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イソップ童話「王様の耳はロバの耳」について

他人の意見が自分の意見と違う時、自分を優先するか他人を優先するかって、けっこうその人の本質が出てくると思っているたつやです。

今回は、イソップ童話の「王様の耳はロバの耳」についてお話していこうと思います。

「王様の耳はロバの耳」の物語は、王様の意見と神様の意見が食い違い、王様が自分の意見を絶対視してしまったことから始まります。

神様に、耳をロバの耳に変えられ、恥ずかしさのあまり常に頭巾を被るようになってしまいました。
ただ、髪を切るときは頭巾を外すしかなく、床屋には王様の耳がロバの耳になっていることがバレてしまいます。

そのことを他言無用と言い聞かせた結果、床屋が口止めの苦しみから逃れるために誰もいないところで掘った穴に「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶことでストレス発散しました。

ただ、近くに生えた葦がその言葉を言うようなってしまい、床屋が秘密をバラしたように王様に知らされてしまいました。

床屋を捕らえ、事情を聞いて真相を調査した結果、床屋の冤罪がわかり、王様は床屋を釈放し、王様はロバの耳を隠さず生きていくというお話です。

・・・ちょっとファンタジー過ぎてよくわからないですよね(笑)

今回も、大事な部分を3つにまとめてみました。

1つ目は、意見の多様性についてです。
王様は、最初自分の意見を尊重しすぎて神様を怒らせる結果になりました。

意見は、色々あって当たり前。

この場合、神様たちが意見を取りまとめたあとに王様が我を通した形だったので神の怒りに触れましたが、個人的には王様の意見も一つの意見として取り入れるくらいじゃないと、神様はダメなんじゃないかなと思ってしまいますね。

2つ目は、思い込みによる決めつけの危険性についてです。

王様は、床屋が秘密を言いふらしたと勘違いして床屋を捕らえました。
最終的には釈放されますが、床屋はこの期間生きた心地がしなかったでしょうね。

日本でも、冤罪事件はなくなりません。
誰もが、思い込みや自分の気持ちを優先してしまいがちなので、真実を考えることに目を向ける余裕がなくなってしまうことがあるからですね。

思い込みは、それだけ危険で、魔物が住んでいるんだと思っておいたほうがいいと思います。

3つ目は、自身の誤りを認めることの大切さについてです。
王様は、家臣に調査を進めさせ、床屋に罪がないことを知りました。
そして、釈放したってことは、自分自身が間違っていたと誤りを認めたということです。

王様なんだから、自身の過ちごともみ消して、床屋にすべての罪を被せることだって出来たはず。
それでも、自分自身の過ちを認め、それに加えて、噂で広まってしまった自分の耳がロバの耳になっていることすらも隠さずに生きる王様は、実はすごく誠実で寛大な人だったのかもしれないと思うほどでした。

誰もが、生きていれば過ちを犯します。
でも、その過ちを否定せず、自分自身が認めることで、新しい道は開けていくんだと、そう教えてくれているかのような物語ですよね。

ということで、本日のまとめです。

イソップ物語「王様の耳はロバの耳」は、異なる意見や視点を受け入れることの重要性や、自分の過ちを認めることの大切さを教えてくれる物語でした。

他人の意見を尊重し、寛容さと公平さを持つ。
言葉だと薄っぺらく感じますが、本当に大事なことですし、それと同時に難しいことなんですよね。

自分の間違いを認めるのには、それ相応の心の強さが必要になってきますからね。
自分の保守のために他人を傷つけないように、自分のダメなところも全部含めて、受け入れていきたいものですね。

この物語の本質は別にあるかもしれませんが、僕はこう感じたので共有させていただきました。

ご拝読いただき、ありがとうございました。

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