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【エッセイ】僕の兄は「一味・七味」を「かずみ・ななみ」と呼ぶ

家族で晩御飯を食べている時の話。

兄は、おかずをディップするソースを作る際、マヨネーズとなにかを組み合わせるパターンが多いのだが、今回は「一味マヨ」か「七味マヨ」で悩んでいるらしい。

兄は言った。

「うーん。『かずみ』も良いけどなぁ〜」

「やっぱし『ななみ』かなぁ〜?」

「うん。今日は『ななみ』にしよっと!」

・・・。

言葉だけを切り取れば「え?両手に花状態ですか?なにそれ?羨まし過ぎるんですけど?」などと、ちょっかいを掛けたくなるような発言である。

しかし、蓋を開けてみれば、マヨネーズに一味(いちみ)を掛けるのか、それとも七味(しちみ)を掛けるのか、逡巡しているだけなのだ。

そこら中の家庭で繰り広げられていると思われる何気無い日常風景に、それこそ、サッとスパイスを掛けるかのごとく、家族をクスッとさせる小ボケを見舞ってくる。

僕の兄は昔からそんな一面を持っている。「おどけを演じる」とでも言おうか。おそらく、元来、サービス精神が旺盛なのであろう。

自分が何か面白いことを言ったりやったりして、周囲の人がニコッと笑顔になる。それを見て、自分もまたニコッと笑顔になる。ゆえに、リビングに兄が居ると、いつも賑やかだ。

要するに、関西人気質に富んだ人物なわけだ。なにをするにしても「ボケ・ツッコミ・オチ」などを意識しながら、人とコミュニケーションを取るのが、完全に染み付いているんだと思う。兄の話を聞いていると、そんなことを考えさせられる。

・・・ていうか、人物像を俯瞰して分析に努めている僕自身、同じ関西生まれ関西育ち、且つ、同じ両親のもとで生まれ育ったはずなのだが、正反対と言っても差し支えないレベルで、似ているところが一つもないのは、なぜなんだろう・・・?

・・・まぁ、その件は、今回は置いといて。

ウチの兄は、そんな人間なのだ。

ただ、周りをパァッと明るくさせる一方で、ずっと同じ空間に居ると、彼のノリの良さに付いていくのがしんどくなることも、しばしばある。

「おいおい、いきなり何を言い出すんだ」と、書いている僕自身、セルフツッコミを入れたくなったのだけど、ソコに触れたくなったから、このまま話すとしよう。

なあに、兄弟の特権みたいなものさ。是々非々というやつだ。良いところは良いと褒める。悪いところは悪いと咎める。無論、良し悪しの判断は、多分に、独断と偏見に基づいているがね(笑)

というわけで。

今回の「一味(かずみ)」「七味(ななみ)」を例に挙げて説明すると、家族がクスクスって笑うと、それに気を良くしたのか、なにかにつけて、

「コレ(おかずA)には『かずみ』も、ありっちゃありやなぁ〜」

「アレ(おかずB)はやっぱり『ななみ』の方が相性良いと思うしなぁ〜」

などと、ポンポンと連呼して、ボケを続けてくる傾向がある。

このやり口は、上手くハマれば「もういい加減にせい(笑)」と、えびす顔で、“ギブアップ”という名のツッコミを入れて、“ワッハッハ!”という、大笑いに繋がって、場が一気に盛り上がる。

しかし、上手くハマらない時は「もうわかったから(苦笑)」と、半ば呆れ声で、“シャラップ”という名のツッコミが入ることになり、“アハハ・・・”という、愛想笑いに繋がり、謎の沈黙タイムに場が包まれることもあるのだ。

そう。言うなれば、兄の「おどけ」は、諸刃の剣なわけだ。

そして、あくまでも個人的には、という注釈を加えた上で物申すが、僕は、前者の大笑いパターンよりも、後者の愛想笑いパターンに着地することの方が、多い。感覚的な割合で言うと「3:7」ぐらいには。

ちなみに、今日の「一味(かずみ)」「七味(しちみ)」に関しては、初っ端こそ「フッ」と鼻で笑うリアクションを取らされたが、二回目以降は、「(好きやなぁそのネタ)」と、冷ややかな態度を取っていた。

以上のことから、持ち前の「おどけ」は程々にしてくれ・・・ということが、今回、言いたかったわけではない。

ハッキリと言おう。

エッセイのネタに最適だと感じたので、これからも定期的に「おどけ」を、思う存分、振る舞ってください。

Fin. 〜平和な世界エンド〜

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