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【2634字】2024.07.09(火)|YouTubeの猿、Amazonの犬

ふと、この紫色の猿に名前でもついてるのかなーと調べてみました。

過去に表示されていたエラーでは、猿と一緒にメッセージも添えられていたようですね。その中の一部に「A team of highly trained monkeys(高度に訓練された猿のチーム)」という文があります。なので、Googleのディベロッパーを指しているようです。

猿の画像自体には名前はなく、ただGoogleのディベロッパーを指しているユーモアな画像みたいですね。ただエラーが出るよりもこの方がいいかもしれませんね。

リンク記事|引用文

Amazonにアクセスすると、ごく稀にエラー表示となり、犬の画像が掲載されることがある。エラーになったときだけ登場する犬なので、普段は見ることはできない。

そんな激レアなエラー犬だが、複数の種類があり、日本では3種類のエラー犬がいるといわれている。「激レアすぎるSSRレベルのエラー犬がいる」との噂があったりなかったりするが噂レベルであり、筆者が確認した限りでは3種類のエラー犬しか発見できなかった。

Amazonを快適に利用したいならばエラーは発生してほしくないものだが、かわいいエラー犬を見たい人は、いつか訪れるかもしれないエラーを求めて探し続けるのもアリかもしれない!?

リンク記事|引用文

世の中には、僕と同じようなことを考えている人がゴマンと居るんだろうなと思った。僕は周りから「何言ってんねん!w」とか「そんなん誰も気にしてへんわ!w」などといった類いのツッコミを受ける頻度が、一般平均の10倍ぐらいはあるんじゃなかろうか、と思っているのだけれども、これもやはり、”自分の周りでは”という枕詞が付くんだろうなと思った。「誰も気にしてへんわ」は「世界中の誰もが」ではないのだと。

そう考えると「ズレてるとこある」とか「変わり者やんな」と言われて喜ぶのもどうなのかなと思ってきた。「井の中の蛙、大海を知らず」じゃないけども。たとえ自分が所属しているコミュニティの中では「変わり者」だったとしても、コミュニティが変われば、僕は「普通の人」か、もっと言えば、「常識人」になる可能性すらある。要はそのコミュニティがどういう人達で成り立っているかに尽きるのだから。

そう考えると、つくづく、人間という生き物は「絶対評価」ではなく「相対評価」で判断されるのだなと感じた。「通知表って絶対評価?相対評価?」なんて話題が時折出るものだが、人間社会は、どう考えても相対評価だ。少なくとも僕はそう思う。断言出来るぐらいにそう思う。ていうか、そもそも、人間自体、相対的な生き物なのだ。だから相対評価を採用する。至極当たり前のことじゃないか。

「人間は相対的な生き物」という話を持ち出す際、僕が決まって出す例え話がある。それが「人間の喜怒哀楽は周囲の人物に左右される」という話だ。色んなシチュエーションで説明することが可能なのだが、どれ、思い付きで、書いてみるとするか。


<ケース1:エレベーターが故障>

他人同士の人が多数乗っている中で、いきなりエレベーターが故障して、閉じ込められるような状態になったら、誰だって、狼狽することだろう。もしこれが一人の状態だったら、大多数の人が、取り乱すはずだ。「監視カメラに自分のはしたない姿を見せるわけには…。」という思念が湧いて来る人も、まぁ中には居るかもしれないが、おそらく少数派だろう。さしもの僕も、多分、そこまで考えが至らないと思う。強調するが、一人の空間であれば、の話だが。

ただ、他の人が乗っていて、しかも、自分とは比べ物にならないレベルで狼狽していて、いや、パニック症状を引き起こしているレベルになっていて、ちょっと尋常じゃないだろってぐらい身体もガタガタ震えていて、声にならない叫び声を挙げている、としたら、いくら自分が、多少狼狽していたとしても、目の前に居る人を少しでも落ち着かせなければならない、と思って、介抱に回ることだろう。


<ケース2:地震・雷・火事・親父>

見出し部分に打ち消し線を使えないことに狼狽している。親父・・・。

こういった天災の類いもそう。・・・あっ、ちょっと、火事に関しては、具体的なケースに立ち会ったためしが無いので、想像が及ばないのだけど、まぁ多分、地震や雷と似たムーブになるだろう、ということで、理解してもらえると幸いである。

一人で家に居る時に、突然、地震や雷が起きたら、揺れにビックリしたり、雷が落ちる音にビックリしたりするはず。僕の場合、地震よりも雷の方が、恐怖を覚える傾向にあるらしい。これは身体の反応を見れば分かる。というか、どうも僕は、「音全般」に敏感なタチみたいだ。ドアを開け閉めする音に関してもうるさいタチだから。細かく言い出せばキリが無いのだけど、冷蔵庫の開け閉めにすらうるさい。「なぜ勢いよく閉めるんだい?」となる。わざわざ大きな音を立てないで済むなら、必要最低限の力で閉めればいいのに、と思ってしまう。あとはそう、家電製品の音も気になるな。これが結構面倒なのよ。実際に使ってみないと分からないことが多くって。例えば、掃除機とか、ドライヤーとか。色々説明されてるけど、こっちが一番気にしてるのは、使ってる時の音量だっちゅーのに。

・・・失敬、別ベクトルでスイッチが入ってしまった。

まぁその、地震であれ雷であれ、一人の場合は、エレベーターの時と動揺、狼狽しやすい状態にあるかと思うのだが、これが、僕よりもっと、怖がっている素振りを見せる人が居たりすると、「よしよし。大丈夫、大丈夫。ちゃんとそばに居るからねぇ~」などとなだめようとするはずだ。たとえ自分自身も怖がっていたとしても、相手に、そう悟られぬよう、努めて、冷静さを装って、紳士的な立ち居振る舞いを意識するものだ。


まぁこんなもんでいいか。シチュエーションは変わっても、どれもこれも、似たような展開になるし。要は「ねっ?相対的な生き物でしょう?」ってことが分かればいいのだから。ビジネス書や自己啓発本的な言い回しでいうならば「人間は環境に左右される」だとか「自分の周りの5人の年収の平均が自分の年収になる」みたいな話に通ずるかと思われる。そういう話を持ち出してオンラインサロン的なものに勧誘する流れに持っていくのは、「あぁまたか…。」と辟易してしまう自分が居るが、まぁ一理あると思う。やはり周りの影響の大きさは認めざるを得ない。

猿と犬の話はいずこへ。

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