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いまは「ありがとう」なんて思えない。



2024年4月16日


相良隆太 25歳 
(ラグビー選手:三菱重工相模原ダイナボアーズ)

以下、本文は無料記事です。

僕は今日、競技生活からの引退を決断した。
以前から決断はしていたのかもしれないが、それを言葉にした。
約15年にわたる競技生活に終止符を打つ。
この決断をした直後の素直な思いは「悔いしかない」というものだ。
やりきったからやめる。何かを何遂げたからやめる。やめることを決めたらスッキリするもんだと思ったけど、むしろ苦しく、なんなら痛い。
悔いがないなんて嘘でも言えない。
そりゃ、できれば、「悔いはない。」と、そう言いたかった。
現に涙を堪えながら出力している。
たぶんこれから書き出す内容は、「何回言うんだ!しつけーな!もう聞いたよ!」と思うほど、同じことばかりを書いているだろう。
また、涙を堪えながらと言ったが、
実際は悔しくてたまらなくて泣いてる。
ダセえから泣くなよ。
泣きたくて泣いてねえよバカたれ!
泣いたってなにも変わらないって言われるけど、誰だってそんなつもりで泣くんじゃないよね。
そう宇多田ヒカルも言っていた。


知らねえよ!って言われるかもしれないけど、少しだけこれまでについて触れておこう。
(このnote自体、知らねえよ!っていう内容だし、おまえ誰だよ!て感じだが。)

まず、父は早稲田大学卒業で、三菱重工業株式会社に入社。
社員選手として働きつつ、ラグビー選手、監督という一面も持っていた。
後に早稲田大学ラグビー部の監督となり、同校を10年ぶりの大学選手権優勝へと導いた。ラグビー界という狭い世界だと少し有名?だ。なんか、「早稲田ラグビー最強のプロセス」なんて本も出してる。

こんな父のおかげで、幼少期から何不自由のない生活をさせてもらえていた。
そんな中で「夢」を意識するようになったのは小学4年の頃。
相模原から八王子に引っ越したタイミング。
弟とラグビーを始めた。
楽しかった。
サッカーはあまり好きじゃなかったし、水泳では選手コースまで続けたものの万年ドベだった。
ラグビーは合法的に人にぶつかり、倒せば倒すほどに評価される。
タックルに魅了され、のめり込んだ。
週末はラグビースクール以外の時間を使ってでも、父と弟と練習した。
才能があると勘違いした。
(これを勘違いではないと証明したかった。)
ここで小学4年にして夢へのプロセスを明確にした。


「早稲田に入り、三菱でラグビーをする」と。


中学受験で桐蔭学園中学校に入学した。
ここではいろんな出会いがあったし、かけがえのない友達もできた。
何より、ラグビーが楽しかった。


内部進学で、桐蔭学園高校へ。
まるでロボットかのように、監督やコーチの駒のようにラグビーをするようになった。
怯えながら、で監督・コーチの印象に残る「インパクトのあるプレー」をひたすらに追求し続けた。結果、一年生の頃からトップチームと練習できたし間違えではなかった。でも、花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)の前には受験の失敗が理由で、「お前はやる気がなくなった」と先発メンバーから落とされた。正直、今考えれば僕にもっとやりようがあった。シンプルに受験に落ちようが何しようが価値ある選手になっていればよかっただけのこと。また、はじめから臆せず先生方と対等にコミュニケーションを取っていればよかったと思う。
ラグビーにおいての後悔、憎しみのはじまりだが、唯一、勝ち続けていた事実のおかげでラグビー自体はまだ楽しかった。
学校生活では「さがら塾」なんていう、女子と話せない集団の長を任されていた。これも楽しかった。


大学は結論から言うと、早稲田落ち、立教大学への進学に決めた。
正直、立教大学という環境を理由(言い訳)にラグビーへの熱が冷めかけた。
ただここでは踏みとどまり、何かやり残したことはないか考えた。
トップリーグ(当時)への挑戦が残っていた。
ニュージーランドへの留学や、身体づくり見直し、目標までのプロセスを再構築し、とにかく練習し、色々な環境に飛び込み何かを自分で掴み、爪痕を残すと覚悟した。
また、大学生活へ若干の期待も抱きつつ、立教大学に入学した。

大学への期待は初日で砕かれ、挫折した。
6年間の男子校生活からか?
「人間関係不得意」が顕著にでた。
何を話したらいいのか分からない。話をしてみてもつまらない。笑いどころが分からない。
そんなことを考えていたら周りはあっという間にグループになっていって独りになった。
麒麟の川島さんの言葉を借りれば、「切り傷みたいな目」で学部ではしゃぐ人間(世界)を見ていた。
みんなが眩しすぎて、学校へは必ず裏門から入り、隅っこを歩いた。
部活に行っては、大した子いないのよねえ。学部ね、気が合う人がいないのよ。とハスっていた。
ある授業では、自分に対する印象についてクラスメイトからフィードバックをもらおう!みたいなものがあるのだが、そこには「何が憎いの?怒ってるの?顔が怖い。何を考えているか分からない。」などマイナスなことばかり書かれた。
そんな中でいま仲良くしてくれいる同期や後輩の皆様、ありがとう。中学受験で地元を出たのに、地元に帰ればくだらない話をしてくださる方々にも助けられた。直近で言えばコロナ禍のとき、皆トレーニングする意味もないのに、つどいの森(八王子みなみ野の公園)で45/15走(フィットネスメニュー)を30本近くやったのなんてこともあった。今でも年に何回か旅行してくれるし。
感謝してる。

