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頑張りを褒めてもらいたい、認めてもらいたい気持ちとは

叱られるよりも褒められると伸びるタイプのたつやです。

今回は、自分が頑張った時に起こりがちな「褒めてもらいたい」気持ちについてお話しようと思います。

人によって価値観が分かれる部分かとは思いますが、頑張ったら、努力したら褒めてもらいたいですよね。

無反応だとやる気もなくなるけど、頑張りを褒めてもらえるとモチベーションアップにも繋がります。

そんな褒められたいって気持ちなんですが、実はちょっと危うさもあるんですよ。

これまで頑張って生きてきた人は、努力によって自分の存在価値を見出してきたような感覚が少なからずあると思います。

その努力はもちろん素晴らしいものだし、頑張って今にたどり着いていることは素敵なことです。

ただ、無意識に「これだけ頑張ったんだから、これくらいの評価はされるべき」っていう気持ちも持ってしまいがちなんですよね。

実際、評価はされるべきだとは思いますし、頑張った分は報われるべきだと僕も思います。

ただ、評価するかどうかって相手次第なんですよ。

それを、自分の基準で「さぁ、これだけやったんだから評価しろ」って言うのも違うんだろうなとも思うんです。

普段から努力家の人は、努力で自分自身を高めてきた経験が自信になっている部分もあるので、特に注意が必要なんですよ。

僕自身、辛い過去や苦しい期間を努力で乗り越えてきた部分があるので、この自分の中の「当たり前」が足を引っ張ってしまったことも何回もあったんですよね。

悪気も自覚もないのに、「自分視点」で相手の考えを無視してしまう、冷静に考えたら迷惑な話ですよね。。。

反省です。

もう一つ、この「努力による自分視点」がもたらしてしまう悪い部分があるんですよ。

それは、完璧主義的な考え方だったり、欠陥意識が強まってしまうことについてです。

才能じゃなく、頑張って、頑張って、這いずってでも進んできたものだから、「まだ完成していない、足りていない」と感じてしまうことも多くなっちゃうんですよね。

いつまで経っても100点にならないので、ずっと足りていない感があるんです。

これじゃまだ自分は優秀でもなんでもない。認められるためにはもっと頑張らないといけない。

そんな焦りや不安感が、自分を駆り立ててしまうわけです。

これが度を越してくると、相手のためにやったことの見返りを求めるようになってしまうんですよね。

「これだけやったんだから」そんな考えが透けてしまって、相手のためじゃなくて「自分のため」にやっているという印象を与えてしまうようになることもあります。

これがめちゃくちゃ危険です。

無自覚なのが厄介なんです。

そもそもの話、見返りを求めている時点で「相手のため」ではないんですが、そこにも気付けなくなってしまうんです。

自分を認めてほしいっていう感情が承認欲求として考え方を縛ってくるようなイメージです。

頑張りを褒めてほしいという気持ちが、悪循環してしまうと「自分勝手」な印象ばかり振りまいてしまうので、自分の言動には注意したいものですね。

ということで、本日のまとめです。

努力家の人は、自分の価値を見誤りやすいです。

十分成果が出ているのに、まだ足りていないという欠落意識にとりつかれることもあります。

相手に頑張りを認めてほしいという承認欲求が高まって、相手のためじゃなくて自分のためにしか行動ができなくなることだってあります。

どれも、自分自身の価値を見誤って、自分軸を見失っている状態とも言えるので、思い当たる節がある人は要注意です。

しっかり自分自身を見つめ直して、周りに左右されない自分の価値を見つける時間を作った方がいいかもしれません。

価値の無い人間なんていないし、自分自身の価値は自分で決められるとも思うので、固定観念や思い込みに惑わされず、自分自身をもっと気楽に見つめてあげてくださいね。

それが、生きやすさや過度な承認欲求の解消に繋がっていきます。

自分にとって優しい世界を作っていきましょう!

今回は、努力家の人が陥りがちな承認欲求につながる考え方の罠と、自分の感情を見つめることの大切さについてお話させていただきました。

ご拝読いただき、ありがとうございました。

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