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【ショートショート】シミュラクラ・シンドローム
シミュラクラ現象というものを、みなさんはご存知であろうか。
近年、クイズ番組や雑学本で「ゲシュタルト崩壊」や「バーナム効果」などの心理学用語が人口に膾炙している関係からこの言葉を耳にしたことがある人も少なくないかもしれない。
分からない人のために一応説明しておくと、シミュラクラ現象とは、3つの点が集まっているのを見てあたかも人の顔のように錯覚する現象のことを言う。
例えば、三つ穴のアース付きのコンセントやボウリングボールの指を入れる穴などを想像してもらえば分かりやすい。心霊写真などで、人の顔が写っているように見えるというのも、この現象であることが多いとされている。
シミュラクラ現象自体は等しく誰にでも起こりうる現象で、別段異常なことはない。恐らく、これをお読みになっているみなさんも一度は経験したことがあるだろう。
しかし、この説明を聞いて、中には安心できない人がいるかもしれない。もしそうだとしたら、とても危険である。
1つ質問をさせてもらおう。あなたは、これまでの説明で何か違和感を覚えただろうか。少し考えてみてほしい。
どうだろう。思い当たる節はあっただろうか。
しかし、そんなに心配しないでほしい。これは滅多に当てはまるものではない。また、当てはまったからといってすぐに危険であるとは限らない。
あまり焦らすのも考えものだ。答えを言ってしまうと、危険なのは「3つの点」が「人の顔のように」見えるという部分に違和感を持った人である。
一体何が危険なのか、これだけではさっぱりという人もいるだろう。そういう人のために言っておくと、これは「点は5つだった」とか「人ではなく動物の顔に見えた」とか、そんな些細なことを言っているのではない。
結論から言ってしまえば、危険なのは「3つの点」が「人の顔」に見えるのではなく、「あらゆるもの」が「人」に見えるという人である。
これは、誇張ではない。本当に、世のほとんどが人に見えるのである。これはもはや心理的効果というレベルにとどまらない、病である。私はこの病を、シミュラクラ現象から取り、「シミュラクラ・シンドローム」、そう名付けた。
あらゆるものが人に見えるなど何を馬鹿な、と鼻で笑う人もいるかもしれない。それもまた当然であるように思う。第一、この症状はまだ広く知られていない。それどころか、ほとんどの医療従事者だって聞いたことすらないものである。
しかし、この症状は実在する。実際、私はこの症状が現れた男性を一人知っている。
これから、その短い手記をすべて虚飾なく掲載する。個人名やその他の個人情報に多少編集を加えてはいるが、それ以外私は一切手を加えていない。
唯一この病を知りうるものとして、私にはこの惨劇をどうにかして後世に伝え残さなければならないという責任がある。それは、使命である。
だから、どうか信じてほしい。この手記は、誓って事実である。
ここまできてなお、読者の中には、この「シミュラクラ・シンドローム」がどうしてそんなに危険なのか、ピンときていない人もいるかもしれない。
けれど、そんな考えはこの手記を見るだけで吹き飛ぶだろう。心してお読みいただきたい。
これは、人と物の境界を失った男の悲劇の手記である。
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20XX年5月17日
1週間前から、幻覚が見えるようになったので、今日、XXXX病院を訪れた。町のしがないクリニックだが、幻覚を専門としているらしい。変わった先生だ。その人の指示で、普段は書かない日記なんてものを書かされている。1週間ごとに振り返り、症状を記録するということだが、続けられるか自信はない。とりあえず、今日のところはこれまでの症状を書き記すことにする。
・一週間前、ある動画(手記にはタイトルとURLが記されていたが、これ以上被害者を増やさないため記載しない)を見ていると、急にめまいをするようになった。
