見出し画像

2023年11月19日(日)|侍ジャパン決勝戦「日本-韓国」の感想と言って良いのか?

18時プレイボールに関する難癖

オーストラリア戦で先発した早川隆久が、ヒーローインタビューで「決勝戦は18時プレイボールですので~」と言ってくれていたおかげで、19時と思い込んで最初の1時間見れなかったよ~、なんていうハメにならずに済んだ。ありがとう早川。

ああいうさり気ない気遣いが出来るのはポイントが高い。友達に居ると気が利くタイプだろうな。彼の人となり全く知らんけど。

それで思い出した。彼がルーキーイヤーの頃、「大学の頃とは違って、プロはデイゲームとナイトゲームがあるので、先発調整が難しいんです・・・」って、第三者からすれば微笑ましい(?)プロ特有の悩みを吐露しているインタビュー。あの時も好感を持った記憶がある。微かに。

結論、早川は良い人なのだ。異論は認めない。

・・・などと、楽天ファンからするとありがた迷惑極まりない早川への愛情を密かに抱きながら、18時プレイボールに間に合うようスタンバイしていたのだが、時間になっても、なかなか始まらない。試合直前のセレモニー的な演出で、球場の華々しいムードをお茶の間に見せる時間が10分強続いた。この時間、必要なくね?

おっと、いけない。「野球観戦は現地よりも中継に限る」が口癖の僕の良くないところが出てしまった。だって決勝戦だよ。だって侍ジャパンだよ。レギュラーシーズンじゃないんだよ。143分の1じゃないんだよ。これぐらいの催し物はあたたかく見守ってやらないとダメでしょ。なあ僕よ。そうだな僕よ。そうともさ僕よ。僕と僕のセルフトーキングタイム、円満に終了。

佐藤輝明と牧秀悟はどっちがオッサンに見えるか?

先に謝っておく。オッサンと言ってごめんなさいと。表記については悩んだのだが、リアル性を損なわないために、敢えてこの表記で行かせていただいた。他意は無い。二人とも好きな野球選手だ。

ちなみに容姿だけ見ても僕は全然嫌いじゃない。サトテルは良い意味のふてぶてしさを感じるし。牧はキャプテンシー的役割もムードメーカー的役割も担えそうな「THE・現代野球のチームリーダー」って感じだし。それでいうと村上宗隆もそんな印象かな。

なんかこの流れだと、僕の好き指標は「牧秀悟>佐藤輝明」みたいな構図になっちゃったけど、たぶん、好き嫌いだけで答えろ、と言われたら、僕は、サトテルの方が好きだと思う。

うーん、この好きな気持ち、どう表現すればいいんだろう。

例えば「ロマン砲」って言葉は「当たればメチャクチャ飛ぶけど当たらないバッター」を評する際に用いられたりするけど、サトテルの場合、既にチームの主軸を任せられるだけの好成績を残しながら「ロマン砲」と言われちゃったりする感じ。そう。あの感じ。それが好きなんだと思う。

これって要するに「サトテルが覚醒したらこんなもんじゃないだろう?」って、多くの野球ファンが思わせている何よりもの証拠じゃない。御多分に漏れず僕もそう思ってるし。この、”底が知れない潜在能力”、に惹かれるんだと思うよ。知らんけど。

違う、そんな話がしたいんじゃなかった。

家族とリビングで野球観戦してたんだけど「牧と佐藤ってどっちがオッサンに見える?」って話題になったの。で、僕は「サトテルかなあ」と答えたら、僕以外は「いや牧でしょ」って言うのよ。割合で言えば「1:3」。僕の仲間は誰も居なかった。

別に僕は「どっちがオッサンに見えるか?」なんてテーマに関心があるわけでもないので、もしも「2:2」か「3:1」か「4:0」だったら「ふーん」の一言で聞き流して終わったと思うんだけど、数的不利の状態に追い込まれてしまったので、「牧秀悟よりも佐藤輝明の方がオッサンに見えると考える理由」を僕なりに説明する必要が生じてしまったのだ。

「いや、真顔だけで判断してはいけない。笑った時の表情。そこで年齢が出るんだ。人間ってやつは。牧は笑うと愛嬌がある。村上もそんな感じ。一方、サトテルに、愛嬌は、無い。良い意味で、愛嬌が無い。たとえ顔がほころんでいても『俺は腕一本でウン億円稼いできました』みたいな面構えを崩さないんだ。それはルーキーイヤーの頃からそう。だから僕は好きなんだ。サトテルのことが。ココに中村剛也のような空振り三振の仕方が加われば『好き』が『大好き』になることは間違いないであろう・・・。」

「中村剛也のような空振り三振の仕方」とは「ホームランを打った時のようなフルスイングで『ブルンッ!』とやって、ホームランを打った時のような歩き方で堂々とダグアウトに引き返す」ことを意味している。

