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【エッセイ】夜空

思いつめた時、考えてしまう癖がある。自分を責めることもあるし、もちろん誰かを責めることだってある。

僕はよく帰り道で考え事をするのだけど、電車の中にいると、あんなに人がいるのにどういうわけかひどく孤独な気がする。

電車に乗っている人は、なんだか仲間じゃないような気がしてならない。

これが卑屈な性質による偏見なのか、それとも電車という環境の特質なのかはわからないけど、ただ、なんとなくみんながみんな自分の敵のように思えてしまうのである。

夜、そんな孤独に馴染んでいる、窓に映る自分を見つめていると、とても寂しい気持ちになる。

声を上げられず、ただひたすら我慢して周りと足並みを揃え、平気を装う自分が、どうしようもなく不憫に思えてきて、何だか周りの人が悪いようにも見えてきて、一層自分が孤独な気がして、一定に刻まれる電車の機械音と気温が一定に保たれて少し肌寒い車内の冷然とした無機質さに、底冷えするように心が冷え込むのである。

だから、電車の中で考え事をするといつもふさぎこんでしまう。

駅についてドアが開く。考え事をしていると自然と視線が落ちる。

点字ブロックを漠然と眺めながら、ぼうっと歩いているといつの間にか身体は駐輪場についていて、そのまま自転車にまたがってさっきよりも早いスピードで家に向かう。

自転車に乗っていると、ついさっきまで冷えていたはずの身体が徐々に火照ってきて、何だか命の灯火が元気に燃えていくようなそんな感覚になる。

すると、心なしか冷え込んでいた気持ちも少し熱を持っているように思えてくる。

身体はようやく得られた自由を存分に堪能し、さらに命を営んでいく。そして、家の直前の丁字路を曲がる時である。

パッと、目に広大な夜空が飛び込んでくる。

どういうわけか決まって、その時なのである。その丁字路に差し掛かるまで、気にも留めなかった空が、今幕が下ろされたかのように突然現れる。

そうして、一瞬のうちに、途方も無い広がりに包まれ、僕は改めて自らの小ささを思い知らされるのである。

世間が大きいように感じても、夜空の前では皆等しくちっぽけな存在にすぎない。

そんなちっぽけな世界での悩みなんて、ちっぽけで大したことないのだろうな、という気持ちになって、ふさぎこんでいた気持ちがどんどん開いて行く。

夜空は、レンタルビデオ店の明かりに照らされて一層黒く塗られている。

たとえ孤独であろうと、この夜空は何も言わず、ただそびえ立つのみである。

ハッと我に帰り、自転車を漕ぐ。少し肌寒い風が火照った体に心地よい。

寂しそうに吹く風が、誰もわかってくれない孤独を抱えた自分を唯一許してくれるようなそんな気がした。


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