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#19【夢日記】体育館を使う順番はいつまでもやってこない

・僕は高校生のバスケットマン(現実もそうだった)
・テスト期間を終えて体育館に行くも使用済み
・僕「せめて半面、せめてゴールが使えればなぁ」
・休日の土日に体育館まで足を運んでも使用済み
・僕「ウチの高校のバレー部じゃないバレー部じゃん?」
・(ネットを張るボタンを誤作動して折りたたんでしまう)
・僕「あっ、すいません、すいません」(ヘコヘコ)
・僕「こんなことしてても仕方ない、帰ろう」(すごすご)

内容

「ヘコヘコ・すごすご」って感じがいかにも僕らしい

大学時代、バスケットサークルでの活動を終えて以降は、バスケットに触れた記憶は皆無に等しいのだが、割と定期的に、バスケットの夢を見る自分が居る。

それだけ“アオハル”というものは、人に強烈、且つ、鮮烈なインパクトを与えるものなのかもしれない。青春時代。バスケットに全てを捧げた学生時代・・・。

・・・というわけでも無かったから、こんな内容の夢を見るんだろうな、きっと。正真正銘、桜木花道に負けず劣らずのバスケットマンであったならば、もっと、良い夢が見れただろうに。

そうだ。僕は確かにバスケットマンではあった。しかし、バスケットを愛し、バスケットに愛された、相思相愛の仲だったかというと、自信を持って「イエス!」と言えない自分が居る。

それはなぜか。理由は単純明快。僕は野球が好きだからだ。

好きなスポーツは何ですかと問われたら「アイラブ・ベースボール!」と、カタカナ英語の拙い発音を唱えることだろう。

じゃあなんで、そんなに野球が好きな人が、ベースボールじゃなくてバスケットを選んだんですか、という疑問を抱く方もいるかもしれない。

そんな問いにはこう答えよう。「坊主にするのが嫌だったんです」と。「なんかバスケットってイケてる気がしました」と。

・・・。

我ながら幼稚な解答だなと自らに辟易としたが、まぁでも、案外、みんな、そんなもんじゃないか。何かを始めた動機なんてものは。そこに高尚な理由は存在しないケースがほとんどだ。

あるいは、高尚な理由が存在していたとしても、大抵の場合、後付けだったりもするものだ。

本人は嘘を付いている気は毛頭無いが、結果的に・・・、とか、今振り返ると・・・、とか。後々になって考えてみて思い付いた理由を、さも最初の動機のようにあてがうケースは、枚挙にいとまがない。

さて、ボヤキモードになりつつあるので、気を取り直して、話を戻そう。

僕の場合、野球とバスケットの線引きが明確になっている。一言であらわすと「Play:バスケット」「Watch:野球」である。

要するに、自分でプレーするのが楽しいと感じるスポーツはバスケットであり、他の人がプレーする姿を見て楽しいと感じるスポーツが野球なわけだ。

この想いは昔から今も全く変わらないのだけど、この感覚がなかなか、みんなに分かってもらえないことが多い。

例えば、高校時代。94年生まれの僕ら世代としては、スラムダンクよりも、黒子のバスケの方が人気を博していた。部室ではそんな話が持ちきりとなっていた。

そこで僕はこんな話をするわけだ。

「中京大中京と日本文理の決勝戦、激アツだったよな!『日本文理の夏はまだ終わらな〜い!』ってフレーズ、これはきっと名言になるだろうな!最後も捉えた当たりが痛烈なサードライナー!負けながらも笑顔が絶えない日本文理ナインが印象的だったー!」

「ライオンズとホークスのクライマックスシリーズ、激アツだったよな!涌井秀章と杉内俊哉、両エースの投げ合い!両者一歩も譲らぬ投手戦!杉内が打たれたと思ったら涌井も打たれる!バッター陣の『勝たせたい!』『負けさせない!』っていう意地が滲み出てたよなぁ!」

・・・。

もうホントに「・・・。」としか表現出来ないような、何とも言えない沈黙が流れるわけだ。「浮いている」って、こういう状況を指すんだなぁと。もう一人、冷静な自分が俯瞰しているような、そんな心持ちになれるレベルで。

そこで僕は誓った。「部活内では今後一切野球の話はしない」と。野球の話は野球が好きなクラスメイトと行う。言ってみれば当たり前のことじゃないか。話を聞かされる側も、興味がない話を延々と聞かされても、ねぇ・・・。

ただし、それによって、バスケ部のメンバーと、あんまり深い仲になれず、結果として、強固なチームワークを築けなかったのではないか、と、今の自分が、悔いる部分もあるのだが、それはまた別のお話・・・。

・・・あれっ?

