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ありのままの自分にも価値がある

自己犠牲は尊いものと社会に刷り込まれていることに違和感を感じているたつやです。

今回は、自己犠牲なんてしなくても、ありのままの自分自身で十分価値があるという話をしようと思います。

僕もどちらかというと自己犠牲で物事を考えがちなんですが、自己犠牲って後々のダメージがデカいんですよね。

たいてい自分が損をする形になるし、思ったような結果にならないことも多いです。
「自分、役に立たないなぁ」って落ち込むことだって普通なんです。

そんな時、自分じゃあんまり役に立たないからって、また自己犠牲で頑張りすぎるっていう負のループに陥っちゃいがちなんですよね。

こういう僕みたいな人、世の中にはけっこういると思います。

そんな人に向けて言いたいのが、「ありのままの自分にも価値があるんだよ」ってことです。

つい、ありのままの自分、素の自分、頑張らない自分はダメだって思い込みがちですけど、そんなことはないんです。

そう感じてしまうのは、全部を受け入れて愛してもらった経験が少ないだけ。
子供の頃に無償の愛情を溢れんばかりに受けてきた人は、ありのままの自分でも愛されることを知ってるんです。

僕の幼少期は、父親からは包丁を投げつけられるような経験をしてきたし、離婚してからも母親は仕事と家事に追われてしまっていました。

我が家の育児の基本は、放置。

我慢するのが当たり前で、周りの空気を読んで、親を困らせないように、迷惑をかけて「要らない子」だと思われないように必死でした。

もちろん、ちゃんと愛情を感じる場面も多かったですが、根っこのところではきっと満たされていなかったんだと思います。

あくまでこれは僕の例なので、少し極端かもしれません。
でも、程度の差はあれ似たようなことって多いんです。

兄弟で、自分の方だけいつも叱られてばかりとか。
共働きの両親で、家で一人の時間や託児所とかに預けられている期間が長かったとか。
勉強しろ勉強しろと言われ続けて、いつも「親にとっての理想の子供」を求められていたとか。

こういうのも全部、「愛されていなかった」と感じる要素でもあるんです

だから大人になっても、、頑張らないと自分の存在意義がない気がしたり、ありのままの自分を出すと怒られたり嫌われたりする気がするんです。

もう一度言います。
『ありのままの自分にも価値があります』

別に、誰かの役に立っていなかったとしても、ありのままの自分、自分が自分らしくいるだけでも価値があるんです。

そもそもの話、誰かの役に立つことは素晴らしいことではありますが、それ自体が価値を生み出しているわけではないんですよ。
相手がどう思っているかも、分かりませんからね。

周りからどう思われているかとか、自分の無価値観とか、気にする必要なんて本当はないんです。
ありのままの自分でもいい。ありのままの自分がいいんです。

自分を偽り続けて、頑張り続けてもいつか限界が来るので、ありのままの自分を呼び覚ましていくという視点を持っておきたいですね。

ということで、本日のまとめです。

『ありのままの自分にも価値がある』
今回は、この言葉に尽きます。

アダルトチルドレンの気質がある人は、どうしても自己無価値観に襲われることが多いんですが、それは自分のせいではないんです。

あくまで、環境のせい。
ありのままの自分が悪いんじゃなくて、今まで育った環境がそうさせるだけで、自分自身が悪いわけではないんです。

なにより、役に立つことが全てではないですからね。
役に立たなくても、ありのままの自分で価値がある。

そう思えるように、日頃から自分自身を大切にしていきたいですね!

今回は、自己無価値観に陥りがちで、自己犠牲ばかり選んでしまう人だったとしても、ありのままの自分で価値があるんだよという話をさせていただきました。

ご拝読いただき、ありがとうございました。


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