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「海の民」とは一体何者だったのか?―B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊【読書感想】

古代史上最も謎に満ちた出来事の1つが、紀元前12世紀頃に起こった文明崩壊の連鎖でしょう。これらの要因は、長らく「海の民」の侵略のせいだという説明がされてきました。私自身、高校時代に世界史Bの教科書に載っていた海の民侵略説を読んで、「海の民って何?」と疑問に思ったことを記憶しています。

B.C. 1177、ラムセス3世率いるエジプト軍が激戦を繰り広げたとされる「海の民」。彼らは一体何者だったのか?著名な考古学者エリック・H・クラインが、『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』を通し、現時点で判明していること、まだ分からないことをきちんと整理した上で、分かりやすく解説してくれます。

答えの出ない問い「トロイア戦争は実在したのか?」

青銅器時代研究の常として、断定的に「こうだ!」と言えることは非常に乏しいです。これは単純に史料の制約から来るもので、情報が限られているが為に出土品を如何様にも解釈することができてしまうからです。

有名どころとしては、「トロイア戦争が実在したのか?」という有名な問いがあります。考古学上の証拠では、トロイア(7a市)が紀元前12世紀頃に敵の襲撃によって滅んだであろうことが判明しています。また、トルコで発掘された「タワガラワ書簡」というヒッタイトの公文書には、ミュケナイとヒッタイトの両大国が、トロイアを巡って対立していたらしいことが記録されています。更には、紀元前13世紀頃に、トロイアには「アラクサンドゥ」という名前の王がいたことが分かっており、これはイリアスに出てくるパリスの別名「アレクサンドロス」に奇妙なほど似ています。

これら情報を踏まえて「トロイア戦争は、実はミュケナイとヒッタイトの争いだった!」という解釈も出来なくはないでしょう。ただ、上記とトロイア戦争を結びつける確証は何一つとしてないのが現状です。

まず、トロイアと同定されている「ウィルサ」という都市が本当にホメロスに語られるトロイアなのか?ミュケナイ人とされている「アッヒヤワ」は本当にミュケナイなのか?についてすら、未だ決定的ではありません。仮にそうだとして、トロイアが敵の襲撃によって滅んだのも、考古学上は「敵は誰なのか」全く手掛かりがありません。焼け焦げた跡や矢尻の遺物等から、「市中で戦いがあった」と知ることしかできないのです。トロイアを陥落させたのはミュケナイ人かもしれないし、「海の民」かもしれません。内乱の可能性も完全には排除できません。

それでも、想像力を働かせることは無駄ではありません。クライン氏は、シャーロック・ホームズの台詞「可能性を天秤にかけ、最もそれらしいものを選択しなくてはならない」を引用した上で、「偏見にとらわれず、想像力を科学的に利用することが必要」と説いています。蓋然性の議論にはなってしまいますが、史料が乏しい時代を研究するにあたっては、この態度は重要でしょう。

「海の民」は何者?

多くの研究者から賛同を得ている説では、「海の民」はエーゲ海地域の出身だということです。「海の民」が移動と襲撃の後に定住した地に、エーゲ海地域由来の物的文化が突如現れるからです。「海の民」と名付けられてはいますが、「海の民」と考古学史料に現れることはなく、エジプト人は彼らを「ペレセト人、チェッケル人、シェケレシュ人、シャルダナ人、ダヌナ人、ウェシェシュ人」から成る民族連合体と記録しています。この内、ダヌナ人はホメロスの言うダナオイ、つまりエーゲ海地域の民族とする説が有力です。

エジプトの記録では、「海の民」の襲撃により数多くの大国が滅んだとされています。これを素直に受け取ったのが、海の民侵略説でしょう。「海の民」が巨神兵のように快進撃を続け、紀元前12世紀頃の古代文明が滅んでいったというわけですね。

しかし、この素朴な説は、今日ではほぼ否定されています。「海の民」は、どちらかと言えば難民に近く、「新しい我が家を求めて家族全員で移動する」農民だった可能性が高いです。崩壊の真因ではなく、崩壊に付け込んで大移動を始めたという理解の方が正しいかもしれません。

では、古代文明の突如とした崩壊劇は、一体何が要因だったのでしょうか?

魔の相乗効果:システム崩壊説

クライン氏が、概ね真実に近いだろうとして挙げている説が、「システム崩壊説」です。何か単一の原因があったのではなく、多数の様々なストレス要因が人々を駆り立て、結果として崩壊のパーフェクト・ゲームが起きてしまったというわけです。

複数の要因とは、具体的には地震や干ばつ、それによる国際交易ルートの崩壊、内乱、飢饉、民族移動など、様々なものがあります。地震については、当時活断層が活発化していたことが判明していますし、干ばつについても、花粉化石の分析により、当時猛威を振るっていたことが分かっています。

国際交易ルートは、私たちが思っているよりも、古代文明において重要でした。まだ貨幣の存在すら無い時代でしたが、王朝間の物々交換を基礎としてグローバル化が進んでおり、自国の基幹事業を完全に輸出入に頼る王国もあったほどです。例えば、ミュケナイ文明は青銅の武具を製造していましたが、原材料となる銅と錫は自国では採取できないが故に、銅はキュプロス、錫はアフガニスタンのバダフシャン地方から遥々輸入せざるを得ませんでした。この交易ルートが絶たれてしまったら、ミュケナイ文明の軍事力は深刻な打撃を受けることでしょう。

これら要因は、単一では崩壊に決定的ではありませんが、組み合わさることで、王国のシステムの致命的な破壊に繋がります。クライン氏はこの説の補強として、最近活発になってきている「複雑性理論」を援用します。交通渋滞、株価急落、戦争など、複雑な要因が絡まって起こる問題の説明・解決を試みる分野であり、この説によれば、相互依存の強まった社会では、複数の要因が作用しあって「ドミノ効果」で影響が増大し、システム全体が不安定化、遂には破局へ至る可能性が格段に高まる、とのことです。

この本を読み終えて

システム崩壊説は、この本を読む前から知ってはいましたが、やはり捉えどころがなく、一読しただけではピンと来ないかもしれません。人間の本能として、何か単純化された理由を欲してしまうものです。「何か決定的な犯人がいるはずだ!」という思考回路は私たちの心理的特性(HADDと呼ばれるそうです)なので、仕方のない部分もあります。

しかし、現実はいつも私たちの思っている以上に複雑であり、一筋縄ではいかないものです。このことに留意しておかないと、単純化され分かりやすい「トンデモ理論」に思考を絡めとられてしまうでしょう。システム崩壊説と複雑性理論は、そのことに注意を向ける機会を与えてくれると思います。

とはいえ、システム崩壊説も、まだまだ定説には程遠い状態です。私が生きている内に、この謎が完全に解き明かされる日は来るのでしょうか。せめて、トロイア戦争が実在したかどうかは、私が死ぬまでに決着してほしいものです。

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