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2023.07.05 水曜日


僕は、スポーティーな服を着ている女性を見かけただけで、好きになりかける性質がある。

今日も、危なかった。一瞬、我を忘れかけた。恋人の存在をすら忘れかけた、と言ってしまうと、パートナーに大変失礼なので、それは言わないでおく。時すでに遅し、かもしれないが。

クールダウンした後、僕は頭を捻ってみた。なぜこうも簡単に好きになりかけるのだ、と。お前ホントチョロいよな、と。もし仮に、ハニートラップを画策されたら、モノの見事に引っ掛かるだろう、と。自らを叱咤しながら、しばらく、自問自答に耽ってみた。

そこで分かったのが「服装が与える心理効果は凄まじい威力を発揮する」ということだ。

今回の例で言うと、僕は、スポーティーな服を着た女性を見ると「活発そうな人で素敵だな」とか「お洒落過ぎない感じが素敵だな」とか「ペアルックの絵が思い浮かぶから妄想が広がるな」などなど、プラスイメージが、幾つも思い浮かぶわけだ。

そういった諸々の感情を、意識的であれ無意識的であれ、僕の本能がキャッチした結果「あ、こういう女性、好きだ」という「チョロい男」が完成されるのだろうと結論が出た。

今回のように、自分の中では「直感/感性に従った」とか「理由はないんだけど○○が好き」などと思っていた事象も、腰を据えて考えてみることで「だからそうなのか!」と気付きを得られることも、多々あるはずだ。

だが、多くの人は、それをわざわざやろうとはしない。なぜか。そんな暇がないと感じる人が大勢居るからだ。ウーンウーンと自問自答を重ねる時間は、とかく、生産性が無いだの、無駄な時間を過ごしただのと、過小評価される傾向があると、僕は思う。

しかし「無駄」と思えるところに「豊かさ」を感じられるようになってくれば「物質的豊かさ」とは別に「精神的豊かさ」を享受出来る器も大きくなっていくのではないだろうか。

現代は、科学技術の発展により、様々なものが「見える化」された。ゆえに、人間の感覚などといった曖昧なモノサシではなく、数字・数値といった、誰の目から見ても明らかなデータが、重宝されるようになった。

無論、それは喜ぶべきことだ。だけど、それと同時に、どこか憂いてしまう僕も居るのも、また事実なのだ。

「目に見えるものを信用するあまり、目に見えないものを見ようとする意識が希薄になっていないだろうか?」

情報化社会と呼ばれる現代だからこそ「観察力(目に見えるものを分析する)」だけでなく「洞察力(目に見えないものを推量する)」を意識して生活を送って行きたいものだ。

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