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【2516字】2024.07.03(水)|離れ目女子礼賛会

この記事を読むと、人類みな、離れ目女子に目が無い(目だけに)ように感ぜられるが、実は、全くそんなことはない。少なくとも僕の周りには「俺は離れ目女子が大好きだ!」とか「私は離れ目の女の子が好き♡」と言っている人は、見たこともなければ、聞いたこともない。そう。僕自身を除いては。

僕はこれまでマイノリティの立場を強いられてきた。人によっては「B専」と言ってくる人まであらわれた。ちょっとさすがにそれはどうなんだ。僕の趣味嗜好を蔑むだけならまだ良い。相手にもかかわることなんだぞ。まぁその相手が居ないから言葉を選ばなかったんだろうが。僕だったら言葉を選ぶけどな。相手が居ようと居なかろうと。偶然か必然か、僕のことを「B専」と言ってきた人とは、例外なく、現在、交流は無い。大嫌いというわけでもないが、やはり、ソリが合わないと、第六感で察知したのかもしれない。

正直な話、僕は離れ目女子のことが好きだから、離れ目女子のことが嫌い、もしくは、どちらでもない、人の感覚は、よくわからない。僕の審美眼でいけば、離れ目女子は、一目見ただけで、「あっ、この顔、好き。」となるのだけど、好きじゃない人からすると、「あっ、目と目が離れてる、不自然な顔だなぁ」と感じるのかしら。だとしたら、悲しい。人それぞれ好みがあるとは言えど、悲しいものは、悲しい。この魅力を共感し合えないことに、悲しさを覚える。

離れ目女子を好いていない人は「だって魚みたいな顔してるやん」と平気で言ったりする。僕は人のことを人外の生物で例えることに抵抗感を覚えるタイプでもある。どっしりとした体型の人が豚肉料理を食べていて「共食いやんけw」と言うシーンがある。あからさまな嫌悪感を示して場の空気を悪くするのも憚られるので、別に何とも言うつもりはないが、耳にするたびに、ウーン、となる自分が居るのも確かだ。

離れ目女子に話題を戻すと、良く言われるのが「ウーパールーパーみたい」である。何故か知名度が高いこの生物。おそらくだが、僕が子どもの頃ぐらいに、ペットとして飼うのがブームになったのではなかろうか。ちなみにUP主は1994年生まれである。「エリマキトカゲ」みたいなものか。多分そっちはもう少し前の世代だと思う。定期的に物珍しいペットブームが起きるのは世の常なのかもしれない。今だと、なんだろう、「ウリボー」とか?ちょっと違うか。世間一般の流行り物に付いて行けなくなって幾星霜。

「ウーパールーパーみたいだね」と言われて喜ぶ離れ目女子はどれぐらい居るのだろうか。僕だったら言わないと思う。たとえ誉め言葉だったとしても。「ウーパールーパーみたいで可愛らしい」だとどうか。「可愛らしい」が末尾に付くと、誉め言葉として言ってもらえたのだな、と受け取ることが出来るが、ウーン、やっぱり僕には抵抗が残る。

僕の話をすると、「ドンキーコングみたい」と言われたことがある。端的に言えば「ゴリラ顔」ということであろうが、まぁ、嬉しいか嬉しくないかで言えば、嬉しいとは思わない。「あぁアナタにはそう見えてるんだ…。」と感じるくらい。ちなみに僕の顔をドンキーコングと形容した人とは、誰一人、今現在、交流を持っていない。やはり、そういうものなのだろう。B専然り。これは良し悪しの問題ではなく、相性やフィーリングの問題だと受け取っていただきたい次第である。


「離れ目女子礼賛会」と銘打っておきながら、礼賛は一切せず、逆に、離れ目女子を好いていない人に対して、淡々と罵詈雑言の数々をぶつけているような文章を書いていることに気が付いて、自分自身、ゾワッとした。今日の目的は呪詛を唱えることじゃなかったはずだ。もっと愛を叫べよ!

僕は離れ目女子が好きだ。冒頭に貼ったリンク記事では、学術的にどうこう、と書かれているが、そういうものは、僕には、良く分からない。とにもかくにも、好きなのだ。理屈じゃない。本能が求めている。センサーがビンビン反応する。一目見たら、即、認識に上がる。一度会えば、即、長期記憶化される。「好きな顔」というのは、こういう顔のことを指すのだなぁ、という典型例、それが離れ目女子の最大の魅力だ。

「なぜか?」なんて、これまで、考えたこともなかった。好きなんだからしようがない、ただそれだけだ。むしろ、周りから「お前の好みはおかしい」だとか「あの顔は世間一般から見たらブサイクな方だ」などと、罵られれば罵られるほど、吊り橋効果的なモノが働いて、ますます、恋慕の念を強めた可能性すらある。「天邪鬼と捻くれ者の成れの果て」を自称している僕のことだから、あながち、嘘でもないだろう。誇張でもないはずだ。

何事もモノは考えよう、とはよく言ったものだ。僕は離れ目女子が好き。世間一般(という言葉もひどく曖昧で僕は好きになれないが)は離れ目女子が普通or嫌い(≒苦手)な割合の方が高い。だとしたら、僕にとってのドストライクは、他の人にとってのドストライクではない確率が高くなる、とも言える。つまり、ストライクゾーンにもかかわらず、ブルーオーシャンの可能性が高い、ということになる。

先ほど、僕は「離れ目女子の良さを共感し合えないことが悲しい」などと書いたが、あんなのはもう、クソ食らえだ。共感し合えたところで何になるんだ。「尊い」と言い合って終わりじゃないか。「礼賛会」と銘打ったが、これもちゃんちゃらおかしい。そんな会を催したら、かえって、ブルーオーシャン状態だったのが、レッドオーシャン化に早変わりするだけじゃないか。自分の首を自分で締めてどうするんだ。

その通り。僕は真理に辿り着いた。好きなものがマイノリティであるということは、ディスアドバンテージではない。むしろアドバンテージだと。世の離れ目女子よ、待っていてくれ。僕が必ず、見つけてみせるから・・・!

・・・・・・・・・その前に、

マッチングアプリの使用を勧められた時に「日常生活を通して縁が生まれた相手と交流を持って結ばれることに価値を感じる僕にとって、縁の絶対数を意図的に増やす行為は、意に反するようで、どうも気が乗らない」とかほざいている考え方を、まず正した方が良いですよ。(セルフツッコミ/オチ)

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