・次の日の暮れ、飲み会終わりに薄暗い路地を歩いていると、視線の先に身長が10mをゆうに超えている人間のシルエットが目に入った。酔い過ぎたのかと思い、目を擦るとそこに人影はなく、あるのは電柱だけだった。
・それから3日くらいして、車のトランクを開けた時、女がうずくまっているのが見え、あまりの驚きに腰を抜かした。しかし、よく見るとそれはただのクーラーボックスだった。
・昨日、会社で一服をして、灰を灰皿に落とそうとしたら、子どもが立っていた。子どもに灰を被らせるわけにはいかないと、咄嗟に灰を手で受けたが、そこに子どもはおらず、あるのは灰皿だった。おかげで、手を火傷した。
20XX年5月24日
あれからさらに1週間が経ったが、改善の余地が見られるどころか、症状は悪化している。今週の症状を書き記すと、
・ベッドに寝そべろうとしたら枕元に生首があった。ぎょっとしたが、まばたきをすると枕だと分かった。
・昼休みランチを食べに近所のラーメン屋に行ったら行列ができていた。ギリギリまで粘ったが、一向に進まない。イライラしてスマホから目を離したら、行列だと思ってたそれはカラーコーンで、人は並んでいなかった。
・冷蔵庫を開けると、小人が何十人も座ってじっとこっちを見ていた。扉を閉めもう一度開けると、小人などおらず、そこにはパンパンにつまった食材があった。
このような始末である。他にも些末な例を挙げれば枚挙にいとまはないくらいある。XX先生は見たこともない症状だと言い、とにかく観察するしかないらしい。とりあえず、暫く様子を見て、この日記も続けていくことにする。
20XX年5月31日
いよいよ、限界である。まだ、何とか日記を書くことができるくらいの気力はあるが、もういよいよ頭がおかしくなりそうだ。先週までは頻度こそ増えていたが、時々幻覚が見られるくらいだったのに、今週はもはや幻覚の見えない時間の方が少ないくらいである。おまけに幻聴まで聞こえてくるようになった。例えば、
・キーボードのキーがすべて上半身の人で、叩く度に「うわあ」だの「キャー」だの声を上げて潰される。叩けば一瞬元に戻るが、まばたきをするとまた人に戻っている。
・紙パックでジュースを飲んでいたら、手の中に小人が現れて勢いそれを潰してしまった。小人は断末魔を挙げて、血を吹き出し息絶えた。思わず手を離すと、それは紙パックで手はジュースでぐっしょりと濡れていた。
・スマホをいじっていると、瞬きのたびに人になる。我慢できなくなり、思いっきりそいつを床に投げつけた。すると、ボキボキボキという生々しい音がする。思わず目を背け、恐る恐る目を開けると、スマホは画面がバキバキに割れていた。
といった様子である。もはや仕事も趣味も何もかも手につかない状態である。先生も対処法は何も見つからないらしい。次の日記までに、ノイローゼになっていないことを願うばかりである。
20XX年6月3日
見つけた。幻覚から解放される方法を、ついに見つけたのだ。それも、たった1人で。簡単なことじゃないか。壊せばいい。幻覚は壊れたものには現れない。その証拠に、ズタズタに引き裂かれた枕は一度も生首になっていないじゃないか。思えば、前回の日記にそのヒントはあった。紙パックもスマホも、あれから人には見えていない。そうか。それでいいんだ。壊せ。何でもいい、とにかく壊すんだ。そうすれば、きっと。
20XX年6月7日
今週は特に書くこともない。幻覚は相変わらず見えるが、壊せば問題ない。先生に言ったら、ほどほどにするように言われたが、この苦しみを知らないから言えるんだ。とにかく、これからも壊し続けることにする。
20XX年6月10日
やった。やってしまった。ついに、取り返しのつかない過ちを犯してしまった。間違っていたのかもしれない。私は、間違っていたのかもしれない。
20XX年6月14日
私は、間違っていた。先生の言うことを、聞いておけばよかったのだ。壊して壊して壊して、私は許されない過ちを犯してしまった。
5日前の夜、仕事から帰ってくると家の電気が消えている。妻を起こさないように、暗いままそっと部屋に入ると、ソファに横たわる人影があった。私は台所から包丁取り出し、躊躇なく刺した。大方、洗濯物の山だろう。そう思ったのだった。すると、人影は大声を上げて暴れ出した。私はその動きが止まるまで、何度も刺した。暫くすると人影は動かなくなった。私は何でもないように床に就いた。
