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2023.07.15 土曜日


”営業スマイル”

僕は「マクドナルド」の従業員、もとい、クルーと呼ばれる方々が、終始、笑みをたたえている姿に代表されるように「仕事中は口角を上げてニコッとした笑顔で接客業に勤しむべきである」という教えが、営業スマイルであると理解している。

「ていうか、本当に『クルー』と呼び合っているのだろうか?」などといった疑問も生じてしまったが、それは、今回の話題とは関係がないテーマなので、サッと水に流すことにする。気になる方はマクドナルドでバイト経験のある人にでも聞いてみよう。

ちなみに僕は数人働いたことがある人を知っている。だが、改まって聞く話でもないので、クルーうんぬんは、知らない。そして、今はこんなことを書いているけれど、実際にその人に会った時には「本当に従業員のことをクルーと呼んでいるの?」なんて質問は綺麗サッパリ忘れているのだろう、とも思っている。

まぁ、そんなことは置いといて。

「いらっしゃいませ~♪」(満面の笑み)
「こちらへどうぞ~♪」(満面の笑み)

などなど、挙げて行けばキリが無いわけだが、終始、笑みを絶やさず、接客業に勤しみ、甲斐甲斐しく働く、彼・彼女のことを、僕は、割とあたたかい目で見守っていたのだけど、途端に「だが、しかし…。」といった、妙な違和感を覚えてしまったのだ。

違和感の正体とは「笑顔は真顔との抑揚があるからこそ映えるのではないか?」という疑問であった。そう。彼・彼女は、常に笑顔を崩さない。大変、尊いことだ。それは疑いようのない事実。だがしかし、接客業という枠組みではなく、人間の表情という枠組みで捉えると、見え方・感じ方が、ガラッと変容してくる。

つまり、営業スマイルとは、敢えて、底意地の悪い表現で言い換えれば「営業中は常に口角を上げて笑みを絶やしてはならない」という決まりを、従業員一同に課しているわけだ。これは、人間の営みを想えば、なかなかに不自然だ。

わざわざ書くまでもないことだが、我々、人間の表情のデフォルトは「真顔」であって「笑顔」ではない。にもかかわらず「営業中は笑顔をデフォルトにしなさい」とルールで取り決められている。これはしんどい。無論、個人差はあると思われるが。仮に僕だったら「そんな笑いたい気分でも無いのに笑えるかよっ!」と吐き捨てて、従業員が着る制服などを脱ぎ捨てて、その辺に叩き付けてしまうことだろう。いや、知らんけども。(適当)

まぁ、僕の戯言はどうでもいいとして、今一度、真剣に、考えてみて欲しいのだ。「笑っている表情が当たり前である」などといった観念について。「これ、実はおかしいんじゃないの?」という気持ちが心の中に湧いてくる人も、結構居るんじゃないだろうか。

「笑顔がデフォルト」という認識を相手に与えてしまうということは、見方を変えれば「真顔はデフォルトではない」という表現とイコールの関係と言える。要するに「この従業員の人、営業スマイルを怠って、真顔で接客業を行なっているぞ!どうかしてるぜ!ヒーハー!」などといった、ブラックマヨネーズのファンらしき人物が現れたとしても、何らおかしくないわけだ。

これについて「いや、それっておかしいんじゃないの?」と、僕は唱えたいわけである。「人間なんだから感情の起伏があって然るべきでしょ?」と言いたいわけだ。「感情の起伏があれば、当然、目に見える表情の部分でも、喜怒哀楽、色んな顔を見せたっていいんじゃないの?」と言いたいわけだ。

例えば「〇〇(従業員の名前)は常に笑顔を絶やさない」という認識で接していたとして、いざ、何か考え事でもしていたのか、接客の手を止めて、ドリンクだのフードだの、厨房作業に移った際に「真顔の〇〇」を見たとしよう。

※一例として「飲食店で接客業に従事する人」を想定して書いているが、飲食に限らず、接客業全般において言えることだと僕自身は思っている。

その場合「ただ真顔の表情を少し見せただけ」にもかかわらず「なんか、〇〇の光と闇を見た気がしたな…。」だとか「笑顔の裏で僕のことを馬鹿にしているんじゃないか…。」などといった「深読み・裏読み」を行なったり、あるいは、よからぬ詮索に耽ったりしてしまうのではないか、と、僕は危惧している。

つまり、本来はデフォルトであるはずの「真顔」を、必要以上に怖がってしまう恐れがあるのではないか、と、僕は思うわけだ。以上のことから「笑顔」をデフォルトにするのは大変危険が伴うことだと僕は結論付けるのだけど、皆さんはどうお考えだろうか?

むしろ、逆転の発想で「接客業に従事する人も真顔がデフォルトである」といった「NO!営業スマイル」というお店があったら、それはそれで、割と需要があるのではないか、という妄想も広がるのだけど、重ねて、皆さんはどうお考えだろうか?

”人間は慣れの生き物である”

良く言われる表現ではあるが、これは、良くも悪くも、という枕詞が付くと、僕は思っている。今回のケースで言えば「笑顔がデフォルトという認識(慣れる)」ということになる。この場合だと「悪くも」に該当すると思われる。

そうではなくて、前述した「NO!営業スマイル」に基づいて「真顔がデフォルトという認識(慣れる)」になれば「良くも」に変換することも可能ではないだろうか?

なぜならば「真顔がデフォルト」だと、これまでに述べて来た内容とは全く逆の現象、つまり、常日頃、真顔で接客業に従事している、彼・彼女が、ふとした瞬間に「ニコッ^o^」という笑顔を見せると、お客さんは「おおっ、笑っている顔を拝むことが出来た!」「めでたい!万歳三唱だ!」「よ~し、今日は高いボトル開けちゃうよー!」などと喜び勇んで、財布の紐も緩くなっちゃうかもしれないからだ。

※話の流れで、ガールズバー?キャバクラ?(UP主はその分野を
詳しく存じていない)的なノリになってしまったのだけれど、これも、接客業全般に言えることだと、僕自身は思っている。

そう。繰り返しになるが、人間とは、良くも悪くも、慣れの生き物なのだ。笑顔を見続けていると、それが当たり前の表情だと感じるようになるし、真顔を見続けていると、それが当たり前の表情だと感じるようになるのだ。

であるならば、僕は、後者、真顔が当たり前、という認識をお客さんに持ってもらった方が、より、人間らしい表情と言えるのではないか、と思ったわけだ。ひいては、従業員目線で考えても、無理に笑顔を取り繕うことが無くなるので、働きやすい環境づくりにも一歩近づくのではないか、とも思ったわけだ。

そして、最後に、これだけは言いたかった、むしろ、これだけを言うために、ここまで、長々と文章を書き綴ってきた、と言っても過言ではない一言を添えて、今日の話は終えることにする。

コホン。

「そもそも、俺が、真顔フェチなんだよね(笑)」

「真顔だと性格キツ目に見える人がたまに見せる『クスクスッ』みたいな笑顔が大好きなんだよね(笑)」

おあとがよろしいようで。

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