大学ラグビーに関して。
自分は自分だとプロセスを建て、行動していたものの、弟の台頭、さらには親子での大学日本1などによる「プレッシャー」「比較」「疎外感」「孤独」との戦いがこの頃から勝手に自分の中で開戦し、日々大きくなっていった。自分だけ何も出来てないと。毎日、武蔵野線に乗って帰路に着く時、オートで「悲観的」な思考に走ってしまう。チームでは、容赦なくやれだとか、妥協するなとかリーダーとして色々言わせてもらっていたのに。とにかく明るい安村(Tonikaku)的に言えば、自分を大きく見せていた。チームのみんなに発信することで、自分を大きく見せ、自分に対しては「逃げ道」を塞いだ。逃げ道を塞ぎ、実際にかなりのものを犠牲にして必死こいて取り組んだ。前述したが、大学ラグビー生活の中でニュージーランド生活なども経験させてもらった。理想と現実のギャップにかなり苦しんだ。英語も全然出来なかったし。ただ、ここでの出会いも僕に取ってはいまでも大切なものとなった。
こうして大学では特に、勝手に焦って苦しんだ。
家族が色んなことを成し遂げたことに対し、自分は何も残していないと。
これをやれ。こうなれ。なんて言われたことがない。すべて自分で決めて、自分で招いた。
でも大学生活はいい時間だった。
たぶん。

そして、なんとかプロとして目標のチームにはたどり着いたけれども、正直なにもできなかった。
コロナ、大怪我、大怪我。
まあ総じて実力不足。
生まれ育った地元のチームで、自分がやれるだけのことはしたかった。
もっと言えばNFLのTB12(トムブレイディ)みたいになりたかったし、最近でいえばブロックパーディみたいになって誰かに夢とかモチベーションなんて届けられたらとか絵空事ばかりを描いてた。
だけど結局最後まで、“Mr.Irrelevant”だった。
自分が無関係でないことを証明したかった。
なにもできなかった。なにも残せなかった。

以上が僕のこれまでの簡単なあらすじ。

というように、どう考えたって順風満帆な競技生活じゃない。
後悔ばかりだし、誇れない。輝いた瞬間なんてない。親不孝。ダサい。口だけ。いつまでも甘えている。
もっとああできた、こうできた、あの時あの行動をしなければ、タラレバだけどそんなことばかり考えている。とにかくダサい。
悔しい。何周回って考えても、どう考えたって、悔しい。


怪我してよく言われた。

皆様)いま何歳だっけ?

僕)24です。

皆様)
まだ若くていいね。
リハビリして強くなって戻れるチャンスがあるから。
この経験が後に生きるから今は頑張れ。
このチームじゃなくてもきっとチャンスがあるよ。
言ってくれたらなんでも協力するから。

僕)
黙れ(タコ)。知らねえよ(カスが)。
このチームで競技を続けなかったらこれが終わりなんだよ。
凝り固まった考えだけどそう決めてんだよ。

声をかけてくれた人達。ごめんなさい。内心こう思っていました。
そうは言いつつも、しっかりチームに戻るためのリハビリは続けた。責任なので。
だけど、時がたつにつれて自分がフィールドに戻っているビジョンが見えなくなっていた。

「Why(ラグビーを続けている理由、目的)」を探し続けた。

競技を続ける理由に「家族、環境、妬み、嫉み、憎しみ」が思い浮かんだ。

見つけたけど、「Why」は自身のコントロールできる領域の外にあった。
これでもいいんだろうけど、「Why」があったうえでのモチベーションだと監督も言っていたけど、立ち上がれるほどの熱量が残っていなかった。

さらに、競技に対する「楽しさ」なんてとっくに消えていたことに気づいた。

怪我が気付かせてくれたなんて死んでも思いたくないけど。

しっかりリハビリは続けたと上で述べたが、
その日の自分にできる精一杯の範囲でやっていた。
というのも、ジムに行っても身体に力が入らないし、ミーティングだって上の空で頭に何も入ってこない状態だったからだ。
さらに、ウェイトトレーニングしていても不意に涙が出てくるし、グラウンドで走る仲間かライバルか、とにかく健常者として競技を行えている人々をみてるだけで目頭が熱くなってくる日もでてきた。
さらにさらに、怪我で一時離脱を強いられた先輩がジムで流したミスチルでも涙が出てきたこともあるし、帰路につく車内で突然、涙が溢れてきて1-2分路肩でハザードを焚く時間なんてのもでてきた。
自分が本来、軽蔑しているようなダセえ人間像になっていた。友達や後輩に、こんな人間はクソだって学生時代に語ってた人間に近づいてた。