また2000文字ぐらい打ってから気が付いた。「ヘコヘコ・すごすご」に一切触れていない自分に。

これは良くない。二度、同じ過ちを繰り返してしまった。しかし、やってしまった失敗は取り返せない。二度あることは三度ある、これだけは防がなければ。

なので、次回の夢日記に、乞うご期待。

「やってしまった失敗は取り返せない」とか言ってるけど、気付いた時点で文章を全消去すれば、全然取り返せるけどな?

という物言いも、あるにはありますが、まあ、華麗にスルーするとして・・・。

“ヘコヘコ・すごすご”

これですね。

ヘコヘコっていうね、自分にとって目上の立場にあたる人に対して、媚び諂う(へつらう)っていうのか、阿る(おもねる)っていうのか。こういうこと、皆さんはどうですか。結構やりますか。

僕はねぇ、どっちかと言えば、あんまりやらない方なんですよ。そういう、権力が絡むことって、色んなしがらみがあったりするじゃないですか。それがもう、嫌で嫌で・・・。

だけどね、避けようがないシーンって、やっぱりあるじゃないですか。そういう時に、僕は、思いっきりやりますね。見本になれるようなヘコヘコっぷりを。

もうね、相手の方が「肩の力抜いていいですよ?」と、リラックスを促していただけるレベルで、ヘコヘコしますから。正常じゃないわけですね。

僕としては普段通りに振る舞ってるつもりなんですけどね。もちろん、ある程度、かしこまったというか、TPOをわきまえて、という前提のもとでの、普段通りではあるんですけども。

おそらく、その“TPO”が、他の人が見た時に、やり過ぎ、っていうのか、露骨、なのかもしれません。そこはもう、ただただ、僕のスキル不足でしょうね。いや、場数不足なのか。だって、避けられるならば避けるという、人生を送ってきたのだから。

ということは、僕の場合、もっともっと、目上の人と接する機会を持たないといけないのか。うわあ。しんどそう。じゃあもういいや。避けられない時は「肩の力抜けよ(笑)」と言われる人生で・・・。

そんな、意識低い系男子、怠惰系男子。

で、すごすご、か。

すごすごっていうと、語尾に「退散」と付けたくなるような、そんなワードですね。“コソコソ”と、割と近いニュアンスな気もするんだけど。どうかしら?

よし。コソコソと比較しながら考えてみよう。ふむ。コソコソとすごすご。目に見える動作自体は、結構同じなんじゃないかと、僕は思う。

違う点は、なぜそんな歩き方をしているのか、というところだ。要するに、本人の心持ち。ココが大きく異なる。

コソコソの場合、周りの人に見つからないようにしよう、みたいなイメージがある。

これは何も悪いことだけじゃない。確かにドロボーの印象が強いかもしれないが、サプライズでプレゼントを贈るなんて時も、コソコソ準備したりするものだ。

補足しておくと、そういったコソコソには、いそいそという擬音の意味合いも、含まれている気がする。

一方、すごすごと聞くと、ポジティブなイメージよりもネガティブなイメージの方が強い気がする。

「見た目ではほとんど差は無いんじゃないか」と先に述べたが、すごすごの場合は、肩を落としながら歩くといった風に、“見るからに覇気がない”っていうのも、一つ、言えるのかもしれないね。

・・・とまぁ、こんなふうに、人間観察をやっていると、色んなワードが、無数のジグソーパズルが踊っているかの如く、頭の中を駆け巡ることが、僕は良くある。

これを、そのまま放置するというのも、一つの手であろう。なぜなら、ハッキリ言って、一つ一つ紐解いていく作業というのは、面倒臭いから。

ただ、僕の場合は「感覚を言語化したい」という欲求が、おそらく他の人よりも強いタイプのようなので、毎日飽きもせず、あーだこーだと、書いたり話したりしている。

そんな戯れ事に、今日も付き合ってくれたモノ好きの皆さん、どうもありがとう。

最後に一言。

ロッテに吉井理人さんが新監督として就任されたのを知って以来「ロッテが面白いぞ」と言い続けているのですが、僕の周りの野球ファン、特にセリーグファンは、ロッテのことなんてアウトオブ眼中、そんな人が多い印象があります。

けれど、いや、だからこそ、吉井監督が在任中に、是非ともリーグ優勝を成し遂げて、野球ファン、特にセリーグファン、特に特に、関西圏のセリーグファンで、ロッテなんかに興味がない野球ファンの、度肝を抜いてやってください。

そんな僕は、関西生まれ関西育ちの、セリーグファン(カープファン)です。お粗末様でした。

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