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怒りからはじまる対話

日常をちょっと豊かに🎵リューラッキーです。

この前のお休み、次男は少し先に起きていて既にゲームをしていました。

私は、洗濯や皿洗い等を済ませながら、心も整えていく。うんうん。

お気に入りのYouTubeの瞑想を聞きながら。

素晴らしい朝というかお昼のひととき。

ふと、また視界に彼が映る。

ゲームに興じている彼が。

そこに穏やかならぬ感情が沸き起こる。いや、初めから起こっていたのかも、、

怒りという感情が。

感情に任せて机の上に無造作に置いてあった彼のカバンを部屋の隅にぶち投げる。

自分の心の中で、また怒りに任せてそういうことをするのか!と自責の念が沸く。

んー、何が自分は怒れてるんだろう。

ノートを出して思いのままに書く。

だらだらやっていることに腹を立てている事が分かった。

彼を呼び、椅子に座らせた。

彼はふて腐れぎみにこちらに半身になって聞いている。

言葉に上手く出来ているのかどうか分からないが自分が思っていること、感じていることを冷静に話す。

そして少し前にPTA交流会に参加したときの事を思いだし、、

よし、ルールを決めてみよう。となった。

先ずは先方の言い分を聞く。平日三時間、いや、二時間、いや、二時間半。

そして週末は何時間?八時間。

そしてそれをやってもいい代わりに、家のお手伝いを各種やること。そして外に出て遊ぶこと。

と、決まった。決まった頃にはお互いの心にも温かいものが流れていたようだ。

と言うことで、彼の友達を誘って一緒に近所の山へ軽く登りに行くことに。

山は起伏に富んでいて意外にもきつく、汗ばみ、山頂に行ったときの達成感というものも得られ。

そのあとそこで、お湯を沸かしてラーメンをつくって食べた。

簡単な即席麺だが、たったそれだけでも子供たちは楽しいと満足感たっぷりに答えていた。

テレビゲームをつい悪者にしがちになってしまい、やらせない。やっていいとゼロか100かになったりもしたりしたけど、親の分かり得ない素晴らしい面も沢山あり、それがどこで役に立つのかも知れず、何よりイキイキしてやっている(笑)。

ただ、だらだら続けてしまうことが、こちらにもストレスだし、できればこの世界の色んな部分を感じて見てもらいたいとも思っている。

そんなお互いの妥協点と言うか、思いを下手くそながらお互いに話し合えて一度それでやってみようとなったこと。

そういうひとつひとつ子供と向き合う姿勢こそが大切なのかなって思えた。

丁寧にひとつひとつ、下手くそでもいいから向き合う。

自分はこう思ってる。

おまえはどう思ってる?

そんなぱっとみでは見逃してしまいそうな些細なことのやり取り。

こういったことがものすごく大切だし、一人一人の人間関係にも大切かもしれない。

そしてこういったことが子供と親を育むのかもしれない。


と、いうことを書いたのが約2年前、、、

相変わらず今も息子と向き合う日々である笑笑


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