次の日、リビングに向かい、私はある違和感を覚えた。ソファの人影が消えていない。その上、血がこびりついている。今までそんなことはなかった。壊した途端、人は痕跡も残さず消えていたのだ。近づいてみると、暗くてよく見えなかった人影は女だった。触れると、冷たい。私はその身体をひっくり返し、絶望した。
妻だった。いつもは寝室にいる時間。なぜかその日だけ、ソファで寝てしまったのだ。私は、訳もわからず、妻を殺していた。その事実が、受け入れがたかった。だから、今日まで信じていた。妻は親元に帰っているのだと。これもまた幻覚で、まだ壊れ切っていないだけだと。そして、今日まで私は妻の遺体を壊し続けた。しかし、幻覚は一向に消えない。
ついに、今朝、妻の両親から電話が入った。わずかな望みにすがり、留守電を再生した。そこには、妻に電話を催促する母親の声があった。私は確信した。この遺体は、紛れもなく妻のものである。私は、妻を殺したのだ。
もう耐えられない。私には、人と物の区別がすでにつかなくなっている。次、いつ私は人を殺すか自分でも分からない。私は、人が恐ろしい。だから、最後にもう一度壊すことにする。私自身を。もう何も、誰も傷つけないように。何より、私を救うために。
これは遺書である。無念の中死にゆく男の最後の言葉である。私のような者を決して出さぬように、同じ悲劇を繰り返さぬように、この日記をXX先生に捧ぐ。私が最後に言えるのは、くれぐれもある動画(2次災害を防ぐため詳細は伏せる)を見ることなかれ。もう手遅れかもしれないが、私の死が幸福の礎になることを願う。
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以上が、手記の全容である。この後、私が日記を手にしたのは、彼の死後であった。
無念、極まりない。私は医療の道にあって、もう25年になる。その間、数々の患者が訪れ、そしてその死も見届けてきた。
しかし、それでも私はできる限りのことを尽くしていた。あとは患者の胆力と運の問題だった。やることはやった。私にはどうすることもできない。それまでは、そう割り切ることができた。
けれど、今回は違う。私は何一つ彼に治療をほどこせなかった。薬は軽い精神薬で、不安を解消するくらいのものである。日記に至っては、治療ですらない。少しでも研究を進めるため、材料が欲しかったのだ。
無念、極まりない。しかも、私は未だこの病の治療法を見つけていない。分かるのは、唯一「ある動画」を見てはいけないということだけだ。
分かるというのなら、伏せずに公表すべきだ。そうした声が聞こえてくる。しかし、それはできない。あれは、本物だ。治療法が分からない中で、そんな危険物をみすみす晒すほど、私は参っていない。
どうして本物だなどと言えるのか?まだ、疑う人がいるようだが、信じてほしい。それは真実である。私は見てしまった。「ある動画」を。私には見えている。「あらゆるもの」が「人」に見えている。
もう手遅れだ。今、こうやってキーボードを打っている間も、断末魔が耳に響いて離れない。気が狂うのも時間の問題である。
だから、私は伝えなければならない。この、「シミュラクラ・シンドローム」のあまりに危険な実態を。医師として、また、1人の尊い犠牲者の想いを受け継いだ者として。新たな犠牲者を生まないために、私は伝えなければならない。
決して、「ある動画」を見てはいけない。それが何と伝えられないことがもどかしい。すまない。私には、これしかできないのだ。
ああ、今にも、この病は世界に知れ渡るだろう。その時には、もう手遅れかもしれない。「ある動画」が広まらないことを願うしか、私にできることは残されていない。
補足をしておくと、この手記の語り手は、薬物中毒者ではない。また、無宗教である。身体もいたって健康。睡眠不足も、水分不足も当然違う。他の要因は、ない。
最後に、「ある動画」についてヒントを残す。ヒントは
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