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【エッセイ】ちっぽけな存在

私が最初に死の恐怖にあてられたのは19歳の冬だった。

当時浪人生活を送っていた私は気晴らしにと、走り込みに出掛けることにした。

空気の澄んだ夜空に、普段は街の灯りに溶け込み姿を隠している星々が活き活きと瞬いている気がする。

消え入る前に命の限りを尽くしている三日月の月光に照らされながら歩を進めるうちに、勉強に追われて窮屈にしていた精神が少しずつ解放せられていった。

私を形成している輪郭が曖昧になっていく。冷気を肌に感じながら、風が身体に染み込んでいく。

そうして、身体が世界に馴染んでいくのを感じながら、普段は立ち寄ることのない公園に足を運んだ。

身体は段々と徐行し、気づくと私は枯山に対面しながらベンチに腰を下ろして、心なしかいつもより満天の星空を見上げていた。

久しぶりの駆動に鼓動がはやり身体が火照る一方で、感覚は研ぎ澄まされていった。

星々を包む漆黒の闇は膨張し、耳には枯れ木のざわめきが響き出す。風は弱かった。紅潮した顔を冷気が刺すように包み込む。

私はそのまま暫く座り込んでいた。

一体どれほどの時が過ぎたのだろう。

当然、現実には一瞬の出来事でしかなかったが、不思議と数時間、いや数年間も経っているような気がした。

私はその一瞬、確かに世界だった。

自我という境界が自然に溶け込み、無数の時間の蓄積が肉体を通過したような奇妙な感覚。

「私」が自然と同化していく。

「僕」が世界に取り込まれていく。

突然、巨大な自然に飲み込まれてしまいそうな不安が、私を現実に引き戻した。

眼前の殺風景は依然として佇み、私を見下ろしている。

自然は焦ることはない。待ち続けるのみである。

いや、待ってすらいないのかもしれない。

私たちは何処までも彼らの一部である。肉体がある限りいずれ私たちは、自然に帰る。抗うことはできない。

この人工林さえも、私の帰属を確信し、今にも私の存在を飲み込もうとしているのだ。

私たちの存在は所詮、無数の時の流れに瞬く閃光に過ぎない。

周りの漆黒はいつでもその光を掻き消すことができ、閃光は一瞬暗闇を照らそうともその動きを止めることはできないのである。

私は我に返り重たく冷えた身体に鞭を打って家路を急いだ。

街灯が帰途を照らすその横で、人間が作り上げたはずの貯水池が暗闇の中に沈んでいた。

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