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2023年12月20日(水)|お皿が割れた時の対応で人間力が試されると学ぶことが出来た

僕は、いつも通り、晩御飯を食べた後、キッチンまでお皿を持って行って、いつも通り、水を溜めておくために流し台にお皿を置こうとした。

(あれ、くっついてるなぁ・・・)

僕は、鶏のタタキを置いたお皿の上に、千切りキャベツを入れたお皿を乗せて、キッチンまで運んでいった。そして、その皿を(くっついてるとは思ってないので)1枚ずつ取ろうと思って、千切りキャベツを入れたお皿だけ持ち運ぼうとしたら、下にあった、鶏のタタキを置いたお皿まで、くっついてきてしまったのだ。

鶏のタタキの、ドリップ、というとあまり綺麗な表現ではないけれども、何かしら、鶏肉から漏れ出る液体が、多少、ドロッとしているというのか、ヌメッとしているというのか、そんな感じは、言われてみれば分からなくもない・・・、と思えてきたので、おそらく、それがくっついた理由であろう。重ねる順序を間違えた形だ。とはいえ、くっつくほどの粘着力があるとは思いもしなかった。致し方無いと言えば致し方無い。

(どれ、引き剥がすか・・・)

左手で、千切りキャベツを入れたお皿を持ったまま、その下にくっついてる、鶏のタタキを置いたお皿を右手で取ろうとした、その時である。

「ヒュッ!」

※鶏のタタキを置いたお皿が自ら剥がれる音

「パリーン!」

※鶏のタタキを置いたお皿が割れる音

「・・・。」

※唖然呆然の僕の表情(真顔&眉間に皺)

「ちょっと、大丈夫〜?」

母の声で我にかえった。いけない。僕はこういうところがある。何かしらトラブルやアクシデントが起きた際、数秒間、硬直してしまうことがある。それを僕は「事実を理解し受け入れるまでに数秒間を要する」と答えるようにしているのだが、もう一人の内なる僕が「単に現実逃避を正当化したいだけじゃないのか?」と言ってくる。コイツが厄介だ。それでいて、真っ向から否定出来ない自分も、大層情けない。

「流し台の中だから二次被害は避けた」

一部始終の説明をほとんど省き、母の問いかけを簡潔に返答した。僕はこういうところがある。面と向かったコミュニケーションでは、必要最低限の言葉数しか発さない。にもかかわらず、(録音等で)一人で話している時や、今こうして書いている時は、これでもか、というぐらい、冗長な表現に終始してしまう。どうやら、ちょうど良い塩梅を知らないらしい。

そういえば「普通はないの?w」と結構ツッコミを受けてきた覚えがある。「完璧主義者の方は0か100かで考える傾向がある」なんて話も耳にしたことはあるが、それと関係性は有るのだろうか。よく分からないけれど、無いような気もする。それについて今はあんまり考えたい気分じゃ無いから、サッと水に流すことにしよう。流し台だけに。それで上手いこと言ったつもりか?

「よかった〜。ホウキは要らんね?」

「大丈夫、問題ない」

さすがは母である。たった1行に凝縮した僕の考えを一瞬で汲み取ってくれたらしい。さらに見逃せないのが、ココで会話が打ち切られたということ。「どうしたの!?」とか「何かあったの!?」とか、その他諸々、想定されうるリアクションが、全くと言って良いほどなかった。

そう。必要最低限なのだ。僕が、長々と口頭で会話をするような人間ではないことを心得ているからこそ、母もまた、これだけは聞いておかねばあるまい、という質問に絞って、僕に問いかけてきたわけだ。「人を見て法を説け」の精神を遵守している。

人間、良い時よりも、悪い時の方が、人間力が試されるものだ。かくして、お皿が割れたアクシデントによって「母は強し」の格言に見合う人物であることが証明されたわけだ。息子としても鼻が高い。人としてリスペクト出来る親のもとで産まれることが出来た幸運に改めて感謝したいと思った次第である。

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