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【ショートショート】メシア
人はみんな悪気のない悪意を抱えているものです。
それは薄皮一枚隔てたところにあります。
普段は無自覚に隠されていて出てこないけれど、時たま無自覚に出てくることがあります。自覚して悪意をむき出しにする人もいます。抑えようとしているのに、それでも漏れ出てしまう人もいます。
いつもは薄皮一枚隔てられていて、隠されているから普通の人はわからないようになっているし、大抵むき出しにしなければ気づかれず、気づかず、一生を終えるものです。
そんな中、悪意を敏感に感じ取ってしまう人がいます。彼らは日常生活が苦痛で苦痛でなりません。自覚ない悪意が常に突き刺さる。ずっと傷つけられていくうちに、自分の中に誇大な他人の悪意が見えるようになって、それがいつまでも自分に向けられるような気がします。
一見善良な人も、みんな悪意を持っていて、その中の悪意は薄皮一枚で隔てられてこそいるけれど、その下でずっと自分に向けられているような気がします。
悪意に敏感な人は、別に悪意に支配されているわけではありません。今まで悪意に幾度となく傷つけられてきたのですから。彼らは自分を傷つけた悪意をむしろ嫌っています。
ですから、そんな悪意を抱えた善良な人を見ると、胸が締め付けられるような切ない気持ちになります。そして、彼らを助けてあげたいと思います。
悪意は薄皮一枚隔てられたところにあります。
今にも悪意は薄皮を突き破りそうです。
だから、彼は、皮を剥ぐのです。ナイフを手にとって。
かわいそうな善人を救済するために、薄皮を剥いで悪意を取り出してあげようとするのです。
彼らに悪意はありません。それでも、人は彼を見て、その中に悪意を見るのです。
でも、悪意に敏感な人たちは気づきます。彼は悪意を見事に押さえ込んだ人なのだということ。
そして、彼を悪意だとみなす人々にこそ、悪意が潜んでいることに。
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