そして、何よりも試合のある週末、そして何よりメンバー発表のある月曜日がとにかくきつすぎた。
おととしも意に反してリハビリ生活を送っていたが、当時のリハビリ選手たちは当然、僕を除き復帰していた。さらに、活躍した選手もいた。

毎週、誰かのストーリーがはじまっていた。
その中で自分だけ、怪我をした2023年9月9日から時計が止まっている感じだった。
怪我をした瞬間、競技から離れることが脳裏によぎったのは事実なので、ラグビーを辞める理由を探してたんじゃないかなと今振り返ると思う。
9月9日左膝の前十字靭帯と心もろとも切れた。
そんな瞬間だった。
ラグビーとのお別れは覚悟したけど、スッキリはしなかった。苦しさ、悔しさ、これで終わるのか?
という葛藤で訳が分からなくなっていた。
これもまたクサいけど、復帰を誓った後輩だか友達だかどっちなのかハッキリしない奴を裏切ったこと。そして、彼の前で見せたくない涙も見せてしまったこと。祖父母含め家族が1年ぶりに観にきてくれたのに大怪我という最悪の結果で終わったこと。
これだけじゃないけど、どれもスッキリしない理由の一つであり、苦しさ、葛藤の理由だ。
それからということ、世界はモノクロ、グレースケール、なんて言ったらいいのかわからないけど、とにかく何をしていても怪我よりも「心」が癒えず、かなりキツい日々が続いた。

心の回復の対策として自分なりに、同期や友達との飲み会に行ってみたり、どこかへ出かけてみたり、美味しいものを食べに行ったり。
僕にしてはアクティブに行動してみたほうだ。
結果、その瞬間は確かに「小さな幸せ」を感じることができた。
だけど、後に押し寄せる「孤独」「絶望感」という悲観的感情の波には到底かなわなかった。
あれだけ楽しみにしていたオードリーのオールナイトニッポン㏌東京ドームでもかなわなかった。
それだけわかった。

とにかく、ボロボロだった。
物理的に胸や頭が痛いし。
どうする?次はなにをする?何がしたいの?
今お前は頑張っていない。結局何も成し遂げてない。もっとやれよ。あいつを超えるんだろ?
(自分の声)
毎日ノイズが。僕は性能が悪いのでノイズキャンセルができない。
考えすぎだよ。イタいな。そう思われるかもしれない。
改めて、黙っとけ。

ダサいままだけど、
まあ、とにかくラグビーやめます。
いまはラグビーに対して「ありがとう」なんて思えない。

朝、生きて
昼、生きて
夜、生きて
今、生きてる

そんな自分は愛せませんが、
逃げも隠れもしていないだけで、それだけで偉いですか?粗品さん。
僕も逃げません。それだけ誓います。(誰に)
サルバドルサーガいい曲。オーディンの騎行も。
これ書いてる日が粗品さんのアルバム発売日だったのですみません。聴きながら書いてるので。
音楽やラジオってそんな力がある。特に、ラジオはゾンビみたいなコンテンツで潰れそうになっても立ち上がる。人間には必要なんじゃないかなと、NHKのあさイチで星野源さんも言っていた。「不安や恐怖、孤独とプレッシャー」見えない何かと戦ってるどこかの誰かさん。ぜひ一度ラジオを聴いてみてほしい。きっとあなたの力になるので。
僕も、オードリーのキポさん、夢野小若師匠(若林正恭)と土曜の夜カスミン、トシちゃんまんじゅう、魚、T監督(春日俊彰)から元気をもらってる。太田プロの真珠広島が生んだ快男児軍人ロックスター第74回NHK紅白歌合戦司会の有吉弘行に笑顔を届けてもらってる。ブルーノ・マーズの“Runaway baby”を聴くとアルコ&ピースが頭によぎりリスナーから届く嘘のニュースが楽しみになる。
霜降り明星とどこの誰かも知らないハガキ職人が多種多様なトークとコーナーで日常を照らしてくれる。
こんな感じで究極の内輪だけど、あなたの生活に溶け込んで少しだけ潤してくれると思うから。
僕はあまり言いたくないけど本当に助けられた。
パーソナリティやアーティストの皆様、ありがとう。
少し横道に外れました。


そして、母へ。
母にも、本当は「ありがとう」と伝えたいけど、今は「ごめんなさい」って方が本心。
学生時代。特に大学入試で早稲田に行けなくて一瞬折れかけた7年前から今まで。
結果で恩返しできなくて本当にごめん。
「今でも伝えてよ!」って言われるかもしれないけど、いつか心から感謝を伝えられるようにもう少し頑張ります。


最後に、「この後どうするの?」
その質問だけはしないでもらいたい。
自分より「苦しみ」を抱えている人を見て、安心するための「特効薬」になんてなりたくない。自意識過剰かもしれないけど、僕の話があなたの酒のツマミになるなんてたまったもんじゃない。
本当は興味ないでしょ?というかないんだから。
心配なんてしてないんだから。
だから聞かないで。


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