あの姿を見させられると、バッテリーは、たとえ空振り三振に打ち取れたとしても「少しでも甘くなるとガツンとやられるな・・・」とか「バッターの読みが当たったらドコ投げてもやられそうだ・・・」などと恐怖心を植え付けること請け合い。

注釈

ちなみに、僕の「サトテルの方がオッサンに見えるプレゼン」は、家族全員、興味が無かったのか、全く聞く気が無かったようで、誰からもリアクションをもらえず、試合中継にチャチャを入れて楽しんでいた。僕は行き場の無い感情にモヤモヤを覚えつつも、チャチャ入れのチャチャ入れを行なった。リビングには再び和気藹々の空気が流れ始めたのだった。めでたし、めでたし。

3ボールから桐敷拓馬にインズバ直球を要求する坂倉将吾

ココまで書いてきて、おそらく文面だけだと分かんないと思うので、今更カミングアウトするけど、僕、カープファンなの。こう見えて。どう見えてたかは分かんないんだけど。

で、今シーズンのカープの戦いぶりは、おそらく、ほぼほぼ見届けて来たはずなんだけど、ちょっと記憶にないんだよね。3ボールからのインサイド要求って。セオリー度外視の配球だから、一回見てたら忘れ無さそうなんだけどなあ・・・。

確か、解説の槇原寛己さんも驚いてたよね。普通は無いよね。あの場面で。2ボールなら、まぁ、カウントを逆手に取ったのか、バッターの反応を見てなのか、ピッチャーの力量を見てなのか、複合的な要因が絡んだインサイド要求だろうなあって頷けるんだけど、3ボールからですか・・・。

この場面に限らず、今日の試合の坂倉のリードって「うわ~、ここでインサイド行くんだ!」って驚かされる場面、結構、多かった気がする。

ただ、イニングが進むごとにお酒も進んでいくので、ドンドン思考回路が雑になっていくから、僕の野球脳も、ドンドン壊死していくんだけどね。そんなヤツに野球を語られたくないよね。逆の立場だったら嫌だもん。だから「自称・野球評論家」の人が好きそうなトピックスは、手を出さない方が賢明かもしれない。なので、ここらへんで・・・。

タイブレークを見ずに寝床につく父親

9回で決着がつかず、延長タイブレークに入る際、グラウンド整備で、少し間が空いたと思うんだけど、それでしびれを切らしてしまったのか、僕の父は、開口一番「もう寝る!」とだけ宣言して、部屋のふすまを「ガラッ!」と開けて「ピシャッ!」と閉めてしまった。

僕は、面と向かって父に伝えたことはないのだけど、寝床につく際のふすまの開け閉めで、何となく、父のゴキゲンをうかがうことが出来る。それでいうと、今日の「ガラッ!」と「ピシャッ!」は「侍ジャパン9回でサヨナラ決めんかい!」と言外に示しているように、僕には感ぜられた。

特に、ふすまを閉める時の「ピシャッ!」が印象に残った。なぜなら、通常のパターンならば、閉める直前に、まだリビングに居る家族に向かって、何かしらの一言を発してから、「ピシャリ」と閉めるからだ。

例えば、父の口から「9回で決めんかい(苦笑)」とボヤキ混じりの口調で呟いて、家族をクスッと笑わせてから「ピシャリ」と閉めたとする。この場合ならば、9回決着は本心本音だったとしても、ゴキゲンという部分では、そこまでフラストレーションが溜まっていないのが読み取れる。

そう考えると、人って面白いものだ。ボヤキ口調で他人に言えるうちは、言ってしまえば、それほど大した問題ではなくて、むしろ、本当に深刻な問題になればなるほど、なかなか他人に言い出すことは出来ず、自分の心の内に溜め込んでしまう、そんなきらいがあるように思えてならない。

この理屈になぞらえれば、今日、僕の父は、ボヤキ口調でポロッとこぼせないほどに「9回で決めてくれよ~!」と思っていたのかもしれない。

確かに、日曜日の試合で、翌日は週初めの月曜日なのも関係しているのは容易に想像がつくが、それよりも、「決勝でタイブレークですか~!」と熱狂のボルテージがますます高まっているのに、水をさすような発言は控えるべきだと判断して、グッとこらえて、口に出さなかったのかもしれない。

そして、その、グッとこらえたエネルギーが、そのまま、ふすまを閉める際の手の握力に転換されたことで「ピシャリ」ではなく「ピシャッ!」という閉め方になってしまったのかもしれない。

ココまで考えて、僕は、父が就寝前に一言ボヤキを入れやすいリビング環境の構築に努めようと、静かに、心に誓ったのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?