しかしそのためには、事象を提示して興味を持ってもらわなければならない。事象とは、つねに人間の外部にあるものであり、心象を語るためには事象の強度が不可欠なのだ。

文章を書くときに絶対に失ってはいけないのが「敬意」だ。
(中略)調べることは、愛することだ。自分の感動を探り、根拠を明らかにし、感動に根を張り、枝を生やすために、調べる。
愛と敬意。これが文章の中心にあれば、あなたが書くものには意味がある。

そもそも、何十年、何百年、千年、という歴史を生き抜いている古典は、重版出来なんてレベルじゃなくおもしろいから、今日も印刷されているのだ。
本を読むことを、すぐ使える実用的な知識を得るという意味に矮小化してはいけない。本を読むことを、その文章や文体を学ぶということに限定してはいけない。本という高密度な情報の集積こそ、あなたが人生で出会う事象の最たるものであり、あなたが心象をいだくべき対象である。
なにより、あなたが読書で感じた体験を、感動を、いつの日か、あなた自身が書くことで誰かに与えられる可能性がある。だからこそ、人間は書くのである。

自分のために書いたものが、だれかの目に触れて、その人とつながる。孤独な人生の中で、誰かとめぐりあうこと以上の奇跡なんてないとわたしは思う。
書くことは、生き方の問題である。
自分のために、書けばいい。読みたいことを、書けばいい。

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