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祖父の自伝(8)〜祖父の思いが今繋ぐもの

私の祖父、
ぶどう狩りのマルタ園初代園主 
中根武雄が生前書き残した自伝です。


時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ、自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。

第二部 軍隊生活

そのニ 
戦友の入室と班長当番


軍隊は自己の意思は全く通らない。全てのことが命令。新兵はあれもやれこれもやれ無理難題ばかり。1日の教練が終わると馬の飼い付けから兵器被服の手入れ洗濯靴磨き等など古兵の分まで一刻の休憩も無く入浴や酒保行きは遠い遠い夢であった。

隣の戦友渡辺喜司二等兵が胃潰瘍で
医務室に入室をした。目の回るほど忙しい中で又一人分仕事が増えた。
医務室まで150メートル。3度の食事と洗濯も渡辺も初年兵で俺の忙しい事はよくわかる。
「悪いなぁ中根、お前には本当にすまんなぁ」と謝るばかり見ていても病人もつらい。
「心配するな、お互いだ早く元気になって早く戻ってこい」と励ます。
健康が何よりの宝だ。頑張り通すしか他は術もない。

天道人を殺さず。
病人のことで残飯が出る。
最初二、三回は捨てたが、腹が減って腹が減ってたまらない。捨てようと
思っても腹がぐうと鳴りもったいなくてどうしても捨てられない。
思い切って盗みと猫のよう周囲を
よく見廻し十分に警戒し人目を忍んで
膳を口の高さに上げガブリと喰らいつき口も動かさず素早く呑み込んだ。
その時の早かったこと、うまかったこと忘れられん。
遂つい残飯捨て場に着くまでに綺麗になくなっていた。それからは三度が
三度繰り返し食べていた。見つかったら顔の形は無かったかも知れない。

初年兵二人寄れば腹が減った腹が減ったの合言葉。俺はお陰で腹が減った事を知らない。と言って渡辺には礼も言えない。グッとおさえ感謝をする。
1ヶ月余りで渡辺二等兵も退室となり
班に戻って来た。
日夕点呼の時、班付上等兵より渡辺の
治癒の報告
「中根は1ヶ月の間よく戦友の面倒を
見てくれた。明日から班長の当番を
命ず。一層頑張って他の班に
負けないように三班のためにも
しっかり頼む」と言われた。
聞くなり内心ぞくっとした。
初年兵で班長の当番は1番目である。
怪我の功名。
この機を逃したら2度とない。
初年兵の忙しい事はみんな一緒で
ある。その中を勝ち抜くことが兵隊の生活信条である。何としてもやり抜くこと以外に何ものもない。
早いが勝ち。
先ず床はての毛布は敷かないで、
たたんだまま並べ一番外の毛布だけ広げて覆っておく。
朝起床自分の毛布はたたまなくても
良い。古兵の毛布を早く済ませ
点呼場に1番で整列する。
(朝の点呼は早い順に整列)
新兵は1番で並ぶ事を競う
星取り合戦である。
班長古兵の洗濯をすると自分のものは洗う間がない。
窮すれば通ずのたとえ
日曜日の外出に洗濯物を全部着て
靴下も二足履き、叔父の所で洗い乾くまで昼寝して帰る事を日曜日の
日課であった。手荷物は証明がいるのでこれ以外に方法は無かった。
 班長室は二階の隅で医務室とは
異なり廊下を通過する。
残飯を整理するにはなかなか骨が
折れたが立派に頂戴した。

毎日の日課は砲手班、馭者班(ぎょしゃはん)、観測手、通信手とそれぞれの立場で1日も早く一人前の兵隊をつくるための教育訓練。戦場に堪え得る強兵づくりとしごかれる。教練でなぐられ叱られることは我慢できるが、
いたずらに古兵に文句をつけられ
八つ当たりの「ピンタ」には
全く閉口する。
どうしようも無い。
広い中から集める兵隊だ。
色々なやつがいるものだ。


軍隊生活その三
第一期検閲と出征につづく

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